第380話 壱妃/始まりの夜の物語②
夜遅く。草木も眠る。
周囲はすべて木々で覆われていた。
銀色の髪を夜風になびかせて、彼女は一人、その森の中を進んでいた。
透き通るような白い肌に、紫色の瞳を持つ美しい北欧の少女。短めにカットした銀髪は、右耳にかかる片房だけ長く、金糸のリボンを交差させて纏めている。
服装は黒いラインの入った白系統のセーラー服。星那クレストフォルス校の制服である。その上に黄金の龍が刺繍された蒼いジャンパーを羽織っていた。
歳は十三歳。あと一月ほどで十四になる。
エルナ=フォスターである。
(……こっちよね)
スマホで目的地を確認しながら進んでいく。
ややあってエルナは森を抜けた。
開けた場所。そこには古びた洋館があった。
壁にはヒビや蔦。窓もほとんどが割れている。
明らかに人が住んでいない廃屋だ。
夜であることも相まって、ゾッとするような趣を醸し出している。
ある意味、肝試しには持って来いの場所だった。そのため、最寄りの駅から相当に離れているにも関わらず、ここには時折、人間が訪れるそうだ。
そうして誰も帰って来ない。
犯されて、殺されて、喰われている。
この洋館は、本物の化け物――
この場所に訪れた者たちは等しく悍ましい死を迎えたに違いない。
この洋館は
ランク的には下から二番目になる今回の依頼は、洋館に潜む
最下級の我霊。戦闘能力も低く、討伐は容易い敵だった。
しかし、
情報ではこの洋館にいるのは
いわゆる野良
エルナにしてみれば、ややリスクが高い案件だった。強力な一体よりも、数の多い弱敵の方が危険な場合はある。可能ならば数名で受けることを推奨される案件である。
けれど、エルナはあえて一人で受けた。
自分の才能に自信があったからだ。
仮に危機に陥ったとしても、それを乗り越えることで成長できるとも思っていた。
「何事も経験よね」
そう呟いて、エルナは玄関に向かう。
古びた大きな扉だ。しかし、壊れている様子はない。
取っ手を取ると鍵もかかっていなかった。
エルナは大きく息を吐いてから、おもむろに扉を開けた。
扉が軋んだ音を鳴らす。
まずはエントランスホールに入ったようだ。
室内は暗かったが、全く見えないほどでもない。
念のために視力を魂力で強化して、夜目を利かせておく。
エルナは物質転送の術を使用して虚空を開き、そこから薄紫色の羽衣を取り出した。エルナの主力武器だ。掴まれた布は、ふわりと舞った。
(さて。目的は
こうして館に踏み込んでも襲ってくる気配はない。
エントランスホールは静寂に包まれていた。
(様子見? それともそんなに数はいないの?)
とりあえず、エルナは館の中を進むことにした。
まずは階段を上がって二階。長い廊下に出る。
エルナは羽衣を片手で掴みつつ大きく広げて、自分の全方位を覆うように展開した。
防御の陣である。
これで不意打ちを受けても、羽衣が自動的に迎撃してくれる。
エルナは廊下を進む。
すると、
――ギィィ。
不意に廊下伝いにあるドアの一つが開けられた。
エルナは警戒する。
そしてドアを片手で掴んで出てきたのは、やはり怪物だった。
肉は腐り落ちて、黄ばんだ骨が見える。
動く腐肉死体。
それが二体、部屋から現れる。
同時にエルナの後方側のドアも開いた。
そこからも二体現れ出た。
(……挟み撃ち。だけど……)
警戒していた不意打ちはなかった。
だが、その理由にはすぐに気付く。
四体とも男の
最下級だろうが、
要は、エルナで性欲を満たすために死亡させかねない不意打ちを避けたのである。
(本当に最悪だわ。我霊って)
エルナは不快感で眉をしかめた。
最悪の度合いで言えば、今の
「だから、あなたたちはお断りよ」
淡々とした声でそう告げた。その台詞に怒りを感じた訳ではないだろうが、前後、四体の
しかし、エルナは動じない。
「出直して来なさい」
そう言って、羽衣を横に振るう。
途端、羽衣が屍鬼どもの首に巻き付いて、そのままへし折った。
それだけで屍鬼どもは崩れ落ちた。簡単に死を思い出したのである。
「やっぱり
エルナは言う。
見た目は確かに恐ろしい。
世にゾンビ映画が溢れかえっている影響もあるせいか、その姿に下手な我霊よりも恐怖を感じるのも事実だ。不意打ちを受ければ、思わず身が竦むかもしれない。
だが、その戦闘能力はあまりにも低い。
何度か戦ったことのあるD級我霊に比べると敵ですらない印象だった。
「気を付けるのは不意打ちだけね。さっさと片付けて帰りましょう」
そう呟いて、再び防御の陣を展開しながら、廊下を歩き出す。
だが、エルナは気付いていなかった。
解き放たれた後方のドア。
そこから手が伸びていたことに。
それも一本や二本ではない。
――うじゃうじゃうじゃうじゃ……。
無数の腐り果てた腕が、ドアから溢れ出ようとしていたことに。
他にも階段を上って現れ出た、涎を垂らす屍鬼どもの姿に。
――そう。エルナはまだ気付かない。
自分が今、どれほどの危地に立っているかということに。
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