第27話 幸せは巡る④

 三十分前。

 ベッドの上に正座する、かなたは真っ赤になっていた。

 思い出すのは、寝落ちする前までの自分の醜態だ。


(わ、私は……)


 ヒック、と。

 引きつったしゃっくりをする。何というか、つい甘えてしまった。

 それも凄まじく。


(な、なんという真似を……)


『ジャハハ! お目覚めか? お嬢!』


 不意に声をかけられ、かなたは肩を震わせた。

 強張った顔で振り向くと、ベッドの上に赤い蛇がいた。

 蛇――赤蛇は、しゅるしゅるとかなたの肩の上に乗った。

 赤蛇は『ジャハハ』と笑って言う。


『昨晩はお楽しみのようで』


「――――っっ!」


 かなたは言葉もなく、さらに赤くなった。


『まあ、まだ同じ夜なんだけどな。けど、慣れてないからってそんなに赤くなるなよ』


 赤蛇は、コソコソと囁くように告げる。


『こんなの序の口なんだぜ。今日からお嬢は今までの不幸が馬鹿らしく感じるぐらい、ご主人に徹底的に愛されるんだ。今から甘え方を考えておいた方がいいぜ』


 かなたは何も言わない。顔を両手で押さえて隠す。はみ出た耳だけは真っ赤だ。

 一方、赤蛇は絶好調だった。


『ジャハハ! これからは毎日幸せを注入されるぞ。きっと』


「~~~~~っっ!」


 ビクッと、かなたは肩を震わせた。


『ジャハハハ! いずれは物理的にも注入、もとい挿入を――ヒグッ!?』


 かなたは、無言のまま、赤蛇の首を押さえて雑巾のように捻り切ろうとする。

 彼女は真っ赤な顔の上に、憤懣の表情を浮かべていた。

 赤蛇は『待てお嬢!? 悪かった! オレが悪かった!』と叫ぶ。と、


『あら。大分回復したようですわね』


 刃鳥が、かなたたちの様子に気付いた。


『真刃さま。準備が整ったようです』


「うむ、そうか」


 そう答える真刃は、上着を着て、ネクタイを締め直しているところだった。

 かなたは呆然と青年を見つめていた。すると、


「かなた。こちらに来い」


 真刃が呼ぶ。

 かなたは一瞬自分が硬直するかと思ったが、唇からは「はい」と自然な返事が出て、まだ少し重い体を立ち上がらせた。ベッドから降りると、かなたは真刃の傍に寄った。


「少しは休めたか?」


「はい」かなたは頷く。真刃は彼女の頭を撫でた。かなたの頬が微かに赤らむ。


「では、そろそろ行くぞ。敵の首魁を潰さねばならんからな」


「……はい。承知しました。真刃さま」


「いや、それは刃鳥の真似か? 別に呼び捨てで構わんぞ」


「それは……」


 かなたは言い淀んだ。真刃は少し困った表情を浮かべたが、


「まぁよい。お前の呼びたいように呼べ」


 くしゃり、と愛情を込めて、彼女の頭を再び撫でた。

 それだけで、かなたはまた少し幸せを感じた。

 自分でも気付かない内に、真刃のスーツの裾を掴んでいた。


『あらら。やっぱり完全に落ちちゃいましたか。ふふっ、ですが、これで予定通り弐妃もGETしましたわね。猿忌さまもお喜びになられることでしょう』


『おう。ただ、お嬢推しのオレとしては、弐妃じゃあ納得いかねえんだけどな』


 そんな従霊たちのやり取りは無視して、真刃とかなたは部屋を出た。

 そうして渡り廊下を進んで行く。

 途中、屍鬼の群れと遭遇したが、真刃はかなたには戦わせず、刃鳥に始末させた。

 一方的なその光景には、明らかな格の違いがあった。

 少なくとも屍鬼の群れなど、真刃の手を煩わせるような敵ではない。

 だが、自分には、そんな露払い程度のことさえも出来ないのだ。


「……申し訳ありません。真刃さま」


 やはり、自分は引導師として欠陥品だと思った。

 無表情の中に失意を宿すかなたを、真刃は傍にそっと寄せた。


「気にするな。心の復調には時間が掛かるものだ」


「……はい、真刃さま」


 かなたは、トスンと、青年の体に額を預けた。

 不甲斐なさは拭えないが、ここでも幸せを感じた。

 さらに真刃たちは廊下を進む。我霊の数も飛躍的に多くなっていく。中にはかなたが初めて遭遇する危険度Bクラスの我霊もいたが、刃鳥の刃の陣の前には無力だった。

 そうして我霊を駆逐しながら進むと、真刃たちは大きな扉の前に辿り着いた。


「どうやら、ここが終着点のようだ」


 真刃が言う。続けて、彼は扉をノックした。

 当然ながら返答はない。真刃は苦笑しつつ扉を開いた。


「……ここはコレクションルームでしょうか?」


 室内に入り、周囲を一瞥して、かなたが呟く。

 円筒型の吹き抜けの部屋。壁には、無数の絵画が無数に設置されている。


「ふむ、そのようだな」


 真刃は進む。そして巨大な絵画に目をやった。

 かなたも真刃の傍らで絵を見やる。黒い長髪が印象的な女性の肖像画だ。表情のない美女。少しだけかなたの母に似ている気がした。生前の母が長い髪をしていたせいだろうか。


「黒髪ロングは、己の好みではあるが……」


 ポツリと、真刃が呟くのを聞く。

 かなたは青年の横顔を一瞥しつつ、こっそりと心のメモ帳に記した。

 ――と、その時だった。

 轟音と共に、背後の扉が粉砕されたのは。

 かなたは、目を見開いて背後に目をやった。

 すると、そこには、


「ふん、どうやら先手は奪われたようだな」


 皮肉気に笑う彼女の主人がいた。


(……ご当主さま)


 当然と言うべきか、やはり主人も無事だった。

 その傍らには、やたらと艶めかしい姿のエルナお嬢さまと、黒鉄の虎の姿もある。

 どうやら彼らも合流して行動を共にしていたようだ。


「随分と派手なノックをする」


 真刃は、呆れたように笑う。


「――お師さまっ!」


 エルナの嬉しさを隠せない声が響いた。そこには強い好意を感じ取れた。


(………)


 少しだけ。

 かなたの心は、ムッとした。

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