第158話 バケモノ談義⑨

 走る。走り続ける。

 黒田信二は、刀を片手に森の中を駆け上がっていた。

 すでに鞘は捨ててある。抜き身の刃を持っての疾走だ。


 最短距離で突き進んだ信二たち。

 順調に進んでいたが、やはり最後までは甘くなかった。

 御堂まであと十分。その距離まで詰めたところで化け物に遭遇したのだ。

 その姿は人に近かったが、腕の筋肉だけが発達した化け物だった。


 信二たちは全員で迎え撃ったが、相当に手強い相手だった。

 特に太い腕の攻撃は、まるで丸太を振り回しているようだった。

 避けきれず、吹き飛ばされた仲間もいる。木に叩きつけられつつ、咄嗟に身構えたおかげで重傷にまでは至らなかったが。


 いずれにせよ、御堂が目前にあり、信二たちには焦りがあった。

 このままでは倒すのに相当な時間を浪費する。

 下手をすれば、犠牲者さえも出るかもしれない。


 その時だった。


『黒田さん!』


 仲間の一人が叫んだ。


『先に行ってくれ! この距離なら走り抜けられる!』


 拮抗した戦況で、仲間が一人離脱するのは危険だ。

 信二は一瞬だけ迷うが、


『――ここは頼む』


 ここまで共に戦ってきた仲間を信じた。

 仲間たちは雄々しく応えてくれた。

 そして信二は走り出す。

 目指すは御堂。菊が待つ場所だ。


 走る。走る。

 そうして――。


(見えたッ!)


 遂に、森を抜けた。

 丁度、正門近くに出たようだ。

 だが、そこには、


「がああああああああああああ――ッッ!」


 一体の化け物がいた。

 痩せこけた体躯に、長い髪。人間並みの小柄な怪物だ。

 怪物は獣のように四肢を使って、信二に向かって走り出す。

 信二は、刀の柄を強く握った。

 迫る脅威に、体が強張る。恐怖が心を縛る。

 だが、


(――僕はッ!)


 ギリと歯を食い縛る。


(菊を守る! 夫になるんだ! 父になるんだ!)


 信二もまた駆け出した。

 互いに駆ける化け物と信二は接近する。

 そして、


 ――ザンッ!

 銀閃が煌めいた!


 鮮血が飛ぶ。首を刎ねられ、化け物は転がるように倒れ込んだ。

 信二は、そのまま走り抜ける。

 そうして遂に、


 ――ガコン、と。

 外からの閂を外され、御堂の扉は開かれた。

 信二は刀を床に突き刺し、御堂の中に目をやった。

 そこには多くの女性がいた。

 全員が唖然とした顔をしている。

 その中で、信二は一人の女性を見つけた。

 信二が、生涯を共にすると決めた愛する人だ。


「――菊ッ!」


 彼女の名を叫ぶと、彼女は立ち上がった。


「信二、さま……。信二さま!」


 そして、二人は互いに駆けより強く抱きしめ合った。

 その瞬間を以て。


「……見事だったぞ」


 遠き山頂にて、その呟きが零れ落ちた。


「道化よ」


 久遠真刃は、刃の王に告げる。


「どうやら決着の時が来たようだな」


 しかし、餓者髑髏は答えない。

 ただ、真っ直ぐ自分の妻の姿だけを見据えていた。

 真刃は一瞬だけ眉をひそめるが、


「――九龍よ。やれ」


「ガウ」


 主の命に、黒龍がアギトを大きく開いた。

 そして、その口腔から、莫大な雷光が放たれた。

 雷光は刃の玉座ごと餓者髑髏を呑み込み、その先の森の一角まで破壊する。

 その一撃に合わせて、猿忌と、他の五将も身構える。

 しかし。

 雷光が収まった時、そこには黒焦げた刃の玉座と、人型に組まれた刀剣がいた。

 昨夜も見た餓者髑髏の本性たる姿だ。

 だが、その姿は今にも崩れてしまいそうだった。《災禍崩天》にさえ耐えた化け物が、この程度の雷光で傷つくことなどあり得ない。

 ここにいるのは、とうの昔に抜け殻だったのだ。


「……どこまでも食えぬ道化め」


 真刃は、舌打ちする。


「案ずる振りをして、堂々と謀りおったか」



       ◆



(鬱陶しい!)


 エリーゼは、苛立ちを抱いていた。

 戦況は、明らかに傾いていた。

 よもやの死にぞこないが参戦してきたことで、大きく変わってしまった。


(たかだか人間風情が!)


 不可視の触舌を放つが、あの死にぞこないに通じない。

 直撃しても、肉体が硬質化して弾かれるからだ。

 しかも、弾かれ速度が落ちたところを、もう一人の女に斬り落とされる。

 まさしく盾と剣だった。

 今日、初めて出会ったはずなのに、恐ろしく連携が通じている。


「――ふっ!」


 小さな呼気と共に繰り出された光刃の横薙ぎ。

 エリーゼは触舌を木に絡ませて、真横に回避した。

 だが、黒髪の女の追撃は止まない。

 この女も、完全に調子に乗っていた。

 こちらが殺せないことをいいことに、接近戦を挑んでくる。


「このッ!」


 苛立って、黒髪の女に手を伸ばすが、それは、ことごとくかわされる。


「~~~~ッ!」


 さらに苛立って、両腕を使って追うが、


「桜華ばっかり構ってるんじゃないよ」


 死にぞこないが、エリーゼのこめかみを掌底で打ち付けた。

 相撲でいう鉄砲である。

 膂力においては、死にぞこないは相当なモノだった。

 エリーゼの体は、木々を打ち砕いて吹き飛ばされてしまった。

 すぐさま立ち上がるが、エリーゼの苛立ちはもはや限界だった。

 こめかみを片手で押さえて、歯を軋ませる。

 そして、


「……もういい」


 ポツリ、と呟く。

 血走った双眸で、黒髪の女――桜華を睨み据える。


「もうお前はいらない。贈り物プレゼントにはしない。お館さまには『ごめんなさい』をする」


 続けて、死にぞこない――多江に目をやる。


「お前もいらない。実験はまたすればいいから」


 ビシビシビシと、エリーゼの全身に無数の血管が浮かび上がる。


「お前たちは殺す。エリーの全力で」


 そう宣告した。

 途端、エリーゼの体が変化した。

 桜華たちは目を瞠った。


「―――な」「………は?」


 全力を出すと言ったエリーゼの姿が、二回りは小さくなったのた。

 桜華よりも小さいぐらいだ。

 体格もずっと華奢になっている。豊かな双丘も未成熟なモノに。足や腕は、強く触れれば折れてしまいそうなほどに細くなっていた。


 一言でいえば、エリーゼは幼くなっていた。

 二十代前半の姿から、十四、五歳ほどの少女の姿になったのである。


「この姿は、お館さまにしか見せない姿」


 体格に合わせて、白い装束ドレスも大きく変化する。長いスカートは千切れて霧散し、肩は剥き出し、腹部は解放したまま、胸元で交差して纏う。


「エリーの本当の姿。全力の姿でお前たちを殺す」


「はン」


 多江が鼻を鳴らす。


「全力の姿だって? 子供の姿だからって容赦は――」


 と、言った瞬間だった。

 エリーゼの拳が、多江の腹部にめり込んだのは。

 多江の異能は発動している。が、それを意に介さないほどの一撃だった。

 多江は、容赦なく吹き飛ばされた。


「――貴様ッ!」


 桜華は表情を険しくして、白き《火尖刀》を繰り出した!

 狙いは、幼いエリーゼの首筋だ。

 ――しかし、


「な、に」


 桜華は目を見開く。

 白の位まで高めた光刃は、エリーゼの細い首に少しも喰い込めず止められていた。


「今のエリーは、触舌をすべて筋力にしている」


 エリーゼは言う。


「あれだけの質量を全部圧縮しているの。お前の刃なんてもう通らない」


 そう告げて、凄まじい速度で拳を突き出した。

 桜華は直感だけで拳の軌道を読んで、光刃で遮った。

 直撃は防ぐことは出来た。

 しかし、盾にした光刃ごと、桜華は多江同様に吹き飛ばされてしまった。


(―――クッ!)


 桜華は宙空で回転、両足で着地した。

 恐ろしい一撃だ。桜華では直撃した場合、即死は免れない威力である。

 エリーゼは、憎悪の眼差しを以て、桜華を見据えていた。


「……あの糞女」


 すると、隣から声が聞こえてきた。

 多江の声だ。


「大丈夫か? 多江?」


「どうにかね。けど、ヤバいよ」


 多江は、自分の腹部に手をやった。

 ズキンと強く痛む。


「この能力が気休めにしかなっていない。ただ殴るのが一番強いって何なんだよ」


 多江は、口内の血を吐き捨てて言う。


「口調まで変わってるね。素ってことか。全力ってのも本当みたいだ」


「……確かにな」


 桜華も険しい表情で呟く。


「自分の刃も通じなかった。多江。お前の攻撃は通じそうか?」


「無理だろうね」


 多江は即答する。


「私の攻撃も強度は変わらない。あの女には通じないよ」


「……そうか」


 桜華は一瞬だけ瞳を閉じた。

 そして、


「多江。三分凌いでくれ」


「三分?」多江は眉根を寄せた。「何か策があるのかい?」


「ああ」と桜華は頷く。


「自分の秘剣だ。だが、未完ゆえに発動に時間がかかる」


「なるほどね」


 多江は、ぐいっと口元の血を拭った。


「その話、乗ったよ。三分、稼いでやるよ」


 言って、左側の着物も開ける。

 次いで、桜華でさえ見惚れるような美脚を高々に上げて、

 ――ズンッ!

 と、強く大地を踏みつけた。


「お前、それは……」


 桜華は目を丸くした。すると、多江はふふっと笑い、


「旦那が若い頃、相撲をかじっていてね。何となくさ」


「……そうか」


 桜華は、微苦笑を浮かべた。


「それは邪を祓う儀式という。あやかるのもいいだろう」


 言って、光の刃を消して、柄のみになった刀を横にかざす。


「頼むぞ。多江」


「ああ。任された」


 そう応えて、多江は地を蹴って駆け出した。


「……死んじゃえ」


 エリーゼは小さく呟いて、迎え撃つ。

 桜華は小さく呼気を吐いた。

 そして、深く意識を集中させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る