第157話 バケモノ談義⑧
木々が、次々と切断される。
視認さえも不可能な
それらが、縦横無尽に森を薙ぎ払う。
その中を桜華は疾走する。
そうして円を描くように、黄金の女の背後へと回ったが、
『桜華さま!』
白冴の声に、桜華は地を蹴ってその場から離れた。
その直後に、寸前までいた場所から、無数の触舌が噴き出してきた。
それが捩じれて、周囲へと襲い掛かるが、すでに桜華は間合いの外にいた。
ズザザッと地を削り、桜華は「……ふう」と小さく息を吐いた。
一方、エリーゼは、
「残念。気付かれましたか。ですが」
そこで、少し不満そうに眉根を寄せた。
「この戦いは一対一だと思っていたのですが、その式神はいるのですね」
「……ふん」
桜華は、もはや数えきれない数の触舌を腹部で蠢かせるエリーゼを一瞥し、
「白冴は自分の夫から贈られたモノだ。自分の傍にいて当然だろう」
「まあ、そうでしたの」
エリーゼは微苦笑を受かべた。
「それを言われると、女としては同意するしかないですわね。私も、お館さまからの
エリーゼは、周囲に目をやった。
自分の触舌で伐採してしまった無残な場所だ。
「このままでは少々危険ですね。うっかり殺してしまいそうです」
エリーゼは、頬に手を当てて小首を傾げた。
数瞬の沈黙。
そして、
「そうですわね。
言って、ふわりと宙に跳んだ。
軽い跳躍ではない。木々さえも飛び越えそうな高さだ。
宙空で白い
その直後のことだった。
エリーゼの腹部の口から、滝のように触舌が溢れ出したのだ。
「―――な」
明らかにエリーゼの体積を超える量に、桜華は目を瞠った。
膨大な触舌は、瞬く間に、エリーゼの下半身を覆い尽くした。触舌は複雑に絡み合い、形を成していく。数秒後にはエリーゼの下半身は、巨大な蜘蛛のような形状に成っていた。
八本の脚がある巨大な蜘蛛。だが、その脚はすべて人の腕の形をしていた。
人間を握れてしまえるほどに巨大な掌だ。
「ただの
エリーゼは笑う。
「これで捕えさせてもらいますわ」
そう告げると同時に巨大な前脚――二本の腕が桜華に襲い掛かった。
速度は、先程の触舌ほどではない。
だが、その威圧感はただの触舌の比ではない。
『桜華さま!』
白冴が咄嗟に結界を張ろうとするが、
「心配無用だ!」
桜華はそう告げて走り出した。
手に携える光の刃が、煌煌と輝きを放つ。
桜華は巨大な掌の一つを潜り抜けて、もう一本の腕には、
「――はあッ!」
白き光の刃で斬り込んだ!
途端、エリーゼが目を剥いた。
桜華が放った光の斬撃が、巨大な掌の指を斬り落としたのだ。
「私の触舌を!」
「的が大きくて助かるな!」
桜華は不敵に笑って、そのまま触舌の腕を踏み台に駆けあがった。
そして、エリーゼの背後へと跳躍した。
「甘いですわ!」
エリーゼは後ろを振り向く。
と、同時に、後ろ脚を担う二本の腕が、桜華を捕えようとする。
だが、それにも桜華は動じない。
「――ふっ!」
一息で無数の斬撃を繰り出した。
まるで演舞のように、美しくその場で回転する。
次の瞬間には、巨大な腕は、無数の肉片へと変えられていた。
桜華は跳躍する。狙うはエリーゼの首だ。
しかし、
――ひゅんっと。
不意に、エリーゼの上半身が消えた。
桜華が目を剥くが、すぐに背後に悪寒を感じた。
確認などせず、足場としているエリーゼの下半身を蹴り、前へと飛び出した。
無数の触舌が、エリーゼの下半身から噴き出したのはその直後だった。
桜華は回転して、地面に着地する。
蜘蛛のようなエリーゼの巨体を睨み据える。
すると、エリーゼの上半身が、蜘蛛の巨体の前面から浮かび上がってきた。
「本体はどこからでも出し入れ自由か」
桜華は、ふっと笑う。
「随分と便利なものだな」
「……不快ですわね」
浮かび上がったエリーゼが、険しい表情で言う。
「少々手心を加えたら、いきなり調子に乗るとは……」
「ふん。自分を侮るからだ」
言って、桜華は光の刃を横に薙いだ。
「技において自分に勝る者はいない。たとえ、それが我が夫であってもな」
桜華は、不敵な笑みを見せる。
「それでどうするつもりだ? その無駄にデカい図体でまだやるつもりか?」
「…………」
エリーゼは、無言で桜華を睨みつける。
今の攻防だけで充分だった。
この巨大すぎる姿では翻弄されてしまう。
だが、人間相手に、それを認めるのは――。
と、考えていた時だった。
「……へえ。あんたのそんな悔しそうな顔、初めて見たよ」
その声は、不意に響いた。
エリーゼ、そして桜華、白冴さえもギョッとする。
エリーゼが顔を声のした方に向けた、次の瞬間。
――ズドンッッ!
途轍もない衝撃が、エリーゼの蜘蛛の巨体を貫いた。
巨躯は宙に浮き、木々ごと吹き飛んでいく。
桜華は唖然とした顔で、声の主――今の一撃を喰らわせた相手を凝視した。
地を踏み抜き、掌底を突き出したその人物は女性だった。
胸にさらしを巻き、上半身の片方を開けた着物を纏う女性だ。
年の頃は二十代前半ほどか。褐色の肌に、浅黄色の巻き毛という珍しい風貌だが、それ以上に目を奪われたのは、突き出した掌底の色だ。
その掌底は、鋼のように光沢を持つ銀色だったのだ。
「あんた、名前は?」
その時、褐色の女性が、桜華に尋ねてきた。
桜華は少し警戒しつつも、「桜華だ」と答えた。
「そうかい。私の名前は多江だよ」
そこで、多江は桜華が握る光の刃に目をやった。
「あんたは味方って考えてもいいかい?」
その言葉で、桜華は察した。どこの所属の者かは分からないが、この多江という女性が自分と同じ引導師であるのだと。
実際のところは全く違うのだが、それを問う時間はなかった。
「……お前はッ!」
吹き飛ばされたエリーゼが、跳躍してこの場に戻ってきたからだ。
着地したエリーゼは、すでに大蜘蛛ではなく、元の姿になっていた。
「まさか、生き延びていたのですか!」
「ああ。おかげさまでね」
多江は、ふんと鼻を鳴らした。
「約束通り、あんたを張っ倒しに来たよ」
「……言ってくれますわね」
エリーゼは、ギリと歯を鳴らした。
「人間風情が!」
そう吐き捨てて、腹部から触舌を解き放った。
視認できない一撃は、容赦なく多江の首に直撃する!
――が、
「――――な」
エリーゼは、目を見開いた。
触舌は、確かに多江の首に直撃した。
しかし、その首を刎ねることは出来ず、逆に撥ね退けられたのだ。
「……便利な力だよ」
吹き飛ばされることもなく、その場に両足で立ったまま、多江は言う。
「防御の時は、私の意志と関係なく発現してくれるみたいだね」
そうして、自分の首筋を指先でコツコツと打つ。
彼女の首筋は、先程の掌底と同じく銀色の輝きを放っていた。
「肉体の、金属化?」
エリーゼが呟く。と、
「防御系か。自分も初めて見る系譜術だな」
その声にハッとして、エリーゼは頭を屈めた。
その一瞬後に、光の白刃が宙を斬る。
――いや、大きく揺れたエリーゼの髪を斬り裂いた。
黄金の髪が散った。
「私の髪を!」
「忘れるなよ」
髪を斬り裂いた桜華が言う。
「お前の相手は自分だろう。さて」
桜華は、視線はエリーゼから外さず、新たに参戦してきた人物に告げる。
「先程の答えだが、自分はお前の味方でいいぞ」
「ああ。分かったよ」
桜華の返答に、多江はニカっと笑みを見せた。
「じゃあ、そうだね」
大きく両腕を広げる。
次いで、パンっと手を重ねた。
「桜華。こいつを二人でぶちのめそうか」
「ああ。そうだな」
桜華は後方に跳躍し、多江に並んだ。
「そろそろ決着をつけようか。《屍山喰らい》」
◆
「……金堂多江君か」
餓者髑髏が、ポツリと呟く。
刃の玉座に肘をつき、化け物の王は、初めて渋面を浮かべた。
「よもや、この
「……事情は知らんが」
龍体の玉座から、対峙する真刃が言う。
「彼女は引導師のようだな。それも、貴様にとって想定外の」
「……まあ、実際には、引導師ではないのだがね」
言って、餓者髑髏は肩を竦めた。
「だが、彼女は相当に適性が高かったようだ。エリーの触舌を防ぐほどの強度。中々に侮れない存在になった」
そこで指を組む。
その仕草には、微かな焦りがあった。
(彼女が加わったことで、戦況は傾いたな)
真刃は、褐色の肌の女性に目をやった。
何者かは知らないが、ここで参戦してくれたことは有り難い。
御影は強い。
その技の冴えは、真刃も一目置く実力者だ。
だが、それでも、単独で《屍山喰らい》の相手は厳しかった。
御影を捕られて餓者髑髏に捧げる。例の馬鹿げた話が幸いして、《屍山喰らい》に殺意までなかったことが優勢に働いていたが、それは文字通り、相手の気分次第の話だ。
もし、《屍山喰らい》が殺す気で動けば、御影とて抗い切れない。
その時。
真刃は、決断しなければならなかった。
御影を救うか。それとも見捨てるかをだ。
だが、自分でも分かっていた。
それが、選択にさえなっていないことを。
仮にその状況になった時、恐らく、自分は御影を救うことに躊躇しない。
この決断は、御影の誇りを踏みにじり、互いの関係に決定的な亀裂を刻むとしても。
――無辜の民よりも、自分にとって大切な者を。
結局のところ、久遠真刃という男とは、そういう人間だった。
自分が気に掛ける人間以外はどうでもいい。
その考えが、強く根付いていた。
(やはり、
改めてそう思うが、それだけにこの展開は本当に幸運だった。
御影とあの女性。
二人がかりならば、《屍山喰らい》にも届くやもしれない。
参戦した女性の動きを見て、そう感じた。
御影に比べれば、素人然の未熟な動きではあるが、魂力の量においては相当なモノなのだろう。拙い技量を高い身体能力で補っている。それに着目すべきは、あの系譜術だ。
真刃は、鋼の輝きを放つ女性の腕に目をやった。
(躰の一部を鋼と化す術か。攻撃に転ずる際はいささか発動に手間取っているようだが、防御においては速い。自動で発現する常駐型の術式だな)
女性の放つ鋼の双掌が、《屍山喰らい》の腹部に直撃し、弾き飛ばした。
そこへ御影が追撃する。光刃が《屍山喰らい》の胸元を斬り裂く。さらに追撃を加えようとするが、それは無数の触舌の壁で遮られた。御影が後方に跳躍。それに入れ替わって女性が前へと飛び出し、御影の盾と成って触舌を弾いた。
術式、または性格の相性がいいのか、即席の連携も上手く機能している。
(このまま押し切れるか)
そう感じる。
それは、餓者髑髏も感じているのだろう。
あれだけ余裕を見せていた化け物の王の瞳から、
真刃は、別の光景に目をやった。
そこには、一人の青年が森を駆けていた。
温和な顔立ちの青年だ。
けれど、その眼差しは強く輝き、真っ直ぐ前だけを見据えていた。
真刃は「……見事だったぞ」と呟いた。
そして、
「道化よ」
刃の王に、告げる。
「どうやら、決着の時が来たようだな」
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