第275話 かくして彼女はそう告げた②

 月華の世界。

 静寂が降りる中……。


 低く。

 低く、低く。

 空気が凍結していく。


 天堂院六炉を中心に広く霜が奔って行く。

 同時に彼女の上空は曇天となり、吹雪も舞う。

 月華の世界を上書きしているのである。

 本来ならば、このままさらに自分の世界――封宮メイズを展開していくところだが、


(……それはまずい)


 あえてこれ以上の展開はしない。

 六炉は、あまり封宮の制御が得意ではない。

 それに加えて、彼女の封宮は過酷な凍土の世界だ。

 ここにはエルナたちもいる。

 万が一にも彼女たちを取り込んでしまったら大変だ。

 エルナたちは先輩であり、妹であり、六炉の新しい家族なのだ。


 お姉さんとしてあの子たちを守りたい。

 なのに自分の力に巻き込んでしまっては本末転倒である。


(不利だけど、仕方がない)


 六炉は、琥珀の眼差しで桜華を見据える。

 黒い光剣を携えた美女も、静かな瞳で六炉を見つめていた。

 その眼差しは、まるで何かを観察しているようだった。

 何かを企んでいるのかも知れない。


(けど)


 例えそうだとしても全力で圧し潰すだけだ。


「……じゃあ行く」


 そう告げた直後、透明な帯が六炉の全身を覆った。

 着物も拘束衣も瞬時に凍結して崩れ落ち、次の刹那には別の衣装へと変わっていた。

 紫色の帯と、氷の雪華の冠。雪が刺繍された白き異端の和装。

 六炉の戦衣ドレスだ。

 初めて見る姿にエルナたちも驚いている。


 一方、桜華は双眸を細めていた。


「……面白いな」


 小さく呟く。


魂力オドを物質化させた戦装束か……」


 一瞬で戦衣ドレスの性質を見抜く。


「…………」


 六炉は何も答えない。

 代わりに、すうっと両手を空へとかざした。


「来て。モフゾウさん」


 その声に曇天は応えた。

 桜の花びらを吹き飛ばし、猛吹雪は大地に降り注ぐ。


 そして――。


『ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』


 六炉の背後には、巨大な怪物が現れていた。

 全高は三十メートルほどか。

 円らな金の眼差しに、ヘラジカのような巨大な角を生やした雪山を彷彿させる巨体。長い両腕には鋭い四本爪を持ち、下半身は景色に溶けて見えなかった。


 ――《悠幻回廊雪華ユウゲンカイロウセッカ山妖サンヨウ》。


 愛称は『モフゾウさん』。

 六炉の象徴シンボルである。


「……これは」


 これには流石に桜華も驚いた表情を見せた。

 それはエルナたちも同様だ。


「ト、トト……?」


 かなたが目を見開き、エルナが何かを連想して口を開いていた。

 ただ、刀歌は少し眉をしかめていた。

 刀歌だけはかつて見た巨大な氷の猫を思い出していたからだ。

 やはり六炉は、あの男の姉なのだなと一人実感する。


 ――と、


「モフゾウさん」


 そんな間にも状況は動き出す。

 六炉が桜華を指差した。


「スタンプ」


『ブモオオオッ!』


 吹雪の化身は右腕を天に掲げると、勢いよく振り下ろした!

 桜華は直前に後方へと跳躍するが、冷気の余波が襲い掛かってくる。

 桜華は白い息を吐きながら、黒い光剣で刺突の構えを取った。

 そして砲弾のように跳躍する。

 狙いは吹雪の化身の眉間だ。

 それは直撃するが、桜華はそのまますり抜けるだけだった。


「……実体がないのか」


 宙空でそう呟いた時、


「モフゾウさん」


 六炉が桜華を見据えてさらに命を下す。


「バッチン」


『ブモオオオオオッ!』


 吹雪の化身は反転した。いや、正確には裏返ったと表現すべきか。

 体は動かさずに正面が背中へと移動したのだ。

 実体がないゆえの利点である。

 そして未だ宙空にいる桜華を柏手で打つ!


「ちょッ!? 六炉さん!?」


 あまりにも容赦のない攻撃にエルナがギョッとした。

 謎多き相手ではあるが、流石に殺す必要までない。

 しかし、あれでは――。


「やりすぎだよ! 六炉さん!」


 そう叫ぶが、それは杞憂だった。

 瞬時に吹雪の化身の両手が、無数の黒い光刃によって斬り裂かれて霧散したのだ。

 桜華は地面に降り立った。

 衣服には多少の裂傷はあるが、彼女自身は傷一つ負っていなかった。


「なかなかやるな」


 桜華は不敵に笑う。

 重心を深く下げ、黒い光刃を水平に構えた。


「想像以上の敵だ。戦闘段階を上げることにしよう」


 そう宣言すると、桜華は駆け出した。

 これまで以上の加速だ。狙いは六炉である。

 吹雪の化身よりも本体を叩くべきと考えたのだろう。

 当然、それは六炉も予想している。

 地を蹴って宙に跳ぶ。その足元には雪華の台座が生まれ、六炉は宙へと移動した。

 それを追って、桜華も跳躍する。


「モフゾウさん」


 六炉は命じる。


「口からビーム」


『ブモオオオオオオオオッ!』


 吹雪の化身は胴体に隠していた大口を開いた。

 口腔から猛吹雪が吐き出される!

 それは桜華を呑み込むが、


「甘いぞ」


 桜華から不敵な笑みは消えない。

 彼女を中心に、円形の空間が展開されたのだ。

 何かの術ではない。

 凄まじい速度の斬撃を繰り出して吹雪を遮っているのである。

 流石に六炉も目を瞠った。

 それは、まさに斬撃の結界だった。

 桜華は猛吹雪も物ともせず、六炉に迫った。

 そうして吹雪を抜けて、六炉の目前で黒い光剣を振りかぶった時だった。


「お前こそ甘い」


 淡々と六炉が言う。

 彼女はいつの間にか、両手を前に差し出していた。

 そこには、手の平サイズに実体化した吹雪の化身がいた。

 腰だめに両手を構えて強烈な凍気を圧縮させている。


「モフゾウさん!」


 六炉が叫ぶ!


「モフゾウ波っ!」


『ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』


 ――ゴオオオォオオオオオオォッ!

 小さな掌から莫大な凍気が吹き荒れた!


 至近距離からの不意打ち。

 こればかりは桜華にもよけきれなかった。


「……グウッ!」


 左脇腹に直撃し、そのまま地面へと叩きつけられる!

 土煙が濛々と立ち昇った。

 会心の一撃である。

 六炉は、ふうっと息を零した。

 同時に吹雪の化身の姿は徐々に薄れていく。

 六炉は雪華の台座に乗ったまま移動し、地面へと降り立った。


「――六炉さん!」


 その時、エルナが駆け寄ってきた。

 刀歌とかなたも隣にいて、かなたはエルナの肩を借りている。

 ちなみに赤蛇はそんなかなたの肩に、九龍は上空に待機していた。


「流石にこれはやりすぎなんじゃあ……」


 エルナがそう呟く。

 非難するつもりはないが、流石にあの攻撃は強烈すぎた。

 命を奪いかねない一撃だった。


「うん。分かっている」


 一方、六炉も少し気まずそうに答えた。


「刀歌の一族だって聞いたし、加減したかったけど……」


 徐々に消え始めている土煙に目をやった。


「それが出来るような相手じゃなかった。死んではいないと思うけど、たぶん重傷。エルナたちも手持ちの治癒薬があるのなら貸して――」


 そう言った時、


「いや、気遣いは無用だ」


 そんな声が聞こえてきた。

 六炉たちは、ギョッとして声の方へと視線を向けた。

 土煙の中に影が浮かぶ。その影の主はゆっくりと現れた。

 桜華である。


「え? うそ……」


 エルナが茫然と呟く。

 声には出さなかったが、六炉も含めて全員が驚いていた。

 現れ出た桜華。

 先程の一撃のせいで彼女の中華服チャイナドレスはボロボロだった。

 小さな裂傷は多いが、何よりも直撃を受けた左脇腹が悲惨だ。

 へそが見えるまでにごっそりと失っている。

 それは左側の胸部にも至り、彼女の豊かな双丘の下半分ほどを露出させていた。


 ――そう。露出させているのだ。

 全くの無傷である彼女の白い素肌を。


「久方ぶりだな」


 黒い光剣は消し、宝剣の柄を腰に当てて桜華は言う。


「これほどの傷を負わされたのは」


「……傷など負っていないようですが?」


 かなたが険しい表情で尋ねる。

 桜華はかなたを一瞥した。


「負ったさ。だが、すでに治癒した。それだけの話だ」


「……治癒、ですか?」


 刀歌が困惑した表情を見せる。


「あれほどの一撃で受けた傷が? ひいお爺さま、あなたは……」


「……流石にそう呼ばれることには違和感を覚えるな」


 桜華は苦笑いを零した。


「これも若返りの影響か。そうだな……」


 一拍おいて。


「『私』の名は桜の華と書いて桜華という。あいつ・・・が贈ってくれた名ではあるが、同時に母が名付けてくれた『私』の本名でもある。そうだな、刀歌よ……」


 桜華は告げる。


「今後、『私』のことは桜華師と呼べ」


「お、桜華師……?」


 刀歌は未だ困惑の表情を見せていた。

 桜華はそんな弟子に微笑を浮かべつつ、「さて」と六炉に目をやった。


「よく観させてもらったぞ」


 一歩前に進む。


「お前の力。模擬象徴デミ・シンボルによく似ているが、恐らくは違うな。いや……」


 桜華は双眸を細めた。


「それこそが本物なのか。真の象徴シンボルといったところだな」


 宝剣を胸元で掲げる。


「お前と戦えてよかった。おかげで掴めた気がする」


 そこで皮肉気は笑みを見せた。


「《DS》のオリジナルなど手に入れなくとも済みそうだ」


「……《DS》のオリジナル?」


 六炉が眉をひそめた。


「それはどういうこと?」


「いや、それに関しては完全に『私』個人の都合の話だ」


 桜華はかぶりを振った。


「お前には関係のない話だな。それよりも――」


 桜華は、再び宝剣から黒い光剣を生み出した。


「お前にはもう少しだけ付き合ってもらいたい。試させてもらおう」


 淡く輝く桜の花びらが舞った。

 そんな幻想的な世界で、桜華は不敵に笑って告げる。


「お前との戦いで掴んだ、『私』の象徴シンボルの力をな」









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