第259話 乙女たちは動き出す④

 同時刻。

 ブロロロロロ……。

 その自動車は軽快に車道を走っていた。

 ただし、その車内はどうにも気まずげな雰囲気に包まれた。


(……うわあ)


 そんな中で彼女は表情には出さずうんざりしていた。

 年齢は二十歳ほど。短い灰色の髪に、スレンダーな肢体。普段から愛用する黒のスキニーパンツに、白いブラウスを着ている女性だ。


 篠宮瑞希である。

 いつもなら凛々しい印象の顔に、今は微妙な表情を張り付けていた。


(……なんか気まずいよォ)


 現在、彼女が座っているのはセダン車の後部座席。

 運転するのは大門紀次郎である。

 言わずと知れた火緋神家分家筋の筆頭。守護四家の現当主の一人である。

 そんな上役の彼に運転させていることも気まずさの一つだった。

 一応、瑞希は運転免許を持っていた――ちなみに他にも二人同行者がいたが一人はどうにも上の空でもう一人は免許を持っていなかった――ので運転を名乗り出たのだが、大門紀次郎は朗らかに「これぐらいィ大丈夫ですよォォ」と答えた。

 四当主の中でも最も若い大門氏は、気さくな人柄で知られているが、それ以上に結構な変人でもあって、半ば押し切られる形で運転を任せることになったのである。


(……なんで僕がこんな気まずげな目に)


 瑞希は小さく嘆息した。

 今回の事件の概要は、御前さまから直接お聞きしていた。

 火緋神燦と蓬莱月子。

 瑞希とも縁の深い彼女たちが狙われているかもしれないそうだ。

 その護衛役に瑞希は指名された訳だ。

 彼女たちと年齢が近く、なお実力のある者が選ばれたそうだ。

 瑞希は魂力こそ凡庸ではあるが、その体術は若手随一だと知られていた。


 特に山岡辰彦の直弟子ということが上層部には高評価だったりする。

 その上、燦たちともすでに顔見知りだ。

 異論を挟む者もほとんどいなかったそうだ。


(まあ、それはいいけどさ。お姫さまたちのことも心配だし、何よりまた辰彦さんと会えるしね。その点はむしろ凄く有難くて嬉しんだけど……)


 おもむろに、瑞希は前の座席に目をやった。

 顔は見えないが目立つ蒼髪は確認できる。

 同行者の一人。扇蒼火だ。

 彼は二十代の若手の中では純粋に最強と言える。

 それについては瑞希も認めるところである。

 風と炎の二種の異能を操る彼は実に多彩な攻撃を駆使することで有名だった。

 しかし、彼は未だ犯人が逃亡中のドーンタワー事件以降、どうにも覇気がなく今回も心ここにあらずの様子だった。同じく当事者だった瑞希はある程度割り切っているが、彼には踏ん切りが出来ないことがあるのかもしれない。


(案外、殺された人の中に恋人でもいたのかな?)


 殺害された宝条志乃などは仲が悪そうでも裏では有り得そうだった。

 だとしたら、未だ落ち込んでいる気持ちもよく分かる。

 恋人を殺した犯人が一向に捕まらないのだ。前向きにもなれなくても仕方がない。

 だがしかし、これから戦闘があるかも知れない場所へと出向くのだ。出来れば、今だけは気持ちを切り替えて欲しかった。


(まあ、扇君のこともあるけど……)


 ちらりと。

 今度は横に目をやった。


(……この子はどこのどちらさんなんだろ?)


 瑞希の隣の席。

 そこには一人の少女がいた。

 年の頃は瑞希よりも少しだけ若い。十七か十八ぐらいか。

 身に纏うのは袖のない白のブラウス。大きな双丘の上に赤いネクタイを着けている。下には短い丈の黒いプリッツスカート。黒いストッキングと同色の紐長靴ブーツを履いている。まるで絹糸のような黒髪は腰まで伸びていた。顔立ちはやや勝気そうな印象ではあるが、恐ろしいぐらいに整っている。


 彼女は『葛葉くずのは』とだけ名乗った。

 家名さえ告げない少女。

 御前さまの推薦者であるそうだ。

 しかし、それ以外のことは何一つ分からない少女だった。


(僕のデータベースにない子だ)


 気付かれないように様子を窺う瑞希。

 火緋神家の一族は分家の者も含めて網羅していた。

 だというのに、この少女は初めて見る。


(何者なんだろ? いや待って)


 そこで瑞希は気付いた。


(この子、よく見ればお姫さまにそっくりだ!)


 ハッとして目を見開いた。

 少し釣り目がちの眼差し。可憐な桜色の唇。

 髪の色や髪型こそ違うが、ほぼ将来の燦の姿がそこにあった。

 まあ、胸の大きさだけはここまで育つかは謎ではあるが。


(まさかこの子!)


 瑞希は瞬時に察した。


(本家の巌さまの隠し子か!)


 すなわち、燦の異母姉なのである。

 引導師ボーダーの世界は今や事実上の一夫多妻、もしくは一妻多夫制だ。

 今の法律上では伴侶を名乗れるのは一人だけだが、愛人ドナーは大勢いるのが当然の世界。

 生存率を少しでも上げるために、そして戦死した時に備えて、より多く子を残すというお題目でも黙認されている事実である。

 しかし、恐らくこの少女は、そこまで容認されていてなお、何かしらの理由で伴侶としてはおろか、隷者ドナーとしても認知されなかった相手との子供なのだ。


 そして本当にそうだとしたら、


(今回の事件を機に異母妹と引き合わせる気なのかい!?)


 瑞希は愕然としつつも推測する。

 これは推測としては自然な流れだった。巌本人は心当たりがないので御前さまの血縁者かと思ったらしいのだが、ここまで燦に似ているとむしろ大抵の人間はそう考える。

 実のところ、本調子ではない扇蒼火でさえそう思っていた。

 それもあってあえて会話を避けていたりする。

 もし事前に巌から彼女の話を聞いていなければ、大門も同じ推測に至っただろう。

 それほどまでに、彼女は燦に似ているのである。


(うわあ、なんてことを考えるんだよォ、巌さま……)


 もはや確信までする。

 あの勝気すぎるお姫さまが荒れることは目に見えていた。

 あまりの気まずさに思わず窓の外に視線を向ける瑞希だった。

 だが、その一方で――。



「…………」


 件の少女はずっと無言のままだった。

 その眼差しは真っ直ぐ前だけを見つめている。

 彼女にも思惑があった。


(……私は)


 膝に置く手を静かに握りしめる。


(私はずっと逃げてきた)


 キュッと下唇を噛む。

 細い肩が震える。

 どうしても最初の一歩が踏み出せずにいた。

 けれど、今回――。


(再び、あの子たちに危機が迫っている)


 前回は彼が救ってくれた。

 可愛いあの子たちを。

 今回もあの子たちを守ってくれることだろう。

 しかし、彼とて万能ではない。

 失敗することもあるのだ。

 哀しみに囚われて絶望することも――。

 彼女はそれをよく知っていた。


(もう覚悟を決めないとね)


 彼女は双眸を細めた。

 今こそ一歩踏み出す時なのだ。


(彼と会う覚悟を。燦と月子ちゃんを守るためにも)


 その胸中は幾ばくか。

 かくして葛葉を名乗る少女……。

 火緋神杠葉・・・・・は、静かにその時を待つのだった。

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