第64話 対談➄
エルナは、朝から不機嫌だった。
その理由は明白だ。
真刃と刀歌に置いてけぼりを喰らったからだ。
隣を歩くかなたも、表情には出さないが不機嫌そうだった。
昨夜は、幸せだった。
第一段階ではあるが、遂に真刃と《魂結び》を行ったのである。
初めてのそれは、授業で聞いていたものと全く違っていた。
強い痛みと、自我が消えてしまいそうな感覚。想像以上にキツイものだったが、ずっと傍に真刃がいてくれたおかげで、大きな不安はなかった。それはかなたも同様のようだ。
朝目覚めた時、先に起きて、ベッドの上でポーっとした表情で正座していたかなたと目が合い、二人して口元が緩むのを抑えられなかった。
『……エルナさま』
ベッドの上で、かなたが小さな声で告げた。
『私たちは……これで』
『う、うん』
エルナは、コクコクと頷いた。
『もう確定したようなものだよ。私たちは、いずれ真刃さんと……』
――遂に《魂結び》を行った。
魂で、真刃と繋がったのである。
ここまで来れば、第二段階に至るのも時間の問題だろう。
男女で《魂結び》を行った者たちは、結ばれていない方が稀なのだ。
耳まで赤くして、二人は顔を伏せた。
――いや、昨夜の段階でもすでに……。
二人は、ほぼ同時に、自分の唇に指先を当てた。
何だかんだで、仕草や息が合うことが多い壱妃と弐妃だった。
――と、そこでふと気付く。
そういえば、真刃の姿も、刀歌の姿も部屋にないことに。
『お二人はどこに?』
かなたが呟いた、その時だった。
家のインターフォンが鳴ったのは。
二人は顔を見合わせた後、警戒しつつ玄関に向かった。
そこで出会ったのが、大門だった。
『……おや? 御影さんはどうしたのですかぁ?』
大門の呟きで、三人は初めてスマホを確認した。
そこには、刀歌を連れて、知人に会いに行くといった用件が送られていた。
……どうして刀歌だけ?
エルナとかなたは不満を抱いた。
大門としては、非常に困ったものだ。
ここまで車で来たため、今まで追加連絡を確認できなかったのだ。
ともあれ、ここまで来た以上、何もしない訳にもいかない。
『とりあえずゥ、二人とも私の車に乗ってくださいィ』
せめて、エルナとかなたを保護することにした。
エルナたちとしても、ここにいても何も出来ないので大門の指示に従うことにした。
そうして、三人がやって来たのが、この場所だった。
途方もなく広い日本庭園。
白い硅石と敷き詰められた庭園の道を、エルナたちは、すでに五分以上歩いていた。
それでもなお、奥に見える巨大な屋敷は遠かった。
ここは、火緋神家の本邸。
国内最大クラスの大家の本拠地である。
庭園には、警備らしき者がところどころに配置されていた。
最も安全な場所ということで、エルナたちは連れられてきたのだ。
「けど、肝心の刀歌がいないし」
と、エルナがぼやく。
「う~ん、正直ィ、それは私も想定外でしたぁ……」
と、先を行く大門が振り向いて苦笑を浮かべた。
「久遠氏から、御影嬢の保護を頼まれたのにィ、まさかの留守とはぁ」
そこで嘆息もした。
「まあ、久遠氏が傍にいるのならばぁ、問題はないでしょうがぁ。ところでェ」
大門は二人の教え子に目をやった。
「本当にィ、あの御影さんが、久遠氏の隷者になったのですかぁ?」
「……それは間違いありません」
淡々とした声で、かなたが答える。
隣でエルナも「はい」と頷いた。
「本人も言ってましたから。それも凄く嬉しそうに」
「そうですかぁ……」
大門は、少し驚いていた。
あの《魂結び》を毛嫌いしてたあの娘が、隷者になるとは。
しかも、無理やりではなく、本人も同意の上とのこと。喜んでさえいるらしい。
久遠氏は、一体どうやって彼女の心を変えたのか……。
(まあ、杜ノ宮さんも、彼と出会って見違えるほどに顔色がよくなりましたしィ)
ちらり、とかなたの方も見やる。
物静かな性格は変わらないが、今の彼女はとても生気に満ち溢れている。かつての、まるで人形のようだった虚ろさは、すでに感じられなかった。
久遠氏の手腕には、脱帽するばかりである。
「まあ、《魂結び》に関しては本人たちだけの問題ですしねえ。それよりも二人ともォ」
大門は教え子たちに告げる。
「もうじきィ本殿に到着しますゥ。私は御前さまと少しお話がありますのでえェ、二人は客室でしばらく休んでいてくださいィ」
「……御前さま、ですか?」
エルナは、あごに指先を当てた。
「確か、日本における引導師たちを総括する方ですよね。大門先生って、そんな凄く偉い人と面会できるんですか?」
「いえいえェ、フォスターさぁん」
大門は、苦笑を浮かべた。
「私はこう見えても――」
そう告げようとした時だった。
『……おいおい。嘘だろ……』
不意にそんな声がした。
かなたが目を丸くする。それはチョーカー姿の赤蛇の声だった。
「……どうしたの?」
かなたが自分の喉のチョーカーに尋ねる。
エルナがかなたに視線を向け、大門も注目していた。
「それは……もしや、久遠氏の式神ですかぁ?」
『ああ。そんなもんだよ。それよりお嬢。銀髪嬢ちゃん。ポンコツ型大門』
「ポンコツ型ぁ!? いきなりの酷評ですねェ!?」
大門が頬を引きつらせると、
『ここが安全だと思い込んでいるからポンコツなんだよ。前を見ろや』
と、声だけの赤蛇が告げる。
大門――エルナたちも前に目をやった。
すると、そこには、こちらに近づいてくる男性たちの姿があった。
二人とも和装。大柄な剃髪の男性と、長髪の男性だというのが遠目で分かる。
「―――――な」
まだ顔までは分からない距離だが、大門は彼らが何者なのか分かった。
特に大柄の男性は、印象が強すぎる。
『お嬢。銀髪嬢ちゃん。ポンコツ型大門』
赤蛇はさらに語る。
『今からオレは何も喋らねえ。完全に沈黙する。そんでお前らに警告だ』
「………赤蛇?」
明らかにいつもと様子の違う蛇に、かなたはチョーカーに手を当てて眉をひそめた。
『今近づいているあの野郎――ハゲの方はバケモンだ。年齢的にも存在的にもな』
一拍おいて、
『あの男と何か喋るんなら、絶対にご主人の名前だけは口に出すなよ。絶対にだ。そんで、あの男が何を語ったとしても動揺すんな』
「え? それってどういうこと?」
エルナが眉根を寄せる。かなたも困惑した表情を見せていた。
そんな中、大門は表情を変えた。
「久遠氏の名を出すな? それは、久遠氏とあの老人が知り合いだということなのですか?」
間延びした口調を消して、そう尋ねるが、赤蛇は何も答えない。
宣告通り、すでに沈黙に徹しているようだ。
「………赤蛇」
かなたの声にさえ、チョーカーは答えない。
と、そうこうしている内に、男性たちが近づいていた。
もう顔がはっきりと分かる距離だ。
一人は老人。剃髪の人物の方だ。和装の袖に手を入れて歩いている。
老人の少し後に続く長髪の人物は、青年だった。
老人たちの方も、エルナたちに気付いていたようだ。
「大門殿か」
そして老人――天堂院九紗が告げる。
「これは、珍しい場所であったものだ」
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