第8部 『百年乙女―騒乱疾駆―』
プロローグ
第286話 プロローグ
呉越同舟という言葉がある。
意味としては、敵同士が同じ場所に居合わせること。
または敵同士であっても同じ目的のために協力するなどが挙げられる。
今、このファミリーレストランで起きている事態は前者の意味になるだろう。
とても『協力』のような言葉は挙げられない。
空気が、あまりにも張り詰めすぎていた。
長い沈黙。
そこにいるのは二人の人物だった。
一人は長い黒髪の少女。
年の頃は十七か十八ほど。やや勝気な眼差しに、抜群のプロモーションを持つ、大通りを歩けば誰もが振り返るほどの美少女だ。
今は袖のない白のブラウスの上に、赤いネクタイを着けている。ボトムスは短い丈の黒いプリッツスカートと、黒いストッキングと同色の
火緋神杠葉である。
もう一人も黒髪の少女。髪の長さは肩までほどだ。
少し大人びて見えるが、年の頃は十八ほど。
身に纏うのは、夜空を思わせるような
隣の席には、
美貌、プロポーションともに杠葉にも劣らない女性である。むしろ体を引き締めるレギンスを着ているため、スタイルはさらに際立っていた。
御影桜華――否、久遠桜華だ。
二人は、テーブルを挟んで向かい合っていた。
睨み合う……とは少し違う。
静かな眼差しでお互いを見据えていた。
(き、気まずいよォ……)
一方、冷たい汗を流すのはホマレだった。
桜華の耳に取り付けられた
それに内蔵されたカメラを通じて、ホマレはこの状況に立ち会うことになっていた。
美少女二人が何も語ることもなく見つめ合っている。
とても画にはなるが、それ以上に緊張感が桁違いだ。
カメラ越しでもそれが伝わってくる。
そんな状況に、店内も自然と静かになっていた。
まさかこんな事態に陥るとは、完全に想定外だった。
(けど、この子が『火緋神杠葉』か……)
しかし、これはよい機会でもある。
ホマレは、まじまじと杠葉を観察した。
しかも、想定以上に若い。
恐らくまだ二十代にも入っていないはずだ。
(たぶん、桜華ちゃんと同世代だとは思っていたけど……)
こんな少女――いや、桜華も合わせて、十代の少女たちが『夫を殺した』などという愛憎うず巻く殺し合いのような真似をしたのだろうか……。
(ちょっとイメージがつかないなあ)
自室のキングベッドの上で胡坐をかいたまま、素直にそう思う。
桜華からその名を聞いた時。
ホマレは『火緋神杠葉』について調べてみた。
名前からして、かの火緋神家の人間だとは想像していたが、出てくる情報は一切なし。SNS上にもわずかな痕跡さえもなかった。
一体何者なのかとずっと疑問に思っていた。
ただ、全く情報を掴めなかったのは桜華の方も同様である。
恐らく彼女たちは裏世界の人間。それも深淵にいるような人間なのだろう。
そう考えていたが、目の前の杠葉という少女を見ていると……。
(深淵というより、むしろ太陽みたいな子だね)
そんな感想を抱く。
何と言うか、輝くようなオーラがカメラ越しでも分かる。
夜空のイメージがある桜華とは、実に対照的だった。
まあ、いずれにせよ、決意も新たに再スタートしたこのタイミングで仇敵と呼んでいた相手と遭遇するなど、想定外もいいところだったが。
(どうするの? 桜華ちゃん)
眉根を寄せて、そう思った時、
「……久しいな」
ようやく桜華が唇を開いた。
「火緋神杠葉。まさかこんな場所でお前と出くわすとはな」
皮肉気な笑みを見せてそう告げる。
「……ええ。そうね」
一方、杠葉も重い口を動かした。
が、すぐに眉根を寄せて。
「けど、その姿はどうしたの? あなたは本当に御影さんなのね?」
「ああ。そうだ」
桜華は首肯する。
「確かに『私』はお前の知る御影だ。だが、その家名はすでに捨てたモノだ。今の『私』の名は『久遠桜華』だ」
「………え?」
杠葉は目を軽く瞠った。桜華は構わず続ける。
「『桜華』は女性としての『私』の本名だ。『久遠』は……言わずとも分かるな?」
「…………」
「今の『私』はお前の同類だ」
豊かな胸に片手を当てて、桜華は言う。
「お前が神刀より魂力を注がれるように、今の『私』は常に龍泉から魂力を得ている。この姿はその結果だ」
そこで小さく息を吐く。
「龍泉の地にてこの姿を取り戻したあの日。お前への復讐を誓って『私』は『久遠桜華』を名乗った。だが、今となってはそれも別の願いへと変わったがな」
「……どういうこと?」
眉をひそめてそう尋ねる杠葉に、
「……お前への復讐はもうどうでもいい」
桜華は、少し冷えたコーヒーを口にした。
「……何故なら『私』は……」
一拍おいて、
「
強い想いを込めてそう告げる。
「………え?」
その台詞に杠葉は数瞬、目を瞬かせた。
が、桜華の憂いを帯びる表情を目の当たりにして、すぐにハッとした。
あれほど復讐に囚われていた彼女に、こんな表情をさせる者がいるとしたら――。
「……あなたは逢ったの? 真刃に……」
女の直感でそう問う。
「……ああ」
コーヒーカップを置き、桜華は頷く。
「再会した。まだ顔を合わせた程度だがな。しかし、なるほどな」
桜華は、双眸を鋭く細める。
「その台詞がすぐに出てくると言うことは、やはりお前も知っていたのだな。あいつが生きていたということを」
「……知ったのはつい最近よ」
少し躊躇しつつも、杠葉は返答する。
「五将の狼覇と赫獅子とも会ったわ。彼らから少しだけ状況も聞いたわ。直接尋ねた訳じゃないけど、恐らく真刃は――」
そこでキュッと唇を噛んだ。
「
それが五将と対峙して導き出した推測だった。
一方、桜華は、
「……時間停止、だと?」
予想していなかった台詞に眉をしかめる。
が、ややあって「そういうことか……」と小さく呟く。
「……五将筆頭・時雫。確かにあの従霊は時間停止の異能を有していた。あり得ない話ではないな。だが、百年に渡って時間を停めるとなると……」
表情に陰りを宿して、視線を落とす。
それを実行するには、途方もないほどの莫大な
だが、真刃が彼らを犠牲にするとは考えられない。
自分が生き延びるために従者を犠牲にする。
桜華と――杠葉が愛した男は、そのような判断をする人物では断じてない。
恐らくは、真刃を生かすために時雫を始めとする従霊たちは自ら犠牲になったのだ。
再び杠葉と桜華は沈黙する。
片や、かつての恋人。
片や、かつての相棒。
彼女たちは従霊という存在を熟知していた。
「…………」
桜華は、静かに胸元の水晶の首飾りを握りしめた。
「……『私』はすべての従霊たちに感謝すべきなのだな……」
囁くように彼女は呟く。
「存在と引き換えにしてまであいつを助けてくれて。彼らのおかげで『私』は再びあいつと巡り合えた。そう。『私』は……」
唇を噛みしめて、遠い眼差しを見せる。
「あいつがいないと『私』でいられないのだ。それを思い知る長い
本当に。
本当に迷い、彷徨い続けた百年だった。
今はただ強く彼に逢いたいと願っている。
「……御影さん」
神妙な声で桜華の名を呼ぶ杠葉に、
「……『私』のことは桜華と呼べ」
桜華はそう告げる。
「お前にそう呼ばれるのは業腹だが、御影の名を捨てた今、それ以外の呼び名が適していない以上、仕方があるまい。だが」
そこで彼女は杠葉を一瞥して口角を上げた。
「会話からして、お前はまだあいつと再会していないようだな」
「…………」
杠葉は何も答えない。
視線を逸らして唇を強く噛んでいた。
「後悔か? それとも自身に対する嫌悪か?」
桜華の問いかけに、杠葉は再び沈黙で返す。
「勇気も出せないか。ふん……」
沈黙するしかない杠葉に、桜華は立ち上がって告げた。
「まさに自縄自縛だな。お前はそこで膝を抱えて座り込んでいろ」
「…………」
「『私』は先に行く」
桜華は前を向いた。
「かつて叶わなかった願いを、今度こそ掴み取るために」
静かな声でそう宣告して。
桜華はその場から立ち去って行った。
残されたのは杠葉だけだ。
しばし沈黙する。
果たして、どれぐらいの時間が経っただろうか……。
「………そうね」
ややあって、彼女は天井を見上げた。
そうして、
「後悔も罪も消えない。けど、それでも私も進むべきなのよね」
その先に待つのが
静かな声でそう呟いた。
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読者のみなさま。
長らくお待たせしました! 第8部スタートします!
そして長期休暇ということで8/13(土)~8/17(水)までの五日間、毎朝8時に投稿します!
頑張りますので、よろしくお願いいたします!
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