第277話 かくして彼女はそう告げた④

(……さて)


 息を吐き、呼気を整える。

 目の前には黒い光剣。

 桜華が磨き上げた力の結晶である。


 かつては白かった光の刃。

 黒く染まったのは、龍泉の巫女と成る前からだった。

 憎しみで心を染めあげて、ただ力だけを求めてこうなった。


 そのことに後悔はない。

 白くなどなくてもいい。

 あの女を殺せるのならどれだけ黒く染まろうと構わなかった。


 だが、それでも届かなかった。


(今度こそ『私』は力を得る……)


 今回対峙した『ムロ』と名乗る女。

 彼女との戦いは有意義だった。


(強大な力を振るうために頑強なる姿を造り上げる)


 確かに理屈は分かる。

 むしろ正論とも思えた。

 しかし、通常の《DS》では手本にするには精度が雑すぎた。

 だからこそ《DS》のオリジナルの入手を検討していたのだが……。


(本当に手間が省けたな)


 桜華は口元を綻ばせた。

 あの吹雪の化身は手本としては充分だった。


(まずは魂力オドの戦装束だが……)


 あれは自分には合わないと思った。

 象徴たる化身を自身と分離させることもだ。


(むしろ『私』自身の拡大……『私』の剣技を十全に発揮できるような……)


 想像する。


 おのれの力。

 おのれの象徴。

 最も強くなれるおのれの姿を――。


 ザワザワ、と。

 輝く桜の花びらが舞う。

 それは桜華を中心に舞っていた。


 想いを象っていく。

 今まさに彼女の象徴シンボルは現れようとしていた。

 彼女の百年に渡る怒りと憎悪を糧にした象徴シンボルである。

 もしも顕現していれば、それ・・はとても恐ろしい姿をしていたのかも知れない。


 ――悪鬼羅刹。

 そう呼べるような魔神だったかも知れない。

 だが、結論から言えば、それ・・が現れることはなかった。


 深く集中していた桜華の意識を。

 ――否、彼女の想いそのものを吹き飛ばすような事態が訪れたからだ。


 それは天から現れた。

 月華の世界の夜空に再び亀裂が奔ったのだ。

 またしても闖入者のようだ。

 桜華は亀裂に目をやって眉をしかめた。


(邪魔をしてくれる)


 あと一歩。

 あと数秒で完全に感覚を掴めるというのに。

 ムロや刀歌たちも空を見上げていた。


(増援か……)


 そう考えた時だった。

 亀裂が大きく広がった。

 そして落ちてきたのは二人の人物だった。

 一人は髪の長い女だ。

 何やら隊服らしき衣服を着ている。同行者に抱きかかえられていた。

 そうして、その同行者であるもう一人は――。


 ………………………………。

 …………………………。

 ……………………。


 その時。

 彼女の全身は凍り付いた。


 その可能性を、全く思い浮かべなかった訳ではなかった。

 存在しないはずの従霊たち。

 そこから想定できる状況としてはあいつ・・・の血族がいるということだ。

 あいつ・・・の力を受け継ぐ者がいる。

 それを九龍に問い質すつもりだった。


 だが、心の奥底では――。

 願望とも呼べる別の可能性が浮かんでいた。

 しかし、彼女はそれを考えないようにしていた。


 期待を抱き、もし、そうでなかったら……。

 そう考えると、怖かったからだ。

 それは泡沫のような儚い願望のはずだった。


 けれど、いま自分が見る現実は――。


 黒き光刃が霧散する。

 何も考えられない。

 何も聞こえない。

 呼吸さえも忘れていた。

 ただただ目を見開いて。

 ただただ茫然と。

 静かに一筋の涙だけを零して。

 彼女は、その青年の姿を瞳に映していた――。



       ◆



 放り出されたのは宙空。

 地上から二十メートルほどの高さか。

 侵入した封宮メイズは、輝く桜が舞う月華の世界だった。

 これまで遭遇した封宮メイズの中でも最も美しく幻想的な世界である。

 しかし、どれだけ美しかろうが、ここは敵の世界。

 悠長に景色を楽しむ訳にもいかなかった。

 真刃は芽衣を抱きかかえながら眼下に目をやった。


 まず視界に捉えたのは巨大な龍だ。

 九龍である。

 九龍がいる以上、ここには六炉だけでなくエルナもいるということだ。


「シィくんっ!」


 芽衣が叫ぶ。


「あそこにムロちゃんとエルナちゃんたちがいるよ!」


 視線を向けて教えてくれる。

 九龍のすぐ傍だ。

 そこにエルナとかなた、刀歌がいる。

 さらに近くには六炉の姿もあった。


(……やはりか)


 真刃は表情を険しくした。

 六炉が戦衣ドレスを纏っていたからだ。

 象徴シンボルまで使用するとは、やはり相当な強敵と対峙していたようだ。

 この場に燦と月子の姿が見えないことに不安を感じるが、この封宮メイズは瑠璃城学園から少し離れた場所に展開されていた。

 恐らくは救援に向かっていたエルナたちを妨害するために展開されたのだろう。


(いずれにせよ急がねばな)


 エルナたちが無事だったことには安堵するが、燦と月子のことが心配だった。

 六炉と一緒に行動していたはずの山岡の姿がないことも気になる。

 そうこうしている内に真刃は着地した。


「芽衣」


 真刃は芽衣をその場に降ろして告げた。


「エルナたちを頼む。負傷しているやもしれん」


「うん。分かったよ」


 芽衣は頷くと、エルナたちの方へと駆け出した。

 真刃はその姿に視線を向けつつ、


(早々に片付けんといかんな)


 そう考える。

 現状、燦たちの方には火緋神家の護衛者しか向かっていない状況だからだ。


(……だが)


 そうは言ってもあの六炉に戦衣ドレスを纏わせるほどの相手だ。

 決して容易くはないだろう。

 と、考えていたその時だった。


『………莫、迦な。これは……』


 状況把握をする真刃の代わりに敵を警戒していた猿忌がそんな呟きを零した。


「……? どうした、猿忌よ?」


 真刃は眉をひそめて猿忌に目を向ける。

 常に冷静な従霊の長は、珍しく愕然と目を見開いていた。


『……これは、これはいかなる悪戯あくぎなのだ……?』


 独白するように呟く猿忌。

 真刃は猿忌のただならぬ様子に警戒を高めて、初めて『敵』に目をやった。

 そうして――。

 数秒と経たずして真刃も目を見開くことになった。


 ――相手は女だった。

 異国の衣装ドレスを纏う女である。確か以前刀歌が同じ服を着ていたのを憶えている。

 六炉との戦いは余程の激戦だったのか、その服は大きく損傷していた。至るところに裂傷があり、腹部などは白い素肌をほぼさらけ出している。


 結果的にではあるが、実に煽情的な姿だった。男ならば目を奪われる。もしくは逆に視線を逸らすような姿ではあるが、真刃は別の理由で彼女から目を離せなかった。


 確かに美しい女だ。

 容姿においてすべてが群を抜いている。

 艶やかなる肢体には誰もが心を奪われることだろう。


 しかし、真刃は彼女の顔にこそ魅入っていた。

 唇に紅を引く姿こそ初めて見たが、自分が見間違うはずもない。


 かつてただ一人。

 自分が背中を預けた友のことを――。


「……お前は……」


 そして茫然と。

 真刃は、その名を呼んだ。


「………御、影?」


 ――と。








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