第437話 火緋神家の家庭事情②

 同時刻。

 天雅楼の本殿に造られた和製の訓練道場。


 そこは今、乙女の園になっていた。

 乙女たちは四人。

 燦と月子。茜と葵だ。

 正妃と準妃。それぞれの最年少者たちだ。

 なお専属従霊の赫獅子と狼覇も席を外している。

 正真正銘、少女たちだけだった。


 アスリートウェアで身を包んだ四人は、道場の中央で円陣を組むように正座をしていた。

 誰も喋っていない。

 ただ静かに彼女たちの視線は葵一人に集まっていた。

 正確には、葵の持っている霊具にだ。

 それは口紅リップ型の霊具だった。


「そ、それじゃあ始めるね」


 葵はそう告げて、自身の唇にリップを塗った。

 葵の唇にピンク色の艶が生まれる。

 すると、みるみる内に葵の姿が変化していく。

 幼かった肢体は伸びて、大きめのウェア越しにも、はっきり分かるほどに双丘は豊かになっていく。青い髪も腰ほどに伸びると、頭部で狼の耳のような形へと変わった。

 わずか十数秒の変化だった。


「…………ふゥ」


 胸元に片手を当てて、葵は小さく息を吐いた。

 話には聞いていたが、燦たちは目を丸くしていた。

 葵は二十歳ほどの女性に成長していた。

 そして、


「す、凄いっ!」


 燦が立ち上がって叫んだ。


「変身したら大人になる系の魔法少女だ!」


「え、えっと、私は変身しないし、魔法少女でもないけど……」


 葵は微苦笑を零した。


「これが霊具・《吸魂霊紅ドレイン・ルージュ》改め、《淫魔狼獣サキュバス・ウルフ》なの」


 そう告げる。

 これは、かつて葵がネットで購入した実に胡散臭い霊具だった。

 だが、その効果はあまりにも規格外のモノだった。

 この霊具に適応した葵は大人の姿に変化したのである。

 しかも、相手に触れることで魂力オドを吸収するという術式も付与されてだ。


「ねえ、葵ちゃん」


 心配そうな眼差しで、月子が大人になった葵を見つめた。


「大丈夫なの? そんな急激に体が成長して」


「あ。うん。それは大丈夫みたい」


 葵が頷く。


「千堂に調べてもらったんです」


 葵の代わりに茜が説明する。


「どうもこの霊具は成長を無理やり促進させている訳じゃなくて、適合者の時間を一定年齢まで加速させているそうです」


「時間を加速? それってまさか……」


 月子が目を剥いた。

 ちなみに燦は「むむむ」と大きくなった葵の胸を両手で挟んでいた。


「はい。月子さま。この霊具には時間操作系の術式が組み込まれているということです」


 茜が頷いて言う。

 余談だが、すでに茜も月子たち同様に真刃の第一段階の隷者になったのだが、今でも正妃全員を『さま』付けで呼び、敬語を使っていた。


「千堂もかなり驚いていました。別格の霊具だと。しかも加速後に多少肉体にも変化を与えるみたいです。葵の狼の耳みたいな髪とか、女性ホルモンも刺激して……その、スタイルとかも女性的になって」


「え? じゃあこのおっぱいって偽物なの?」


 未だ葵の胸を触りながら、燦が茜の方に振り向いて言う。


「あくまでその変化も葵のポテンシャルなので、そこは、それだけの可能性はあるということだと思います。きっとそういう事です」


 と、茜は答える。

 出来ればそうあって欲しいと願っているような眼差しだ。

 ちらりと葵の胸元に目をやる。

 芽衣や六炉ほどではないが、エルナや刀歌クラスのボリュームはある。

 充分すぎる、たわわぶりだった。


(……むむ)


 茜の眼差しが半眼になる。

 双子の姉としては、やはり期待してしまうところだった。

 なにせ、例外こそいるが、正妃ナンバーズのほとんどはプロポーションが抜群なのだ。

 せめて自分もあれぐらいは欲しい。

 自分も無事に第一段階へと至れたのだから、未来に向けて尚更である。


「えっと、見本としてはこれでいいかな?」


 一方、葵はティッシュで唇を拭った。

 すると、彼女の姿が戻っていく。

 葵の胸を抑えていた燦の両手も、スカスカッと宙に浮く。


「それじゃあ本題に入ろ」


 葵が言う。

 茜と燦は頷く。月子も躊躇いつつも首肯した。

 今日、彼女たちがここに集まったのは訓練のためだけではない。

 全員でこの霊具を試してみようと集まったのだ。


 まだ幼い少女たち。

 だからこそ、自分の未来の姿には興味があった。

 千堂の話では、この霊具には大きなリスクはないようだ。

 ただ、


『これはキワモノすぎるわ。刻まれた術式が規格外すぎる弊害なんやろうけど、こんなん適合者なんてほとんどおらんと思うで』


 とも言っていた。

 適合した葵はかなり奇蹟的らしい。

 だが、それでも試してみたいとは思う。


「じゃあ、私からやるわ」


 と、茜が名乗りを上げる。

 妹から口紅型霊具を受け取る。

 茜は葵の双子の姉だ。適合の可能性は相当に高い。

 しかし、


「………む」


 唇をピンクの艶で輝かせつつ、眉をしかめた。

 両手を広げて自身の体を見やるが、変化の様子はない。

 残念ながら適合性はなかったようだ。


「じゃあ次あたし!」


 燦が勢いよく手を上げた。

 そして茜から口紅を受けとって、さっそく唇に塗った。

 だがしかし、


「……むむ」


 やはり変化の様子はない。視線を落として胸元を凝視するが、慎ましい双丘が大きく意見を主張するようなこともなかった。

 誰よりも楽しみにしていた燦はがっかりした。


「仕方がないよ。燦ちゃん」


 月子は苦笑を零した。


「ほとんど適合者はいないって話だし。葵ちゃんが特別なんだよ」


 そう告げる。

 すると、燦は「……ん」と、月子に口紅を渡してきた。

 月子は苦笑を浮かべたまま、霊具を受け取る。

 そして全く期待せずに口紅リップを塗った。

 月子の唇も艶やかな輝きを放つ。


「ね。無理でしょう――」


 と、月子が言いかけた時だった。


「「「―――え?」」」


 燦と茜、葵が目を丸くして月子を凝視した。

 月子自身も「え?」と困惑した。

 視界の位置がどんどん高くなっていく。アスリートウェアが締め付けられるほどに窮屈に感じ、正座も維持できなくなって腰を落とした。

 髪も長くなって、今は腰辺りまで伸びている。

 元々年齢離れして豊かだった双丘は、さらなる実りを見せた。


「――えええっ!?」


 月子は自分の両手を見やり、愕然とした。

 そこには淡い金髪の二十歳ほどの美女がいた。

 身長は腰が抜けたように座っているために分かりにくいが、百六十後半ぐらいだった。プロポーションは芽衣や六炉にも全く劣らない。


 ――そう。

 そこには大人になった月子の姿があったのだ。


 ただ、葵のような狼耳に似た髪の変化はなかった。


「うそおっ!?」


 目を見開いて、月子は叫んだ。


「凄いっ! 月子、凄いっ!」


 一方、興奮するのは燦だった。

 腰が抜けたように座る月子にダイビングする。

 そうして月子の豊かな胸元に顔を埋めて、


「凄いっ! 想像以上だ! 未来の月子のおっぱい凄いっ!」


「ちょ、ちょっと燦ちゃん!?」


 横から下からと。

 様々な方向から揉んでくる燦に月子は顔を強張らせた。


「ま、待って!」


 そして大人の力で燦を押しのけて、


「ひゃ、ひゃあっ!」


 未だ揉み足りない燦から逃げ出した。

 しかし、足取りはフラフラだ。

 普段と身長も体格も変わりすぎてバランスが取れない。

 とにかく訓練道場の出口に向かうが、


「あうっ!」


 目前で足がもつれてしまった。

 そして、訓練道場の扉が開かれたのは同時だった。


「えっ!?」


 月子は目を見張った。

 訓練道場に入ってきたのは真刃だった。

 流石に真刃も驚いた顔をしている。

 それも当然だった。

 なにせ、訓練道場に入ったら、見知らぬ女が目の前にいるのである。

 しかも、足をもつれさせて突っ込んできていた。


「……と」


 真刃は、驚きつつも、大人になった月子を抱き止めた。

 月子は真刃にしがみつき、その腕の中に納まった。


「あ、あの……」


 顔を真っ赤にさせて、月子がどう説明しようかと悩んだ時。


「月子。怪我はないか?」


 真刃が月子の顔を見やり、


「しかし、一体どうしたのだ? その姿は?」


 眉をひそめながら、そう尋ねてきた。


『え!? この子、月子ちゃんなんスか!?』


 と、真刃のスマホに宿る金羊が驚いた声を上げている。

 一方、月子も驚いた顔をしていた。

 まじまじと真刃を見つめている。


(お、おじさま……)


 ここまで大きく姿が変化してしまった自分に対して。

 瞬時に自分月子だと気付いてくれた真刃に。


(は、はうゥ……)


 ――キュウン、と。

 思わず心をトキめかせてしまう月子だった。





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