第62話 対談③
「さて」
その頃、真刃は玄関にいた。
すでに靴を履き終えて、出かけるところだ。
大門がここに迎えに来ることは、エルナとかなたのスマホに連絡してある。
恐らく一時間もしない内に、刀歌たちは保護されるだろう。
その間に、真刃は仕事を済ませるつもりだった。
(……天堂院、総隊長か)
かつて自分が所属した部隊・《陰太刀》の総隊長を務めた男。
あの男は、真刃に好意的だった。
ただ、それは、真刃の生い立ちに興味があったからだ。
外法によって生み出された異端の引導師。
あり得ないほどの魂力を有し、さらには無限に供給さえもできる。
あの男にとって、真刃は理想の引導師のように見えたのだろう。
だからこそ、真刃の護衛として、わざわざ刀一郎を転属させたのだ。
『久遠。お前こそが、千年我霊どもを滅ぼせる者なのだ』
顔を合わせるたびに、あの男はそう語っていた。
――
文字通り、千年以上の時を存在し続けた我霊のことだ。
その力はまさに別格。
知性においては、すでに、人間時のものを取り戻している我霊である。
悠久の時を経たその本性は、狡猾かつ邪悪であり、恐ろしいことに、普段は人間に偽装して世に潜んでいるとのことだ。今代では
S級我霊さえも遠く及ばない、怪物の中の怪物。
通常の我霊とは一線を画す魔性。
各国においても、最も警戒されている我霊である。
この国では、七体確認されていると聞く。
その討伐に、あの男は異様な執念を抱いていた。
しかし、千年我霊に興味もない真刃としては、正直うんざりしていたものだった。
そして、結局、真刃があの男の期待に応えることもなかった。
後世に災厄として伝えられる、あの事件を引き起こしたからだ。
恐らく、その時なのだろう。
あの男が暴走を始めたのは。
あの男は、真刃の代わりを求めたのだ。
その形の一つが――。
「……………」
真刃は双眸を細めて、ドアを開けようとした、その時だった。
「……主君?」
不意に、声を掛けられた。
振り向くと、そこには刀歌の姿があった。
「起きたのか。刀歌」
「ああ。先程な」
刀歌は、真刃の元に駆け寄った。
「主君? どこかに出かけるのか?」
「ああ、少し出かける」
真刃は、表情を変えずに告げた。
「お前たちはここで待っていてくれ。じきに大門が迎えに来るはずだ」
「……大門? 大門先生のことか?」
刀歌が眉根を寄せた。真刃は「ああ」と答える。
「連絡をしておいた。もう問題ないだろう」
「……そうか。それで」
刀歌は、グッと真刃の手首を掴んだ。
彼女の眼差しは、真っ直ぐ真刃を見据えていた。
「主君は、どこへ出かけるのだ?」
彼女の声に、微かな圧を感じて真刃は眉を寄せた。
「……野暮用だ。昔の知り合いに会ってくる」
「ほう。そうか」
彼女は相槌を打つとしゃがみ、玄関に置いてあった自分のローファーを履いた。
「では、私も同行しよう」
「…………は?」
真刃は目を瞬かせた。
「いや。待て。何故そうなる?」
「主君は旧知に会いに行くのだろう? 私は主君の隷者であり、参妃だ。いずれはエルナ、かなたと共に妻の一人となる者。ならば、挨拶に行くのは当然だろう」
そう言って、刀歌は立ち上がった。
真刃は、渋面を浮かべた。
「いや待て。確かにお前が己の隷者であることは認めるが、挨拶は必要ない。そこまで親しい相手ではないからな」
「ふ~ん、そうか」
真刃がそう告げると、刀歌は目を細めた。
「まあ、私を攫おうとした輩だ。確かに挨拶が必要な相手ではないな」
「――ッ!」
刀歌の台詞に、真刃は目を剥いた。
「……どうして分かった?」
真刃がそう問うと、
「このタイミングで主君が出かけるのだ。大方、昨日の拉致犯の素性が分かったといったところだろう。何よりも」
刀歌は、そこで不敵に笑った。
「主君のその顔だ」
そして、真刃の両頬に手を添える。
「そんな険しい顔で旧知に会いに行くなど説得力もない。明らかに戦場に向かう顔だぞ」
「……仏頂面は生まれつきだ」
真刃は彼女の片手を取って、眉をしかめる。
「ならば、尚更だ。お前を連れては行けん」
「何故だ? 私は当事者だぞ。むしろ私こそが行くべきだろう」
「危険な相手なのだ。殺されかけたことを忘れたか?」
「忘れてはいない。そのおかげで主君と出会えたこともな」
刀歌は、真剣な眼差しで真刃を見据えてた。
その瞳に、真刃はかつての同僚の姿を重ねた。
そうして、
「……主君」
『……久遠』
とてもよく似た、二つの声が重なる。
「思うに、貴方は、何もかも一人で抱え込む癖があるのではないか?」
『お前は一人で抱え込みすぎだ。すべてを一人で行えるとでも思っているのか?』
今ここに居る刀歌は、その眼差しで射抜き。
記憶の中のあの男は、真刃の襟首を掴んでいた。
真刃は沈黙する。
「隷者は庇護者などではない。私とて戦えるのだ」
『自分の剣を侮るな。自分の剣は、お前の力にも劣りはしない』
刀歌の凛とした声が耳朶を打ち。
あの男の、熱閃の輝きが脳裏によぎる。
二人はさらに語る。
「決して足手まといにはならない。私を信じてくれ。主君」
『少しは自分を信じろ。久遠。この程度の輩に遅れなど取るか』
……本当に。
本当に、二人はよく似ていた。
真刃は双眸を細めた。
「己は……」
そして、偽りなき心情を語る。
「正直、一人で戦う方が楽だ。ずっとそうして来たからだ。
真刃は、はっきりと言う。
「己はお前たちを守りたいと思う。だが、戦力としては考えていないのだ」
対し、刀歌も、はっきりと返した。
「それは、全くもって不本意な話だな」
もう、はっきりとだ。
「私たちを守りたい。愛してくれていることは嬉しい。私は参妃として、いずれ主君の子も産むつもりだから一層に嬉しい。だが、私は――いや、きっと、エルナたちもそれだけでは納得しない。不満だと言うだろう」
刀歌は、グッと真刃の襟首を取った。
あの時代の、あの男のように。
「主君だけを戦場に立たせる? 御免だな。確かに主君は私たちよりも強いのだろう。だが、それは、主君だけを戦場に立たせてもいい理由にはならない」
刀歌は言う。
「戦場では何があるか分からないからだ。一人で挑む。それこそが最も危険なのだ。そう。主君も言っていただろう」
剣の少女は、ニヤリと笑った。
「《魂結び》とは信頼の証だと。かつての引導師たちは、決して一人で戦ったりはしなかったのではないか?」
「………………」
その指摘には、反論できない。
――かつての時代の大門も、御影も。
決して一人で戦うことはなかった。
戦場では誰かと共にいたのだ。軍に入ってからは真刃も例外ではない。
自分の傍らには、いつも刀一郎がいた。
「何と言われようが、私は主君の傍にいる。だから私も連れていけ」
その末裔が語る。
愛らしい笑みを見せて。
「そもそも私は今回の件の当事者だ。もし、拒否するのならここで大声を上げるぞ。寝ているエルナとかなたも起こして、三人がかりで主君を説得する」
今なら連れていくのは私一人で済むぞ。
刀歌は悪戯っぽく目を細めて、そう補足した。
「……おい」
真刃は渋面を浮かべた。
嫌ならここで騒いで、エルナとかなたも巻き込む。
これでは、完全に脅しである。
真刃はどうすべきか悩んだ。
――と、
『……意外だな』
ボボボと鬼火が灯る。猿忌が現れたのだ。
『参妃は実直のように見えて強かなようだ。これは主の負けだな』
「……猿忌」
真刃は睨みつけるように従者を見据えた。
『正直、今回はどう転ぶのか分からん。ならば、刀歌も連れて行って、この娘が主の庇護下にあることを見せつけるのも良い手かもしれん』
「……それで返って、刀歌が狙われるようになったらどうする」
かつての紫子のように。
真刃は言外にそう告げたが、それを理解した上で猿忌は答える。
『刀歌を、エルナを、かなたを』
一拍おいて。
『強く、強く鍛えあげるのだ。主とてすべては守れない。それは思い知っているであろう。本当に大切ならば――』
百年の時を生きた従霊の長は告げる。
『主が守るだけでは意味がないのだ。互いに守り合う。支え合う。一人で戦い続けることを改める時が来ているのだ』
「……本当に」
真刃は、嘆息した。
「お前は、酷なことばかりを言う……」
『老人の苦言は、耳に痛いものだからな』
猿忌は笑う。
真刃はしばし沈黙してから、刀歌に目をやった。
彼女は、真っ直ぐな眼差しで真刃の顔を見つめていた。
真刃は嘆息する。
「……分かった。いいだろう」
「――主君!」
刀歌は瞳を輝かせた。そんな少女に真刃は通告する。
「ただし、同行を許可するだけだ。戦闘は極力避けるぞ。まずは対話からだ」
「うむ! 分かっている!」
そう応えて、彼女は嬉しそうに笑った。
真刃は、猿忌に目をやった。
「刀歌は今回の件の当事者だ。連れて行くのも仕方がないと認めよう。しかし、エルナとかなたは、流石に連れて行かんからな」
『ああ。今回は仕方があるまい。なにせ、相手はあの男だしな』
猿忌も、そればかりは承諾する。
いずれは、壱妃も弐妃も……妃たちは皆、主の傍らに立つべきだと考えている。
だが、今回ばかりはまだ修行不足。加え、状況もどう転がるか分からない。
最悪、戦闘までを想定すると、参妃一人までが
『今回、壱妃と弐妃は留守居だ』
猿忌はそう告げた。
「ああ」真刃は頷く。そして、
「刀歌。本当に気をつけよ」
刀歌にそう忠告した。彼女は「分かっている」と力強く頷いた。
が、すぐに少しだけ頬を赤く染めると、
「その、だがな、実は、私にはもう一つ目的があるのだ」
豊かな胸を目一杯に押し付けて、真刃の腕をギュッと掴む。
そして、刀歌は、本日最高に強かな笑みを見せた。
「昨夜は初めて貴方に愛された記念すべき日だったというのに、結局、最後はエルナとかなたに持っていかれてしまったからな。だから、今日こそは主君を独占したいのだ!」
思いの外、独占欲の強い刀歌だった。
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