幕間二 末期の夢
第23話 末期の夢
(……夢?)
何となく、思った。
(これは、夢?)
瞳を開く。煌々と赤く染まる夜空。炎に包まれた見たことのない街並み。
かなたは、宙に浮かんでいた。
衣服は纏っていない。代わりに、右足の先から胴体、左腕にかけて巻き付くように、何故か赤い蛇の紋様が描かれていた。
ふと見ると、腕がわずかに透けている。
――ズズンッ!
その時、大気が揺れた。
かなたは、目を見開いて振り向いた。
(――ッ!)
息を吞む。そこには、何十メートルもの巨躯を持つ獣がいた。
異様に大きい上半身と両腕、背には無数の巨刃。牡牛のような角を持つ灼岩の巨獣だ。
(か、怪獣? ううん、違う)
直感で、かなたは悟った。
この灼岩の巨躯に溶岩流を纏う巨獣こそが《
(これは骸鬼王の館の、主の記憶?)
反射的にそう思う。
残留思念から記憶を読む。そういう現象があると聞いたことがあった。
ならば、自分が今いるこの場所は――。
と、考えていた矢先、巨獣が右腕を振り上げた。
天を衝く腕に、愕然とするかなた。
ビルのようにしか見えない巨腕が、かなたに向けて振り下ろされた。
(―――ッ!?)
思わず身構えた。
しかし、こんなとんでもない大質量だ。あらゆる防御が無意味だった。
そう知りつつも、両腕を交差させた。すると――。
――ゴウッ!
突如、膨大な炎が、かなたの背後から吹き出してきた。
驚く暇もなく、かなたは炎に呑み込まれるが熱さは感じない。火傷をする様子もない。そもそもこの業火では一瞬で消し炭になるはずだが、それもない。
改めて、自分が記憶の中にいるのだと思った。
炎は火の龍と化し、かなたを越えて巨腕と激突する。
大質量と膨大な業火。力は拮抗するが、圧し負けたのは巨腕の方だった。
火の龍は、巨腕の内部へと食らいつき、中から右腕を爆散させた。
しかし、巨獣は怯まない。周辺から瓦礫を引き寄せて右腕を復元。地響きを立てて、炎を放った主――業火を纏う少女に突進する。炎の少女との間にいる、かなたまで巻き込んで。
かなたは目を瞑り、再び身構えた。
津波のような巨獣の体躯に当たっても吹き飛ばされない。炎の時と同じだ。
やはり、この場所ではかなたは傍観者であった。
――と、
「やはり勝てんか」
誰かの声がした。かなたが、ハッとして目を見開く。
そこは闇の中だった。ただ、万にも届きそうな数の灯火が輝いていた。
かなたは声がした方に目をやる。
そこには闇の中で一人だけ、男性の姿があった。
(……あ)
ふと気付く。もう一人。青年は両腕で少女を抱きかかえていた。
歳の頃は十七、八歳か。大学の卒業式ぐらいでしか見ないような袴姿の少女だ。
流れるような髪質のショートヘアがよく似合う、綺麗な顔立ちの少女。瞳は深く閉じられていて、まるで眠っているようにも見える。
だが、彼女の全身には銃痕らしき傷が無数にあった。
素人目でも分かる。あれは致命傷だ。
すでに彼女は息をしていない。それが、かなたにも感じ取れた。
『……忌まわしい』
その時、灯火の一つが呻いた。
『神代より伝わる神刀・《
『――くそったれがッ!』
別の灯火が吠える。
『強力すぎて、伝承級の千年我霊のみに使用が許されている神威霊具じゃねえか! そこまでして旦那を殺してえのかよ!』
『所詮は、あの女も他の引導師どもと同じだったということだ』
『ふざけてるわ! あいつらが先に手を出したのよ! 紫子ちゃんを殺した!』
『ああ、そうだ! 仇討ちだ!』『誰であろうと関係ない!』『殺してやる!』
次々と怨嗟の声を上げる灯火たち。
すると、男性が、
「静まれ」
一言。それだけで灯火たちは静まる。
「神刀を持ち出された上に、使い手があいつなのだ。もはや我らに勝ち目はない。ここが己の終焉の地なのだろう」
青年はそう呟くと、少女を大切そうに抱きしめる。
彼の肩は少し震えていた。とても静かな抱擁が続く。
そうして十数秒後、青年は少女の遺体を丁重に地に降ろした。
「……紫子を」青年が願う。「せめて、兄の元へ届けてやってくれ」
『……御意』
灯火の一つが恭しく応えた。少女の遺体は闇の中に沈んでいった。
それを見届けてから、青年は立ち上がる。そして、
「皆よ。よくぞ、ここまで付き合ってくれた。感謝する」
厳かな声で灯火たちに礼を述べる。灯火たちは沈黙したままだった。
かなたはその様子を静かに見つめていた。 恐らく、彼らは主従関係にあるのだろう。
ふと、かなたは、主である青年の顔を見たくなった。
すうっと飛んで、青年に近付こうとする。が、
『……主よ』
不意に、最も大きい灯火が口を開いた。
『主はどうしたい? 何がしたい? 主の望みとは何なのだ?』
「……己の望み、か?」青年は呟く。「考えたこともなかったな」
青年は、顔を上げて前を見た。
すると闇に包まれていた視界が一気に開けた。
映画館の大スクリーンのように写し出されたのは、外の光景だった。
かなたは外を見た。そこには、赤い異形の剣を携えた炎の少女がいた。
溶岩流を纏う灼岩の巨獣と戦っていた少女だ。
かなたは、改めて彼女の姿を凝視する。
歳の頃はかなたより二、三歳上ぐらいか。全身が炎の少女。魅入るようなプロポーションの裸体の上に炎の天衣を纏っている。
真紅の髪の少女は剣を振り下ろした。直後、かなたがいる世界が揺れた。
「己の望み、か」
青年は、揺れにも全く動じず呟く。
危機的な状況でありながらも、彼の声は穏やかで優しかった。
かなたの角度からでは見えないが、きっと、面持ちも優しいのだろう。
「幸せになりたかった」
炎の少女を見つめて、青年は言う。
「愛する者と子を成し、幸せな家庭を築きたかった。こんな己であっても、受け入れてくれるような世界で……そう。別の世界で生きたかった。いや、いっそ、もっと早く」
そこで青年は皮肉気に笑った。その眼差しは、炎の少女から離れない。
「引導師らしく強欲に。あいつも、紫子も。二人とも攫ってしまって、遠い異国にでも逃げれば良かったかもな」
『……それが、主の望みか』
灯火が呟く。
『……承知した』
「……なに?」青年は、眉根を寄せた。「何を承知したのだ?」
『もはや、その望みは叶えられぬ。だが、一つだけ。たった一つだけならば……』
『ああ、そうだな。兄者』『我らの力を結集すれば』『主を守れる』
「何を言っておるのだ? お前たち?」
青年が問う。と、
『今から、主の時間を止める』
最も大きい灯火が告げる。
同時に、一つの灯火が進み出てきた。
灯火は燃え上がり、懐中時計の姿をとった。
『私の力を使います』
闇の中に浮かぶ懐中時計は、少女の声で語る。
『私の異能は、精々一秒ほど時間を停滞させるだけ。紫子さまも救えない脆弱な力です。ですが、ここにいる者たち、全員の力を余すことなく結集させれば……』
『恐らく、主の時間を完全に停止させられるはずだ』
大きな灯火が言葉を継いだ。青年は目を見開いた。
「――莫迦な!」青年は腕を振る「そんなことをすればお前たちは!」
『ほほっ、消滅は免れないでしょうな』
老いた声の灯火が告げる。
『恐らく、輪廻に戻ることも叶わないでしょう。ですが、むしろそれは本望ですぞ。あのただ停滞するだけの地獄に戻るぐらいならば、ここで主のために消滅したい』
『おうヨ! あの何も始まらねえ、ただ、ひたすら待ち続けて緩やかに心が死んでいく地獄だけはもう勘弁だゼ! オレらは本気で親分に感謝してんだ! けどヨ!』
やけに軽い口調の灯火が、続けて言う。意外にも若い女性の声だ。
『兄者だけは残んねえとナ! 凍結した親分を放っておけねえし、地中にでも隠さねえといけねえし、寝ずの番も起こし役も必要だしナ!』
『ああ、分かっておる』
大きな灯火が、厳かに応える。
『必ず守り通してみせよう。主を別の世界に送り届ける。なに。百年も経てば別の世界だ』
「――ッ! そういうことか!」
すべてを悟った青年が、従者たちを止めるべく一歩前に踏み出した。
すると、
『どうか幸せになって』『……地獄から助けてくれてありがとう』『感謝します。主よ』『嫁さんは自分でどうにかしろよ、かかッ!』『我が君よ。何卒、よき未来を』『うん、二度目の生、楽しかったよ。ご主人さま』『今度こそ、あなたの望みを叶えて』『お幸せに。主さま』『あなたさまの未来に、幸多きことを』
次々と届けられる灯火たちの言葉。
別れの言葉はない。感謝と祈りだけがそこにあった。
溢れるような想いの前に、青年も、傍観者であるかなたも、完全に呑まれてしまった。
そして――。
『では、頼むぞ。お前たち』
大きな灯火が、号令をかける。
途端、万にも届く灯火たちは一斉に輝き始めた。
「――ま、待て!」
青年が止めようとするが、輝きは収まらない。
もはや目も開けていられない。太陽のような輝きだ。
かなたは、ギュッと目を瞑った。
その時、かなたは、聞き覚えのない声を聞いた。
『ジャハハ、お嬢』
光の中で、その声は語る。
『お嬢の――お嬢たちの使命は重大なんだぜ。先輩たちの願いを叶えてくれよな』
「……え?」
思わず疑問の声を零す。その間も、ますます光は強くなった。
同時に大きな爆砕音も聞こえた。恐らく外の彼女が攻撃したのか。
光と爆音に包まれて。
かなたの意識は、徐々に消えていった。
『目指すなら壱妃の座だ。なにせ、お嬢はオレの推しなんだからさ』
そんな声だけが、いつまでも耳に残った。
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