幕間一 天の一族
第260話 天の一族
和装の男性が静かに歩く。
そこは広大な庭園が見える渡り廊下。
――東の大家。
天堂院家の本邸である。
和装の男性は二十代後半の青年だった。
大柄で精悍な顔つきの男性である。
彼は黙々と目的の部屋に向かっていた。
すると、
「あ。お兄さま」
後ろから声を掛けられた。
足を止めて振り向くと、そこには一人の女性がいた。
年齢は二十歳ほど。短い髪の和装の女性だ。
青年の異母妹だった。
彼女は大きなお腹を両手で支えて小走りに近づいてくる。
「
青年は嘆息した。
「身重で走るなと言っているだろう」
そう注意する。
異母妹は昔からすぐに走り出すような向こう見ずというか、活発な娘だった。
それは子供を宿しても変わらないらしい。
「あはは。ごめん。誠治お兄さま」
と、彼女――沙羅は陽気に笑う。
青年は、やれやれと再び嘆息した。
彼の名は
天堂院家の分家の一つ。高楼家の現当主である。
「それよりお兄さまも
「ああ。
言って、誠治は歩き出す。
沙羅も並んで進む。
「言伝って?」
「ご当主さまから四我さまへだ」
「うわあ、何か嫌な予感がするね」
沙羅は自分のお腹を擦りながら、苦笑を浮かべた。
兄妹は進む。
ややあって和室に到着した。
「四我さま。誠治です」
襖に向かってそう告げると、「入りな」と即答が返ってきた。
誠治は一礼して「失礼します」と告げて襖を開けた。
開かれた部屋はやはり和室だ。
ただ純和風ではなく、内装は洋風の印象だ。
ベッドに大きな執務机。書棚。畳の上には絨毯も敷いてある。
執務席には一人の青年が座っていた。
年齢は二十代前半ほどか。白いYシャツとスラックスを履いた青年だ。普段はネクタイもしているのだが、私室だけあって今は外している。
顔つきはよく言えば精悍だが、荒々しさの印象が強かった。
「ハロー。四我さま」
と、さま付けこそしているが、随分と軽い口調で沙羅が走り出した。
すると、絨毯と畳のわずかな段差を見誤り、彼女は前のめりに重心を崩した。
誠治が目を瞠るが、それと同時に動いたものがいた。
この部屋の主人だ。彼の全身がいきなり光と化して爆発したのだ。
文字通りの光の速度で移動すると、すぐさま実体化した。
倒れそうになった沙羅の前でだ。
彼女は、青年の両腕で抱き止められた。
「おい。愚図女」
青年は言う。
「いつもどんくせえんだよ。てめえはよ」
剣呑な眼差しで沙羅を見据える。
「分かってんのかよ。てめえは俺のガキを孕んでんだぞ。てめえなんぞの代わりは幾らでもいるが、俺のガキをなに危険に晒してんだよ。愚図女が」
辛辣な言葉は続く。
「てめえは容器なんだよ。俺のガキのためのただの容器だ。それを理解しやがれ」
それは、あまりにも酷い言いようだった。
誰が聞いても不快な台詞である。
ましてや当事者ならば怒りも覚えることだろう。
しかし、
……ぎゅううっと。
言葉とは裏腹に、青年は沙羅を力強く抱きしめていた。
ただの容器とまで言い放っておきながら、大切そうに彼女の肩を掴んでいた。
「……四我さま」
誠治が声を掛けると、彼の主たる青年――天堂院四我は「ああ」と答えて。
「何か報告か? 話を聞くぞ」
そう告げる。
そのまま沙羅を突き離すかと思いきや、ぐいっと彼女を両腕で抱き上げた。
「……えっと、四我さま」
「少し黙ってろ。愚図女が」
言って、彼女を抱き上げたまま、ベッドの縁に腰をかけた。
それから彼女の腹部に優しく手を置いて、
「……マジで怪我なんてしてねえだろうな?」
そう告げて、今度は彼女の頬に片手をやった。
沙羅はネコのように目を細めた。
「……四我さま。くすぐったい」
「うるせえ。罰だ。お前はもう少し落ち着いて行動しやがれ」
と、少しだけ優しい口調で四我は言った。
それから小さな声で「……悪りィ。また酷でェこと言った」と謝罪していた。
(……相変わらず、最後には愛情が隠しきれなくなるお方だな)
誠治は嘆息した。
これは主の悪癖だった。
凶悪で苛烈な台詞を言い放ちつつも、それは決して本心ではない。
だが、一度口に出してしまった以上、最初は高圧的な態度を続けようとするのだが、徐々に軟化させて、結局、最後には相手を気遣う態度を見せるのだ。
(四我さまも難儀なことだ)
主はこの家において奇跡的なほどに優しい人物だった。
しかしながら、どうにも育った環境が悪かった。
感情が高まった時に反射的に口走ってしまう心無い苛烈な言葉は、時に虚勢も必要なこの家で生きた反動なのである。
主が異母妹とお腹の子を心から愛していることは疑ってもいない。
異母妹以外の
人を道具とすることを決して由としない。
そんな方だからこそ、天堂院家でもその当主にでもなく、天堂院四我個人に誠治と高楼家は忠誠を尽くすのである。
(とは言えだ)
流石に異母妹が目の前で溺愛される光景は少し気まずい。
「……四我さま」
声を掛ける。それに対し、四我は「ああ」と言って、名残惜しそうに沙羅の頬を撫で、再び我が子が宿るお腹を擦ってから彼女を自分の横に座らせた。
「それで用件はなんだ? 六炉が見つかったのか?」
「いえ」
誠治はかぶりを振った。
「
「……
四我はあごに手をやった。
「あの西の魔都が遂に平定されたって噂があったな」
「真相についてはまだ調査中ではありますが」
一拍おいて誠治は言う。
「噂では
「は? はは。そこは心配してねえよ」
四我は手を振って苦笑を浮かべた。
「あいつがその
ただ、と小さく続けて。
「あいつは確かに強えェが、寂しがり屋だからな。いつまでも放っておけねえよ。あいつはガキも好きだからもうじき産まれる俺のガキを見せてやったら喜ぶだろうしな……」
と、そこまで呟いたところでハッとする。
高楼兄妹が二人揃って優しい眼差しで四我を見ていることに気付いたのだ。
「……違げえよ」
不貞腐れたように四我は告げる。
「六炉は強えェからな。親父とのドンパチが避けれなくなった時の切り札としてこっちに引き込んでおきてえだけだ」
「……左様でございますか」
誠治はそういうことにした。
沙羅は、四我の隣でクスクスと笑っていた。
「け。とにかくだ」
四我は話を切り替えた。
「六炉の件じゃねえならお前の話は何なんだよ。誠治」
「はい」
促されて誠治は面持ちを改めた。
「ご当主さまのご命令であらせます。三日後の午前十時。行方不明中の六炉さまを除き、すべてのご兄弟の方々に、ご当主さまの元へのご招集がかかりました」
「……俺ら全員だと?」
四我は眉をひそめた。
「いつもは自然と集まるもんだが、今回は命令か?」
「はい」
誠治は頷く。
「予期せぬお客さまがいらっしゃるとか。ご当主さまのお言葉では」
一拍おいて、彼はこう告げるのだった。
「かの『久遠』に連なる人物。その者が見つかったかもしれないとのことです」
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