第404話 伍妃/犬猿の友②

 それは二日前のことだった。

 強欲都市グリードの繁華街。とあるバーにて。


 二人の男が、カウンターでグラスを傾けていた。

 一人は三十代の男。白い紳士服スーツを着こなした紳士だ。

 髪も整えられ、一流のビジネスマンの風貌である。


 もう一人は二十代半ばの青年。

 縮れた茶髪に丸い眼鏡をかけており、その姿は大学生のようにも見える。

 だが、


「……きひっ」


 その顔に、一般人とは思えない不気味な笑みを浮かべた。


「いよいよかい?」


「……ああ」


 紳士服姿の男が頷く。


「二日後、《夜猫ナイトウォーカー》が強欲都市グリードに来る。そのタイミングを狙う」


「おっ、そうかい。芽衣ちゃんが帰ってくんのか」


 眼鏡の青年は双眸を細めた。


「ラッキー。前から狙ってたんだよな。あのおっぱいを是非とも堪能したくてさ。ああ、それで言うのなら《雪幻花スノウ》の方は帰ってこないのかい?」


「……彼女はいない」


 グラスの酒で喉を潤して紳士服姿の男が言う。

 すると、「残念」と眼鏡の青年は額に手を当てた。


「《雪幻花スノウ》の方も愉しみたかったんだがな」


「剛毅だな」紳士服姿の男が青年を一瞥する。「彼女は怪物だぞ」


「きひっ、それでも女に過ぎねえよ。捕まえちまえば堕とし方はいくらでもあるぜ」


 額から手を離して嘆息する。


「まあ、いいさ。三輪華。まずは二輪から摘むことにすっか」


 眼鏡の青年は双眸を細めて、紳士服姿の男を見やる。


「契約だ。どう扱ってもいいんだよな?」


「ああ。構わん」


 一拍おいて、紳士服姿の男が言う。


「殺しても構わない。あの女がいては、私は自由になれないからな」


「きひっきひっ、綾香ちゃんも不遇だねえ……」


 青年は下卑た笑みで、紳士服姿の男の横顔を覗き込む。


「一番付き合いの長い隷者ドナーに裏切られるとはねえ」


「…………」


 男はグラスを傾けるだけで何も答えない。


「けど、殺しゃあしねえよ。もったいねえ。まあ、傷心の綾香ちゃんは俺らが可愛がってやんよ。芽衣ちゃんと一緒にな。だが、あんたは怯えなくてもていいぜェ」


 そこで、きひきひっと笑う。


「なんせ、俺らの相手をして正気でいられた女はいねえしな。そんじゃあよ」


 眼鏡の青年は立ち上がった。


「二日後だ。連絡待ってるぜ」


「……ああ」


 紳士服姿の男が頷く。

 眼鏡の青年は片手を上げて去っていった。

 残された男はカランとグラスの中の氷を鳴らした。


(すべては覚悟の上だ)


 男の名は郷田和房ごうだかずふさ

 彼は西條家の先代当主から仕える臣下だ。

 そして綾香にとって二人目だった隷者でもある。

 綾香の信頼も厚い。

 けれども、彼は今の状況に不満を抱いていた。

 長年に渡って空白だった覇者の座。そんな強欲都市グリードに遂にキングが現れた。

 綾香はそれに即座に順応した。

 戦うのではなく、同盟を結び、実質的にNO2の地位を得たのだ。

 その手腕は、流石は先代のご息女だと思う。


 ――だが。


(……あなたはそれでよろしいのですか。お嬢さま)


 彼女が目指していたのは真の覇者の座だったはずだ。

 確かに今の彼女は強欲都市グリードを統括している。

 しかし、それはあくまでキングの代行に過ぎない。

 今の状況は、本来の目標通りとはとても言えなかった。


(お嬢さま……あなたは)


 郷田を始め、古参メンバーには思うところがあった。

 ――冷酷なる女帝。

 もはや、彼女はただの女になったのではないか。

 三輪華は揃ってキングに手折られたという噂もある。

 実際に綾香は女王争奪戦の際、行方不明になった期間があった。

 その時、キングの女にされたのではないか。

 同盟を謳っているが、すでに彼女はキングに平伏しているのではないか。

 そう思う者が多かった。郷田もその一人だ。

 だからこそ、


(奴ら……そして私は贄だ。女帝を目覚めさせるための)


 彼女は今一度、知るべきなのだ。

 自分がどれほど醜く歪んだ世界にいるのかを。

 そのために、今回の実行犯にはこの上なく外道な輩を選んだ。


 ――《蛇噛スネイクバイド》。

 先程の眼鏡の男が率いるチームだ。


 快楽が第一で、混沌を好む刹那的な思想の連中だった。

 それだけに、今の統治された強欲都市に不満も抱いている。

 危険な連中だ。最悪の事態も考えられるが、真の女帝ならば打ち砕けるはず。

 苛烈な苦境でこそ、彼女は鮮烈に咲き誇るのだ。


 ただ《夜猫ナイトウォーカー》には申し訳なく思う。《蛇噛スネイクバイド》は極上な獲物であるほどしつこく喰らいつくので、たまたま帰還のタイミングを利用したのである。


(いずれにせよだ)


 郷田も立ち上がり、バーを後にした。


(もはや計画は止まらない。二日後にはすべてが変わる)


 心の中でそう考えていた。

 ……そう。

 そんな風に考えていたのだ。


 決行した当日。

 今、この瞬間が訪れるまでは――。


「……ふむ」


 そんな呟きが耳に届く。

鮮烈紅華レッドリリィ》が拠点しているホテルのロビーにて。

 郷田は言葉を失っていた。

 このホテルに残っていた彼の部下たちもだ。


「……芽衣と綾香は留守なのか?」


 想定外の訪問者。

 帽子を被り、灰色の胴衣ベストを着けた紳士服スーツ姿の青年。

 強欲都市の王グリード・キング――久遠真刃は、そう尋ねるのだった。




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