第四章 百年目の出会い

第47話 百年目の出会い①

 晴天。涼やかな風が吹く日。


「ふん、ふ~ん♪」


 おもむろに、陽気な鼻歌が響く。

 場所は、ショッピングモール近くの歩道。

 人通りもそこそこ多い道であり、近隣には幾つかの学校もある場所だ。


 通行人たちは、鼻歌の主に視線を向ける。

 鼻歌が気になった訳ではなく、シンプルに、その人物が目を引いたからだ。

 金髪の小柄な少年が、目一杯に薔薇の花束を抱えているのである。

 その少年自体が少女のように美しい容姿をしていたこともあるが、遠目からだと、まるで薔薇の花束が歩いているように見える。


「ヤハハ、七奈ちゃん、気に入ってくれるかな?」


 と、少年――天堂院八夜が呟く。

 この花束は、ショッピングモールで購入してきたのだ。

 彼の三つ上の異母姉――天堂院七奈に贈るために。


「うん。喜んでくれるといいけど」


 彼女へのプレゼントはもう一つある。制作に二週間もかかった髪飾りだ。

 八夜は上機嫌だった。

 結局、あの夜、異母姉はただか細く泣きじゃくるだけで、あまり為になるような意見はほとんど聞けなかった。

 だが、逆に言えば、彼女は、最後まで泣きじゃくることが出来たのだ。

 彼の隷者など、最後には虚ろな瞳をして無反応になるというのに。

 七奈は、心まで壊れることはなかった。


「……う~ん、《魂結び》って呪的儀式だし、案外、ボクのテクニックとかじゃなくって、ボクと《魂結び》をすること自体に問題があるのかな?」


 そう呟いて、八夜は小首を傾げた。

 彼の場合、《魂結び》は、最初から二段階目までを前提に行われている。

 そのため、相手は必ず女性である。八夜はそのことを自分なりに配慮していた。

 下世話な言い方をすれば、彼女たちも楽しめるように心がけていたのだ。

 しかし、いざ儀式を行うと、彼の隷者たちは、魂を繋げるだけの第一段階で苦悶の表情を浮かべて、絶叫を上げるのだ。そのまま儀式を続けると《魂結び》自体は成功するのだが、相手は廃人のようになっているのである。


 結局のところ、自分は人工的に造られた歪な存在だ。

 そんな異物と魂を結び付ければ、常人では耐えられないのかもしれない。


 七奈の様子を見て、八夜はそう感じた。

 それが分かっただけでも、あの夜には意味がある。

 だから、七奈には本当に感謝している。現在、異母姉は自分の屋敷に引き籠ってしまっているのだが、八夜は、こっそりと彼女のに訪れていた。


 このことは、他の兄弟たちには秘密にしている。

 何故なら、七奈との件を話した時、異母兄の一人に殴られたからだ。


 あれは、本当によく分からない。

 どうしていきなり殴られたのか、全く分からなかった。

 自分はただ、自分にかかるコスパの問題点を解決しようとしただけなのに。

 隷者を次々と廃人にしてもいいとでも思っているか。


「う~ん。四我兄さんは、よく分からないことで癇癪を起すからなぁ」


 とりあえず、そう考えることにした。

 ともあれ七奈だ。以前は、独界も系譜術も獲得できなかった不運な異母姉という認識だったのだが、今は違う。あの夜以降、毎夜、彼女の元に出向いていた。

 ちなみに、七奈の部屋の前には、常に二人以上の隷者が忠犬のように控えている。

 彼らに騒がれては、七奈に会っていることが他の兄弟たちにもバレてしまう。なので、八夜は彼らの記憶を一部もらっていた。

 自分の『凍結』は思念にまで影響を及ぼす。他の兄弟にはない力だ。

 自分の独界は、本当に便利だと思う。


「ヤハハ! ありがとうね! お母さん!」


 花束を抱えて、八夜は笑った。

 この独界を与えてくれた亡き母に感謝する。まあ、顔も知らないのだが。

 何にせよ、今や八夜にとって、七奈は大のお気に入りになっていた。


 二日目の夜。七奈は、恐怖に凍り付いた眼差しで八夜を迎えた。

 初日に少し乱暴に扱ってしまったことが失敗だったらしい。箱入り娘である彼女に野外というのも悪かったのかもしれない。七奈は凄くご機嫌斜めだった。

 もう叫ぶや、物を投げつけるわと大暴れだ。

 結局、その夜も、彼女を泣かせるだけの結果になってしまった。

 けれど、八夜はめげなかった。

 次の日も、その次の日も、に行ったのだ。

 それを一週間以上も続けた。

 ここまで、八夜が一つのことに根気を見せたのは、初めてのことだった。

 しかし、どれほど努力をしても、七奈は静かに泣くばかりで、それどころか、何かを諦めたかのように少しずつ表情さえも消していった。

 それを辛いと感じた。思えば、辛いと感じるのも人生で初めてだった。


 だが、四日前のことだった。

 自分の腕の中で、七奈は久しぶりに感情を宿した声を聞かせてくれたのである。

 それは掠れるような、けれど、確かに甘えるような声だった。


『――七奈ちゃん!』


 八夜は、嬉しくなって彼女を強く抱きしめた。

 毎日毎日『好き』『大好き』『可愛い』と、言い続けた甲斐があった。

 その日は、一緒にお風呂にも入った。

 彼女の部屋に設置されている小さな檜風呂だ。二人で入るには少し狭かった。

 七奈はどこか躊躇うような顔を見せつつも、今まで嫌がっていたキスも許してくれた。

 その日から、彼女は少しずつ、再び感情を見せてくれるようになった。

 そうして昨晩には、


『は、八夜、さま……八夜くん……』


 名前を堅苦しい「さま」ではなく「くん」付けで呼んでくれたのだ。

 八夜はもう大喜びした。

 長い、とても長い二週間半だったと思う。

 ようやっと、彼女が機嫌を直してくれたのである。

 そして頑張った分だけ、以前よりも、ずっと親しくなったとも言える。

 機嫌を直してくれたことが本当に嬉しくて、七奈の頬に何度もキスをした。

 すると、彼女は「や、やめて、八夜くん……」と恥ずかしがる顔を見せてくれた。


 可愛い。本当に可愛い。

 こんな顔も、以前までは見せてくれたことはない。


 八夜と会う時は、いつも警戒するような、怯えるような顔ばかりしていた。

 けれど今は、怒った顔も、笑った顔も見せてくれる。

 ただ、今の七奈にも、どこか葛藤のようなものがあるようだ。

 時々少しだけ暗い顔をする。

 何を気にしているのか、八夜には全く分からなかったが、とにかく七奈は可愛かった。


「七奈ちゃんは、本当に可愛いからなぁ」


 思わず口に出して、にへらと笑う。

 ただ、そんな愛らしい七奈なのだが、一つだけ気に入らないことがあった。

 七奈には、三十二人も隷者――男がいるのだ。

 七奈を封宮師にするために、父が見繕った隷者たちだ。

 それが凄く気に入らない。彼らが七奈の肌に触れるのはムッとする。

 いっそ、彼らを処分してしまおうか?


「う~ん、けど、それをするとまた怒られるのかなぁ」


 八夜は、眉根を寄せた。

 特に四我辺りが怒りそうだ。あの異母兄の沸点は、意味不明な上に相当低い。

 また殴られては堪ったものではない。

 そもそも、今回の件は、廃人になる隷者を減らしたいと考えて起こしたことだ。

 気に入らないから、七奈の隷者を処分してしまっては本末転倒である。


「けど、七奈ちゃんには《魂結び》を解約して欲しいなぁ」


 悩む。

 それをしてしまうと、七奈には本当に価値がなくなる。


「価値……七奈ちゃんの価値かぁ」


 眉間に、深いしわを刻んだ。

 ここまで悩んだのも、初めてである。

 七奈と結ばれてから今日まで、本当に初めて尽くしだった。

 八夜は「……う~ん」と、足を止めて考え込んだ。


「ッ! そっか!」


 そして、不意に妙案が浮かんだ。


「簡単じゃないか! 七奈ちゃんをボクのお嫁さんにすればいいんだ!」


 七奈が自分のお嫁さんになれば、実戦からも引退。隷者も不要になる。

 七奈の魂力はそれなりに高いので、次代の母体としても問題ないはずだ。

 もちろん、彼女を隷者にする気はない。可愛い七奈を廃人などにしてたまるか。

 そもそも、か弱い七奈が戦場に立つ必要などないのだ。

 彼女を危ない目に遭わせることもなくなる。

 すべての問題が解決だった。

 今夜にでも、父に頼んでみることにしよう。

 奇しくも、父と同じ結論に辿り着いたとは露も知らず、八夜は満足そうに頷いた。


「出来れば、壱羽兄さんを味方につけると、話もスムーズに――」


 と、呟いたところで、


「あれ?」


 ふと、気付く。

 街の一角。公道の先にあるコンビニの近くで、数人の男性がいることに。

 大型の自動車――黒いワゴン車を背に、どうでもいいような談話で周囲の目を誤魔化しているようだが、八夜には、どこかに注意を向けているように見えた。

 全員が、私服姿の二十代半ばの男たちだ。

 その中には見覚えのある顔もいた。八夜は彼らの元に行って声をかける。


「ねえ。君たちって、壱羽兄さんの部下だよね」


「ッ!」


 花束で顔を隠した少年にいきなり声をかけられ、男たちはギョッとした。

 が、すぐに、


「その声は――八夜さまですか?」


「うん。そう」


 八夜は頷く。それも花束に隠れてしまっているが。


「どうしたの? もしかして壱羽兄さんのお仕事?」


「いえ、それは……」


 男たちは互いに顔を見合わせた。

 いかに主人の異母弟といっても任務を告げるのは憚れる。

 そう考えていると、


「なるほど。お仕事なんだね」


 八夜が断定した。

 そして、


「うん。じゃあ、ボクも手伝うよ」


「え?」


 青年が目を丸くする。


「は、八夜さま? 何を?」


「気にしないで。全部ボクの都合だから」


 少年は朗らかに笑って告げた。


「丁度いいや。うん。ここで、壱羽兄さんに点数を稼いでおきたいしね」

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