第309話 迫る決戦➄

 同時刻。

 ――ヒュンッ!

 赤く装飾された金属棍が空を切り裂く!


 場所は廃ホテルの屋上だ。

 赤い棍を振るうのはワンだった。

 鍛え上げられた肉体は、上半身を剥き出しにしている。

 どれほどの時間を鍛錬に使っているのか、玉のような汗を筋肉に伝わらせている。

 彼は、二メートルはある棍を自在に操っていた。

 そして――。

 ――ダンッ!

 強くコンクリート床を踏み抜き、刺突を繰り出した!

 汗を飛び散らせて、ワンがようやく動きを止めた。


「……なるほどな」


 グッ、と棍を握る手に力を込める。

 ワンはニヤリと笑った。

 すると、


「よう。ワン


 後ろから声を掛けられる。

 ワンが真紅の棍を肩に担いで振り向くと、そこには二人の人物がいた。

 やたらとご機嫌なビアンと、どこか疲れ切った様子の蘭花ランファだ。


「おう。お前らか」


 ワンは笑う。


「昨日はよく休めたか? つうか、随分と眠そうだな。蘭花ランファ


「……こいつに叩き起こされたのよ」


 欠伸をしつつ、蘭花ランファは答える。


「こいつだって明け方近くまで起きてたはずなのに。しかも、そこからまた一戦し始めるし、何なのよ、こいつは……」


 ゴツン、と肘をビアンに押し付ける。

 ビアンは「ケケケ」と笑った。


「まあ、そこは念入りにってやつだな」


 言って、蘭花ランファの腰に手を回して、手を彼女の腹部に当てた。

 タンクトップで腹部も剥き出しのため、素肌がビアンに撫でられる。


「…………」


 蘭花ランファは無言だったが、おもむろにジト目でワンの方を見据えて、


「ねえ、ワン


「おう? 何だ?」


 真紅の棍で肩を叩きつつ、ワンが尋ね返す。


「あんたって夜の方はどんな感じなの?」


「……は?」


 流石にワンも眉根を寄せた。


「いや、なに聞いてんだ。お前?」


「……忌まわしいけど、私ってこいつしか男を知らないのよ。だから」


 そこで蘭花ランファは周囲に目をやった。


春鈴シュンリン、ここにいないわね。まだ寝てるの?」


「ああ」ワンは頷いた。


「昨夜はまあ、ちょいと無茶させちまったしな」


「……それってやっぱ薬物クスリ? おバカになるトリップ系のドラッグ?」


「……いや、それは俺の趣味じゃねえって」


 そう告げて、ワンは半眼でビアンを見やる。

 しかし、ガキの頃からの悪友は太々しく笑うだけだ。

 ワンは溜息をつきつつ、


「そういや蘭花ランファは潰した《ピンイン》の『戦利品』としてウチに入ったんだったな。敗者の宿命で済ましちまうには、こいつが最初の相手ってのは今思うとえぐかったか。けどまあ、それも俺が許可したことだしな……」


 一拍おいて、


「悪いと思うから少しは答えるが、あいつは、いつも自分はそこそこって言う癖があんだよ。昨夜はそれをさせなかった」


 そこで、ボリボリと頭を掻いて、


「あいつから素直に求められるように、まあ、そんな感じで進めていった訳だ。それでやっと素直になってくれたんだが、それが想像以上に愛らしくてな……これ以上は勘弁しろよ」


 言って、話を終わらせるワン

 蘭花ランファは無言である。

 そして自分の腹部をずっと擦り続けるビアンを見やり、


「……なんで私の男はこれなのよ……」


 深々と嘆息した。


「まあ、いいじゃねえか。それよりよ」


 そんなやり取りの後、ビアンワンを見据えた。

 正確に言えば、その手に掴む真紅の棍を、だ。


「そいつには慣れたか?」


「おう」


 ワンは棍を一回転させた。


「色々と出来ることは確認した。流石は伝承級の鉱物だな」


 言って、ピタリと棍を構える。

 この真紅の棍は《未亡人ウィドウ》から譲り受けたヒヒイロカネを加工して造った武具だ。

 名付けるなら『くれない如意にょい』か。


「頼もしい相棒になってくれそうだぜ」


「そうか……」


 ビアンは双眸を細めた。


「今夜、行くんだな」


「おう」


 紅如意を肩に担ぎ直してワンは頷く。


「お前らのおかげで準備は整った。なら早い方がいいだろ」


「そうか……」


 ビアンは拳を突き出した。


「まあ、死ぬんじゃねえぞ」


「ああ。分かっているさ」


 ワンも拳を突き出して、ゴツンと重ねた。


春鈴シュンリンと俺の隷者ドナーたちに声を掛けたら行くつもりだ。指揮権は一旦お前に預けんぞ」


「おう。了解だ」


 ビアンは頷いた。

 そうしてワンは片手を上げながら、廃ホテルの中へと降りていった。

 屋上に残ったのは、ビアン蘭花ランファだけだ。

 ややあって、


「……勝てるの?」


 蘭花ランファが呟く。


「《未亡人ウィドウ》の旦那って、エボンを殺した男だったんでしょう?」


「……ああ」


 ビアンは首肯した。


「知った時は俺もまさかとは思ったが、同時に納得もしたぜ」


 あの男の恐ろしさは骨身に沁みている。

 怪物女の男は、やはり怪物だったということだ。


「まともにやったら今のワンでも勝ち目はねえ。だが、それでも勝利を掴むのがワンって男だ。そんでやっぱり勝てそうにねえのなら――」


 ふっと笑う。


「あっさり逃げて仕切り直す。それもワンだ。死なねえ限り敗北じゃねえ。何度逃げても最後の一回だけ勝てばいい。そうやってワンはここまで成り上がって来たんだ」


 信頼を以て、そう告げる。

 蘭花ランファは少し感心した顔でビアンを見つめるのだが、


「さて。俺らも準備だ。今夜、月子を拉致んぞ」


「…………は?」


 唐突なビアンの宣言に目を丸くした。


「え? どういうこと? だって今夜、ワンは命を懸けた決闘をするんでしょう?」


「おう、そうさ」


 蘭花ランファの腰を掴んだまま、ビアンは堂々と告げる。


「ってことは、そん時だけは、あの化け物野郎が月子の傍にはいねえってことだろ? まさに狙い目じゃねえか」


「何それ、最悪」


 蘭花ランファはジト目でビアンを睨みつけた。


「一人で決戦に向かう親友を囮にするってこと?」


「はン。それはワンも承知の上さ」


 ビアンは言う。


「その程度で崩れるような薄っぺらい関係じゃあねえんだよ。俺らはよ」


 そこで肩を竦めて、


「それにな、ワンが負けて逃げ帰った時、あの化け物野郎にただ勝利を渡すなんてシャクじゃねえか。そこで俺が月子を攫っておけば一矢報えるってもんだろ」


「……よく言うわね」


 蘭花ランファはジト目のままだ。


「結局、あんたの欲望じゃない」


「当然だろ。俺はそもそも下衆なんだよ」


 グッと強く蘭花ランファを抱き寄せて、


「暗躍も小細工も上等よ。卑怯な手こそが下衆の真骨頂ってもんだろ」


 そう言って、ビアンは「ケケケ」と笑った。

 

 太陽はまだ高い。

 だがしかし、夜は確実にやってくる。

 決戦の時は近かった――。













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