幕間一 燻る者たち

第173話 燻る者たち

 コツコツコツ。靴音が響く。

 そこはとある地下街。娯楽施設の廊下。

 彼女は、早足に歩を進めていた。


 年の頃は二十歳ほどか。

 短い灰色の髪に、スレンダーな肢体。顔立ちは凛々しく、黒のスキニーパンツに、白のブラウス。その上にグレーのジャケットを着ている。

 ごく一般人の装いだが、これらの服は特殊な繊維で編まれた戦闘服だ。

 完全武装の出で立ちで、彼女は廊下を進んでいた。

 そうして、とある店内に入った。


 飲食品や酒類も提供するビリヤード場である。

 多くの客がゲームに興じる中を進み、彼女は奥の扉に辿り着いた。

 そこには店員ボウイが一人立っており、彼女に恭しく一礼すると、その扉を開けた。

 彼女は何も言わず、その扉の奥に進んでいく。

 扉は、数秒と経たずに閉じられた。


 室内に目をやる。

 そこはかなり広い遊戯場だった。四台のビリヤード台。奥にはカウンターもある。

 その部屋には、二十人近い人間の姿があった。男女の比率は男が七。女性は三ほど。全員が十代後半から二十代前半の若者ばかりだった。

 しかし、誰もゲームに興じていない。

 思い思いの場所に腰を掛けて、最後に入室した彼女に注目していた。


「遅かったな。篠宮」


 キューを手に、ビリヤード台に腰を掛けていた人物が言う。

 一見すると、ごく普通の大学生。

 ただ、染めているのか、目が醒めるような蒼い髪の青年である。

 彼女――篠宮しのみや瑞希みずきは、肩を竦めた。


「すまないね。少々調べものに手こずっていたんだ」


「……ふん」


 青年は、コンコンと肩をキューで叩いた。


「来ないかと思ったぞ。お前はどうにも乗り気じゃないようだからな」


「失敬な。僕だってやる気ならあるさ」


 瑞希は、ふっと笑った。


「出なければ、ここに来たりはしない」


 それから、周囲に視線を送った。


「けど、壮観だね。分家筋だけとはいえ、若き火緋神一族がこんなにも揃うなんてね」


 双眸を細める。


「それだけ、みんな今回の御前さまのご判断には納得いかないってことだね」


「「「……………」」」


 彼らは無言だ。瑞希はふっと笑った。


「ここにいる者の目的は様々だ。彼女たちを隷者ドナーにしたい。または自分の隷主オーナーに願っている。中には、お姫さまを正妻として娶って、覇権を考えている者もいるかな?」


 蒼髪の青年を見やる。

 青年は「ふん」と、鼻を鳴らした。

 彼女は肩を竦めつつ、女性たちの方にも目を向けた。


「君たちとしては、お姫さまたちを旗頭にしたいのかな? 御前さまがご尽力されても、まだまだ女性引導師を貯蔵庫タンクのように扱うことが多い一族を変えたいってところかな」


「ええ。そうよ」


 彼女たちのリーダー格。髪の長い勝気そうな女性が返す。

 歳は瑞希と同じほど。実際、彼女と同じ大学に通っている。

 毛先が強く巻かれた栗色の長い髪が印象的な美女だ。

 名を宝条志乃。守護四家に次ぐ格を持つ分家・宝条家の長女である。


「それが悪いことかしら?」


「悪くはないさ」


 瑞希は、かぶりを振った。


引導師ボーダーの世界にも、もっと新しい風が吹くべきだよ。それに、僕は第二段階性交ありき隷者ドナーが複数いることにも反対派だしね。公認愛人ハーレムはどうにも性に合わない。男性はもちろん、女性であってもね。魂力オドには術に対する適量というモノがあるし、どうしても上げたい時は、第一段階までなら結んでいる友達ならいるから、それで充分だと思うしね」


 おっと、話が逸れたかな。

 そう呟いて、瑞希はカウンターの椅子に腰を掛け、足を組んだ。


「……お前の目的は、何なんだ?」


 キューを持った蒼髪の青年が尋ねる。


「ふふ。気になるかい。扇君」


「ああ」


 扇と呼ばれた青年――おうぎそうは静かに頷いた。


「情報屋でもあるお前が協力してくれるのはありがたい話だ。だが、その目的が分からない。お前は、姫さまには興味もなかったはずだが?」


「そうだね」


 瑞希はふふっと笑う。


「むしろ、僕にとって興味があるのは、月子君の方かな?」


「姫さまではなく、蓬莱月子の方だと?」


 蒼火は眉根を寄せる。


「確かにその容姿と魂力オドの量は、双姫の名を冠するに相応しい娘だ。だがしかし、流石に姫さまを差し置くほどとは思えないが?」


「まあ、彼女とは、いささか縁があるのさ」


 瑞希は思わせぶりにそう告げた。


「いずれにせよ、僕には僕のずっと温めてきた計画がある。それには彼女たちに戻ってきてもらわないと困るのさ」


「……ふん。まあ、いいだろう」


 蒼火は、キューをビリヤード台の上に置いた。


「少なくとも、姫さまを取り戻すまでは同志と考えよう。さて」


 人差し指を静かに立てる。

 すると、世界が塗り変わった。

 遊技場から、城の一室らしき、石造りの円卓の間へと。


「……封宮メイズか」


 瑞希が眉根を寄せて呟く。


「わざわざ、そこまでする必要があるのかい?」


「念には念を入れてだ」


 言って、蒼火は円卓の席に座る。


「この会合は極秘だ。特に御前さまのお耳に入れる訳にはいかないからな。しかし」


 円卓に肘をつき、蒼火は笑う。


「お前は魂力オドには適量があるなどと言っていたが、こんな真似が出来るのか?」


「出来ないね」


 そう返しつつ、瑞希も円卓の席に座った。


「僕の魂力オドは、友達なかまの力を借りても400もいかないからね。けど、これって必要かい? 結局のところ、上級我霊エゴスが使う結界領域の劣化版のような気がするけど?」


 コツン、と円卓を指で叩く。


「事象操作なしで自由自在に操れる世界といっても、コスパが最悪すぎる。これなら現実世界の完コピでも、色んな効果を付与できる結界領域の方が遥かに実用的だよ」


 皮肉気に笑う。


「まあ、使うとしたら、確かにこんなコソコソ話ぐらいにかな」


「……ふん」


 すると、蒼火は鼻を鳴らした。


「それは浅い考えだな。確かに封宮メイズ自体はコスパが悪く、決め手に欠ける術だ。結界領域の劣化版というのも一理ある。だが、封宮メイズとは入口なんだ」


「……入口だって?」


 瑞希が眉をひそめる。

 ――と、


「……それは何の話だ? 扇」


 他のメンバーも、二人の話に耳を傾けつつ、席に着き始めた。

 全員が円卓の席を埋めるのを確認してから、


「次のステージの話だ」蒼火は話を続ける。


封宮メイズとは、引導師ボーダーの次のステージへと導く入口なんだ」


「……おやおや。どうも壮大な話をし始めたね」


 呆れたように呟く瑞希。蒼火は皮肉気に笑った。


「確かに壮大だな。だが、俺は見てしまった。次のステージに至った者の姿をな」


 そこで遠い目をする。


「……そう。あの怪物の力を俺は身を以て知ったんだ」


「お~い、扇くゥん?」


 瑞希が口元に両手を立てて、声をかける。


「さっきから全然言っている意味が分からないよ~。ここが自分の世界だからって、一人で引き籠るのはやめておくれよ~」


「………ふん」


 蒼火は、双眸を細めて鼻を鳴らした。


「分からなくてもいい。だが、俺にはもっと大量の魂力オドが必要なんだ。あの怪物と並ぶだけの力を得るためにな。出なければ、火緋神一族はいずれ衰退することになる」


 そう呟き、再び、皮肉気な笑みを見せた。


「世界の裏には別次元の怪物が潜んでいる。奴の二つ名からして、さらに複数――怪物どもがいるのかもしれない。危機は密かに迫っているということだ。とはいえ、これは火緋神一族を導く者だけが知っていればいいことだったな」


「……言ってくれるわね」


 不快さを隠さずに、志乃が言う。


「まるで自分が一族の長になるかのような口ぶりね。財力はともかく、血筋で言えば、扇家は、守護四家はおろか、我が宝条家や御影家よりも遠縁になるわ。そんなあなたが、本家の方々さえも差し置いて言う台詞かしら?」


「血筋など、俺が姫さまを娶ればいいだけの話だ」


 堂々と、蒼火は告げた。


「俺が仕えるに相応しい者であるのならば膝もつこう。だが、俺は自分の才が本家の若さま方よりも劣るとは思わない。より優れた者が火緋神家の後継になるのは当然だろう?」


「……火を煽る程度の団扇うちわ野郎が言ってくれるじゃねえか」


 青年の一人が、剣呑な声で呟いた。

 いや、呟いた青年だけでなく、この場にいる者のほとんどが、張り詰めた空気を纏った。

 と、その時。


「ああ~、止め止めっ!」


 パンパンっと。

 瑞希が、柏手かしわでを打った。


「話が無茶くちゃ脱線しているよ。そろそろ本題に入ろうよ」


「……ああ。すまなかった」


 蒼火が謝罪する。


「その話は事が済んでからだな」


「うん。そう」


 瑞希が頷く。


「ロリコンマスター扇君の大いなる野望は置いといてさ」


「……おい」


 流石に眉をしかめる蒼火。しかし、瑞希は気にしない。

 早速、本題を進めていく。


「確か、『久遠真刃』だったよね?」


 頬に人差し指を当てて。

 瑞希は、悪戯っぽい笑みを零して言った。


「僕らの愛しいお姫さまたちを攫ってくれちゃった悪い人の名前ってさ」

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