第83話 見定める男②
明くる日の放課後。
エルナ、かなた、刀歌の三人は並んで長椅子に座っていた。
「……あいたた」
エルナが、二の腕を解して呟く。
星那クレストフォルス校の校内には、ドーム状の庭園がある。
ところどころに長椅子も設置された、森林公園を思わせる大きな庭園だ。
冬であっても庭園内は暖かく、休み時間には多くの生徒たちも集まってくる。
エルナたちも、この庭園はよく利用していた。
「ううゥ、お師さま、容赦ない……」
エルナが、今度は片足を抑えて眉をひそめた。
余すことなく全身が痛い。完全に筋肉痛だった。
「…‥確かにな」
かなたを中央に挟んで座る刀歌が呟く。
ううんっ、と大きな胸を反らして背伸びをした。
「流石に私も筋肉痛だ。これでも、それなりに体力には自信があったのだが、十五分程度でダウンとは、なんとも情けないことだ」
ちらりと、隣のかなた、エルナの横顔を見る。
「特に、同い年のお前たちよりも先にダウンしたのは、ちょっとショックだった」
「あはは」
エルナは苦笑を浮かべた。
「刀歌は体力に自信があった分、前半飛ばし過ぎなのよ。ガス欠も仕方がないよ」
「むむ」
刀歌は眉根を寄せた。
「しかし、かなたは涼しい顔だな」
もう一度、隣のかなたの横顔を見やる。
かなたは相変わらずの無表情。普段と全く変わらない面持ちだった。
すると、エルナが、にまあっと笑った。
「あら。まだまだ付き合いが浅いわね。刀歌」
言って、かなたの右肩を、ちょんっと指先でつついた。
途端、かなたがビクンっと肩を震わせた。
「ああ。なるほど」
刀歌も悪戯っぽく目を細めて、かなたの左肩をつついた。
再び、ビクンっと軽く跳ね上がるかなた。
ただ、表情に出ていないだけで、かなたも相当な筋肉痛に苦しめられているようだった。
「よく分かるな。エルナ」
「流石に二ヶ月も一緒に暮らすとね」
と、笑みを浮かべて語る刀歌とエルナに、
「……分かっているのなら、つつかないでください」
と、かなたが淡々と告げる。
刀歌はクスリと笑いつつ、
「……しかし、私たちの旦那さまは、本当に強いな……」
少し表情を真剣なものに改めて、そう呟く。
いや、実際には、もう強いどころではない。
まだ学生とはいえ、刀歌たちは校内でもトップクラスの実力者だ。
だというのに、三人がかりで手も足も出ない。
しかも、真刃は系譜術も使わなかった上に、隷者の力も借りていない素の状態でだ。
その異様な事実には、流石に思うところがある。
それに、あの日に見た戦いも――。
「……………」
刀歌は微かに目を細めた。
次いで、鋭い面持ちで、周囲へと目を向ける。
石畳を敷き詰めた道沿いに置かれた長椅子。木々に覆われた周囲には人影はない。少し離れた場所には高等部らしきカップルの姿もあるが、そこまでは声も届かないだろう。
(……よし)
刀歌は静かに頷いた。
そして、
「……エルナ。かなた」
壱妃と弐妃相手に、いよいよ今日の本題を切り出した。
「……聞きたいことがある」
一呼吸入れて、
「……単刀直入に尋ねるぞ。聞きたいのは、主君の素性についてだ。お前たちは、主君のことをどこまで知っているのだ?」
――久遠真刃の素性。
それが、どうしても二人に聞きたかった。
参妃の問いかけに、壱妃と弐妃が視線を彼女に向けた。
数瞬の沈黙。そうして、
「……やっぱり気になる? 刀歌」
エルナがそう尋ね返すと、刀歌はほんの少し苦笑を浮かべた。
「そうだな。私としては……」
そう切り出して、自分の想いを口にする。
「主君が何者であっても気にしない。あの人を愛して、あの人と共に戦う。そしていつかの日かあの人の子を産んで育てる。それが、私が自分で決めた未来だ」
淀むこともなく、そう宣言する。
そこには、一切の迷いも気負いもなかった。
「あはは」
エルナは微苦笑を零した。
「……刀歌って方向性というか、目的が変わっても、潔いぐらい真っ直ぐね」
「……ですが、これぐらいはっきりしている方が好感を抱けます」
かなたも、少しだけ優しげに目を細めた。
「だけど」
一拍おいて、エルナが問う。
「それだけ覚悟をしているのに、やっぱり知りたいの?」
「……まあ、これも、私の正直な気持ちなのだが」
刀歌は、コホンと喉を鳴らした。
それから両手の指先を絡めさせる。顔は少しだけ赤い。
そして、
「その……だって、好きな人のことは、その、知りたいじゃないか」
小さな声でそう答えた。
「……う」「………」
エルナが呻き、かなたが沈黙した。
刀歌は、肌が熱気を帯びたのか、
「……う、うん」
胸元をパタパタと動かして、小さく息をついた。
そうして、少し表情を引き締め直して、
「……それに、天堂院家のこともあるしな」
ポツリ、とそう呟く。
「……そうね。やっぱり、気になるのはそれよね」
エルナも面持ちを改めた。
かなたも無表情ではあるが、緊張していることが窺えた。
あの日、天堂院家の当主が語った話は、刀歌にも伝えていた。
「国内最大の大家の一つである天堂院家。その当主の人が語ったのが、百年前にいたという『久遠真刃』という人の話」
エルナの呟きに、数瞬の沈黙が降りる。
そして、
「……やはり」刀歌が呟く。「その人は、主君の先祖なのか?」
しかし、その問いかけに対して、
「………………」
返ってくるのは、数瞬の沈黙。
エルナは、ただ無言で眉をしかめるだけだった。
「……率直に言いますと」
代わりに、かなたが答えた。
「それは、不明です」
かなたは、刀歌を見つめて言葉を続けた。
「実は以前、真刃さまについて調べてみたことがあります。国内の『久遠』という名の家にも当たってみました。しかし、結果は何も分からず……」
「……そうか」
刀歌は腕を組んだ。次いで深々と嘆息し、
「そうなると、ここは知っている者に聞くのが一番だな」
「……私もそう思います」
刀歌の声に、かなたが頷く。
そして二人は、
「蝶花」「赤蛇」
刀歌は髪を結いだ白いリボンに、かなたは首に巻いた赤いチョーカーに声をかけた。
当然ながら、リボンとチョーカーは何も答えないのだが、
「大人しく出てこい。切るぞ」
「……引きちぎる」
『ま、待てよ!』『ぼ、暴力反対!』
慌てた声と共にリボンは解けて七色の蝶に。チョーカーは赤いぬいぐるみの蛇と成った。
すると、エルナが少しブスッとした表情を見せた。
「……いいなぁ、専属従霊。どうして私にはいないの?」
『いや、銀髪嬢ちゃんの場合は、猿忌さまがそれに該当すっからな』
『うん。流石に、長の代わりが出来る従霊はいないよ』
と、赤い蛇――赤蛇と、七色の蝶――蝶花が告げる。
それだけ壱妃は特別ということなのだが、エルナとしては少し不満だった。
しかし、それは今のところ関係のない話だ。
「まあ、それはともかく」
エルナは、ビシイッ、と赤い蛇と七色の蝶に指を突き付けた。
「あなたたちが、お師さまに強い忠誠を誓っているのは知っているわ。けど、実はそれって術による絶対服従って訳じゃないんでしょう? こないだ一気に従霊の数が増えたじゃない。中には変な子もいるから、流石に気付いたわよ」
「……まあ、確かにな」
「あなた方は、真刃さまに対して煩雑すぎますから」
と、刀歌とかなたも告げる。
赤蛇と蝶花は『うぐ』と呻いて、後ずさりした。
「要は、あなたたちって、別にお師さまの術で口止めされている訳じゃないんでしょう。それって話そうと思えば話せる訳よね」
『そ、それは……』『ど、どどどどうしよう! 赤蛇兄さん!』
言葉を詰まらせる赤蛇に、フラフラと揺れて動揺する蝶花。
エルナたちは確信を得る。
「なら、すべてを語ってもらうわ」
エルナが立ち上がって言う。
「壱妃エルナ。弐妃かなた。参妃刀歌の名において要望するわ」
エルナに次いで立ち上がるかなたと刀歌。
三人の妃は、有無を言わせない眼差しで従霊たちを見据える。
そして、
「……さあ、『久遠真刃』について語ってもらうわよ」
淡々と要求するエルナに、
『う……』『あ、あう』
赤蛇と、蝶花は、冷たい汗を垂らすのであった。
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