第306話 迫る決戦②

 同時刻。

 フォスター邸、真刃の私室にて。


 缶コーヒーを片手に、部屋の主人たる真刃は一息ついていた。

 ラフな私服姿でワークチェアに座っている。


 今日は本当に様々なことがあった。

 獅童たちの迎い入れから始まり、桜華からの連絡と、彼女と対談したエルナたちの報告。

 そして先程の大門からの通話。


 何とも忙しい日であった。

 忙しすぎて綾香から頼まれていた神楽坂姉妹とは顔合わせぐらいしか出来なかった。同年代の燦と月子に任せたが、あの娘たちは燦たちと仲良くなれただろうか。

 山岡にも、あの娘たちのために労力をかけてもらっている。

 明日こそは面談できるようにしなければ。

 そんなことを考えつつ、流石に今日は何もないと思って一息入れたのだが……。


 ――ピコン、と。

 ワークデスクの上に置いていたスマホが鳴った。


『あ。珍しいっス』


 同時にスマホに宿る金羊が告げる。


『天堂院家の七奈ちゃんからのメールっスよ』


「……七奈からか?」真刃は眉根を寄せた。


「用件は何だ?」


『うっス。急ぎではないみたいっスけど、一度場を設けて直接話がしたいそうっス。出来ればムロちゃんも同席で』


「……ふむ」


 缶コーヒーをワークデスクに置いて、真刃は双眸を細めた。

 同時に、ボボボッと。

 宙空に霊体の猿忌が姿を現した。


『直接会うということは、かなり重要な案件ではないか?』


「ああ。そうだな」


 真刃も頷く。

 七奈は思慮深い娘だ。やや慎重すぎる節もあるが、メールや通話でなく、異母姉まで招いて場を設けたいと言っている以上、猿忌の推測通りだろう。


「ふむ。今すぐは無理だが、現状が解決次第、こちらから連絡すると返信してくれ」


 用件だけ先に送ってもらうことも出来るが、七奈は今や真刃の義妹である。

 六炉が異母妹を大切にしていることも知っている。

 慎重を期したいという七奈の意向を無下にはしたくなかった。


『了解っス』と金羊は応えた。


 と、その時だった。

 ――コンコン。

 ドアがノックされる。

 真刃はドアに目をやった。

 この時間、来客の予定はないが「入っていいぞ」と声を掛けた。


 ドアが開かれる。

 そこにいたのは刀歌だった。部屋着である緑色のジャージ姿だが、今はトップスに黒いタンクトップを身に着けて、上着は腰に巻き付けている。

 入浴の後なのか、長い黒髪は下されていて、髪にいつも以上に艶やかさがあった。


「どうかしたか? 刀歌?」


 真刃が問うと、刀歌は「う、うん」と頷いた。

 そしてトコトコと真刃の元へと近づく。


「今日は手間を掛けてしまったな」


 一方、真刃は笑みを浮かべて刀歌を労う。


「だが、おかげで助かった。桜華の件は、後はオレが決着をつければいいことだ」


「う、うん」


 刀歌は頷く。


「その件で実は主君にお願いがあるんだ。まあ、用件はそれだけでないけど……」


 そう告げて、彼女は少し視線を落とした。

 真刃は眉を微かに上げた。


「……今日、出会ったという男についてか」


 そう尋ねると、刀歌は、こくんと首肯した。


「……正直、気味が悪い男だった」


 今日の桜華師との対談。

 その場に突如、割り込んできた金髪碧眼の男。

 どこにでもいるナンパ師のような軽い口調と態度だったが、その眼差しに刀歌はもちろん、エルナもかなたも悪寒を覚えた。

 まるで獲物を見つけた時の獣のような眼差しだったのだ。


 断じて一般人ではない。恐らくは引導師ボーダーか。

 全員がそう感じていた。


 その男はくだけた口調で親愛の言葉を紡ぎながらも、獣のような双眸で交互に桜華と刀歌の姿を捉えていた。その視線を受けるたびに刀歌の背中には悪寒が奔ったものだ。

 あまりに不躾な眼差しに、流石にエルナとかなたも不快感を覚えた。

 それは桜華の方も同様だったのだろう。

 彼女は、最初から最後まで冷たい瞳でその男を見据えていた。


 ――と、その時だった。


『……あン?』


 いきなり男のスマホが鳴ったのだ。

 青年は『いやあ、すまないねえ』と桜華たちに詫びを入れると通話に応じた。

 十数秒後、『え? そこじゃない? 南口側のファミレス?』と呟いた。

 そうして通話を終えると、渋面を浮かべて。


『ああ。そういうことかよ。姉御め。紛らわしんだよ。ああ、そこの麗しい君――』


 そう言って、熱を帯びた瞳で桜華を見つめる。


『急な用が出来たから、ここでお暇しなければならないんだ。とても残念だ。けれど、願わくば君の名前を教えてくれないかな?』


 そんなことを尋ねてきた。

 当然ながら、桜華は返答しない。冷たい眼差しで青年を見据えるだけだ。

 青年は無念そうに眉根を寄せつつ肩を竦めた。


『まあ、今日のところはお暇するよ。けどさ』


 そこで刀歌を見やる。


『御影刀歌ちゃん』


『――――な』


 名乗ってもいない名を呼ばれて、刀歌は目を瞠った。

 青年は、桜華の方にも目をやって言葉を続ける。


『そしてそのお姉さんも』


 金髪の男は、にこやかに笑った。


『二人ともまた会おうぜ。再会を楽しみにしてるぜ』


 最後にそう告げて、青年は去っていった。

 刀歌はもちろん、エルナたちも気味の悪い想いをしていた。


『……最近だが』


 そんな中、桜華が口を開いた。


『この街で行方不明になる引導師いんどうしが増えているそうだ。特に若い世代がな』


『………え?』


 刀歌が目を瞠る。エルナたちも驚いた顔をした。


『先程の奴がそれに関わっているのかまでは分からないが、気をつけるに越したことはない。今日はそれを言いたかった』


 そう告げて、桜華は立ち上がった。


『今日はお前の元気な姿を見れて良かったぞ。刀歌』


 一拍おいて、桜華は真刃への伝言――果たし合いの日時と場所を告げた。

 それは三日後の夜の話だった。

 そうして、桜華もまた立ち去っていった。


「……桜華師は」


 刀歌は言う。


「きっと、私のことを心配して様子を見るために呼び出したんだな」


「ああ。そうだろうな……」


 真刃は双眸を細めた。


「あやつはそういう奴だった」


「……うん」


 刀歌は頷いた。

 が、すぐに眉しかめて、


「だが、最後の男は本当に最悪だった。気味が悪い……」


『刀歌ちゃんの名前を知っている時点で明らかに危険人物っスからね。そいつの写真や映像が残っていれば、素性の確認も出来るんスけど……』


 スマホから金羊が語る。


『最近は国外から来る引導師ボーダーも多いっスから、口頭で聞く容姿の情報だけだと、ヒットする件数が多すぎるっスね。黒髪と黒い瞳の情報で特定の日本人を探せって感じっス』


「……桜華の警告通り」嘆息して真刃が言う。


「やはり気を付けるしかあるまい。特にその男には。お前はもちろん、エルナたちもな」


「うん。分かってる。けど……」


 刀歌は首肯しつつも、こう言った。


「……もう一度言うぞ。本当に気味が悪い男だったんだ」


 そうして、両手を真刃に向けてくる。

 真刃は一瞬、訝しげに眉をひそめるが、頬を少し膨らませて「……むっ!」とさらに手を伸ばす刀歌に、「……ああ」と苦笑を零した。


『……ふむ』『なるほどっス』


 空気を察した猿忌と金羊が、その場から消えた。

 ちなみに、真刃の服のポケットにしまわれている刃鳥もだ。

 普段はリボンに宿る蝶花は最初から席を外していた。

 従霊たちが全員去ってから、真刃は刀歌を手招きした。


 刀歌は瞳を輝かせた。

 早足で駆け寄ると、ワークチェアに座る真刃の膝の上に乗った。

 そして、


「……主君。真刃さま……」


 刀歌は真刃の背中に両腕を回した。

 二人分の体重に、ギシリとワークチェアが軋む。

 真刃は双眸を細めた。


「……怖かったか? 刀歌」


「……うん」


 ギュッと抱き着いたまま、刀歌は頷く。

 真刃は「そうか」と優しい眼差しを向けて、彼女の長い髪を梳かした。

 しばらく彼女の頭を撫で続ける。と、


「……真刃さま。私は……」


 刀歌は少し体を離して、上目遣いでこう尋ねた。


「……桜華師の下位互換なのか?」


「下位、互換……?」


 一瞬、言葉の意味が見当つかず真刃は眉をひそめた。

 が、すぐに言葉の造りから意味を理解する。


「……呆れたな」


 真刃は嘆息した。

 一方、刀歌の瞳は少しだけ涙ぐんでいた。


オレにとって桜華の代わりはいない」


 そう告げる真刃に、刀歌の肩はビクッと震えるが、


「そして刀歌の代わりも当然いない。いるはずもなかろう。何なのだ、その言葉は。下位互換だと? ふざけた言葉だ」


 少し憤慨した様子で真刃はそう続ける。

 刀歌は「……あ」と声を零した。

 そして、


「~~~~~~っっ!」


 刀歌は全身で真刃に抱き着いた。

 真刃は少し面を喰らったが、すぐに、ふっと微笑んで刀歌の髪を再び撫で始めた。


「……真刃さま、真刃さまぁ……」


 それから、刀歌は愛しい人の首筋に顔を埋めたり、頬ずりするなどして甘えた。どさくさに頬に軽いキスもしたが、流石に唇を重ねようとすると額を突かれて窘められた。

「むむ」と刀歌は頬を膨らませたが、真刃に近況を尋ねられると、満面の笑みで進学したばかりの高等部の話などもした。その笑顔のまま、再びぎゅうっと抱き着く。この時間のために寵愛権も事前に申請しておいたので、刀歌はしっかりと妃の権利を満喫した。


 そうして二十分ほど経ち……。


「……真刃さまぁ……」


 真刃の腕の中。

 幸福に満ちた眼差しで自分が愛されていると実感していた刀歌だったが、おもむろに「あ」と呟いた。もう一つの用件を思い出したのだ。


「……コホン。真刃さま。主君」


 言って、体を起こす。

 真刃の膝の上に乗ったままでありつつも、背筋を真っ直ぐにして刀歌は言う。


「実は桜華師に対して、主君に頼みがあるんだ」


「……何だ?」


 何となく六炉とのやり取りを思い出しながら、真刃は問う。

 すると、刀歌は、


「桜華師との決闘。出来れば主君には全力で臨んで欲しい」


「…………」


 真刃は沈黙する。刀歌は言葉を続けた。


「桜華師は、一人の剣士として本当に主君に勝ちたいと思っている」


「…………」


「弟子である私だからこそ分かるんだ。桜華師は本気だ。絶対に全力で来る。だから、主君もまた全力で彼女を迎え撃って欲しいんだ」


 一拍おいて、


「あなたの妃としてではない。一人の剣士として主君に頼みたい。どうか、桜華師の剣士としての望みに応えてくれ」


 そんな刀歌の真摯な願いに、


「……ああ」


 真刃は、ゆっくりと頷いた。


「分かった。オレもまた全力・・で臨むことを約束しよう」


「……うん」


 刀歌は微笑んだ。


「ありがとう。主君」


 そう感謝を告げて、最後にもう一度だけ抱き着いた。

 数十秒の抱擁。

 真刃が、ポンポンと刀歌の背中を叩くと、ようやく彼女は真刃の上から降りた。

 刀歌はホクホク顔で「では、おやすみ!」と告げて退室していった。

 ややあって、


「そろそろ戻ってこい。お前たち」


 真刃がそう告げると、


『うむ。参妃を確と愛でてやったか? 主よ?』


 ボボボ、と再び宙に現れた猿忌が言う。


「黙れ」


『つうか、刀歌ちゃんのスタイルは、ムロちゃんや芽衣ちゃん相手でもそんなに引けはとらないっスよ。あのクラスのおっぱいをほぼ直当てしても、絶対に据え膳を食おうとしないご主人の鉄壁の理性と、揺るぎない父性にはそろそろ感服するっスよ』


 スマホの中から、金羊も言う。


「黙れ」


『……確かに感服するほどの理性ですが、今はそれでも宜しいかと。ここはやはり桜華さまからだとわたくしは思いますわ。彼女が待たされた期間は、それこそ百年なのですから』


 ペーパーナイフに宿る刃鳥も言った。


「……黙れ。お前たちは……」


 真刃は深々と嘆息し、片手で額を押さえた。

 と、その時である。

 ――ピコン、と。

 再びスマホが鳴った。

 真刃は、視線をスマホに向けた。


「……七奈からの返信か?」


 タイミング的にその可能性が高い。

 真刃がそう尋ねると、


『……いや違うっス。ご主人、これは……』


 神妙な声で、金羊はメールの送信者と件名を告げた。

 真刃は微かに片眉を上げた。

 そして、


「やはり奇妙な時代だ」


 ワークデスクに肩肘をつき、真刃は苦笑を浮かべた。


「敵と見なした者から、こうも容易くふみが届くとはな」












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