第405話 伍妃/犬猿の友③

「こいつら、たぶん《蛇噛スネイクバイド》だわ」


 場所はとあるビルの屋上。

 数人の追っ手を打ち倒して綾香が言う。

 倒れた男の腕を爪先で蹴る。そこには蛇の刺青があった。


「うわあ、最悪……」


 芽衣が不快げに眉根を寄せた。


「男だけのチームで気に入った女の子を攫って弄ぶ連中でしょう? 危険な薬物ドラッグまで使って。ウチもこいつらには警戒してたよ。こんな連中、まだ潰してなかったの?」


「中々巣穴を掴ませなかったのよ。この《蛇》どもは」


 綾香は嘆息した。


「狙った女は蛇のように喰らいつく。名のある女性隷主オーナーでも犠牲になった者は多いと聞くわ。とにかくしつこくて厄介なんだけど……」


 そこで額に手を当てた。


「今回は私たちをターゲットにしたようね。馬鹿げているわ。私は総括代行。あなたはキングの女だというのに」


「ウチと綾香ちゃんを人質にしてシィくんと何か交渉するつもりかな?」


 芽衣が膝を屈めて倒れた男を見やる。

 芽衣に顔面を蹴り抜かれて、完全に気絶していた。


「どうかしら? こいつらが興味あるのは金と女だけよ。私たちを捕らえて再び強欲都市グリードを混沌の地に戻したいだけかも知れないわよ」


 どちらにせよ、と続けて、


「こいつらに捕まったら、私もあなたもたたでは済まないでしょうね」


「うへえ、それも最悪……」


 と、膝を屈めたまま芽衣は言うが、その声に焦りはなかった。


「意外と冷静ね」綾香は芽衣を見やる。「結構危機的な状況なんだけど?」


 現在、綾香たちは孤立無援状態だった。

 まだ昼間だというのに、先程から敵以外の人間と出会っていない。

 人払いの術をかけられているのだ。しかも通信が届かない。これは偶然知られることになった人払いの術を何重にもかけた時の効果だった。

 これでは増援を呼ぶことも出来ない。

 このまま波状攻撃を繰り返されては、いずれ魂力も体力も尽きてしまう。

 すると、芽衣は綾香を見やり、


「う~ん、ウチ自身はそこまで心配してないかな」


 ピンっと自身の耳飾りを指先で弾いた。


「流石にこの状況なら力も貸してくれるだろうしィ」


「……? 何の話?」


 綾香は眉をひそめた。

 一方、芽衣は「こっちの話だよ」と言って立ち上がった。


「とにかくウチのことは心配無用だよ。むしろ心配なのは綾香ちゃんだよ」


「……あら」


 綾香は鋭い眼光で芽衣を射抜いた。


「それって私があなたより弱いみたいな言い方ね」


「そうは言ってないよ。けど、綾香ちゃん、いま色々と考えすぎてない?」


「……………」


「そもそも会った時から思ったけど、だいぶ仕事の疲れが顔に出てるよ」


 立て続けの芽衣の指摘に、綾香は内心で呻いた。

 確かにここ二週間は非常に忙しかったのは事実だ。

 今も体調が万全とは言い難い。

 芽衣の指摘は的確だった。

 だがしかし。


(こいつに言い当てられるとムカつくのよね)


 それが綾香の本音だった。


「綾香ちゃんは常に張り詰めすぎなんだよ」


 芽衣はさらに指摘する。


「少しぐらいは息抜きしないと。誰か本音を言えるような……傍にいるとホッとするような相手はいないの?」


「……うるさいわね」


 綾香は芽衣を睨みつけた。

 カツンカツン、と芽衣に近づいていく。

 かつての時のように互いの双丘をぶつけるほどに近接する。

 以前はその弾力に少し押し負けたのだが、今回は違う。

 今は気迫で綾香が上回っていた。


「私にそんな相手は不要だわ」


 綾香は言う。


「私は一人でいいのよ。安らぎなんてあの日にすべて燃え落ちたのだから」


「……綾香ちゃん」


 芽衣は少し悲しそうに綾香を見つめた。


「私は一人よ。あなたの話は余計なお世話よ」


 綾香はそう告げた。

 と、その時だった。


「おいおい。一人だなんて寂しいことを言うなよ」


 不意に男の声が響いた。

 綾香と芽衣は反射的に後方へと跳んで身構えた。

 そこには縮れた髪が印象的な、眼鏡をかけた青年がいた。


「きっと綾香ちゃんは愛を知らないんだな。大丈夫だぜ。俺らが教えてやるから」


「……あなた」


 綾香が眼光を鋭くした。


「資料で見たわ。《蛇噛スネイクバイド》のリーダーの坂上ね」


「おう。そうさ」眼鏡の青年――坂上が答える。「まあ、俺の偽名の一つだけどな」


 そうして肩を竦めた。


「……意外とボスが早くに姿を見せたねェ」


 芽衣も険しい顔で言うと、


「こっちも事情が変わったみたいでな。もう少し疲れて貰いたかったんだが仕方がねえ」


 坂上がそう答えた。

 途端、芽衣の姿がその場から消えた。

 綾香は「え?」と驚く。

 一瞬、芽衣は空間転移したかと思ったが、どこにも現れる気配がない。

 すぐにハッとした。

 坂上を睨みつけて、


「あなた、封宮メイズで芽衣を――」


「YES。その通りさ」


 坂上はパチンと指を鳴らした。

 直後、綾香と坂上の周囲の景色が移り変わった。

 異相世界を構築する術式――封宮メイズだ。

 そこは巨大な観客席に囲われたコロシアムだった。

 観客席は二十人近い男たちの姿がある。


「芽衣ちゃんも中々に強いからな。分断させてもらったぜ」


 坂上は言う。

 同時に坂上は無痛注射器を取り出した。

 ――《DS》である。

 観客席の男たちも一人――恐らくはこの世界を維持している封宮師メイザー――を残して、一斉に無痛注射器を取り出した。

 短期決戦。一気に綾香を押し潰すつもりのようだ。


(……いいわよ)


 綾香も《DS》を取り出した。


「分かり易くていいわ」


 綾香は妖艶に笑う。


「来なさい。切り刻んでやるわ」


 言って、無痛注射器を首筋に打った。

 そうして綾香の全身から紫色の霧が噴き出した。

 それはみるみるうちに綾香のドレスを腐食させた。肌につけた化粧も香水さえもだ。

 裸体となった全身は青白い紫色となり、四肢や腹部、乳房には黒い模様がペイントされた。

 そして背中全面から六本の巨大な蜘蛛の脚が生える。銀色の装甲で覆われた五メートルはある黒い脚だ。二本の脚は天へと向き、残りの四本の脚は地へと突き刺さった。

 四本脚に支えられて、綾香の体はゆっくりと宙に浮く。


 ――西條綾香の模擬象徴デミ・シンボルである。


「……大した迫力だな」


 坂上が双眸を細めて呟く。


「気の強い女は嫌いじゃないぜ。けどよ、この人数、果たして凌げるかな」


「雑魚は何人集まっても雑魚よ」


 綾香は言う。


「時間が惜しいわ。早々に殲滅させてもらうわよ」


 かくして、異相世界のコロシアムで戦闘が始まった。

 その結果は――。


「……か、は……」


 およそ十分後。

 綾香は仰向けになって地に伏せていた。

 髪は乱れて、裸体である身体は小さな傷だらけな上、土埃で汚れている。

 綾香は荒い息を繰り返していた。


 ――そう。彼女は敗れてしまったのである。

 敗因は明白だ。過度の疲労である。


 多忙な仕事による疲労が想像以上に積み重なっていたようだ。

 急激な戦闘に一瞬だけ眩暈を引き起こしてしまったのだ。

 その隙を突かれてしまった。


『……マジでスゲエもんだ』


 下半身は鎧のような外皮を持つ巨馬。上半身は人の二倍はある体躯の魚人が言う。

 ケンタウロスにも似た異形の怪物だった。サイズも巨大で五メートルに近い。

 坂上の模擬象徴デミ・シンボルである。その証拠に顔だけは坂上のモノだった。


『流石は元三強の一角ってとこか』


 半魚半馬の怪物は綾香の元に近づく。

 そして巨大な手で彼女の身体を掴んで拾い上げた。


「ぐ、う……」


 巨人の掌の中で綾香が苦悶の表情を浮かべる。


『仲間は全員潰されちまったが、これでGETだな』


 きひきひっと半魚半馬の怪物は笑う。


「……それは気が早いわよ」


 疲弊しきっていて綾香は鋭い眼差しを見せた。

 同時に彼女の周辺に糸が浮かぶ。

 怪物は眉をひそめた。


『悪足掻きか? そんな苦し紛れの攻撃なんか俺の模擬象徴デミには通じねえぞ』


「……そうね」綾香は笑う。「けど、私自身なら別よ」


 そう告げると、彼女の糸は自身の首に巻き付いた。

 坂上は表情を変えた。


『てめえ! まさか自殺を!』


「例え輪姦されようが私の心は変わらない。けど、薬物ドラッグだけは別よ」


 薬物ドラッグは肉体を通じて心を蝕むモノだ。 

 それは意志の力だけでどうにか出来るモノではない。


「私には目標があるわ。死ぬ訳にはいかない。けど、私が私でなくなるというのなら」


 綾香は不敵に笑った。


「私は死を選ぶわ」


 ぷつっ、と。

 綾香の首から血が滲み出す。

 坂上が顔色を変えた――その時だった。


「……お前の誇り高さは嫌いではないが」


 そんな声がした。


「その選択は容認できんな」


 次の瞬間、半魚半馬の怪物の腕が両断された。

 下から誰かに蹴り上げられたのだ。

 その腕には綾香が掴まれたままだったが、本体から切り離された腕は瞬く間に霧散した。綾香だけが空中に放り出された形になった。


(―――え)


 唖然とする綾香。身構える力もなく落下する。と、

 ――トスン。

 誰かに受け止められた。

 綾香が目を瞬かせて見やると、そこにいたのは――。


「く、久遠……?」


「ふむ。こうして直接顔を合わせるのも久しぶりだな」


 強欲都市の王グリード・キング――久遠真刃だった。


「ど、どうしてあなたがここに……」


 綾香は驚いた顔をしている。


「元々は別の目的で来たのだがな。それより――」


 真刃は別の方向を見た。

 綾香も見やると、そこにいたのは郷田だった。


「……郷田? あなたは……」


「郷田よ」真刃は言う。「流石に綾香をこのままにすべきではない」


「―――は」


 郷田は深く頷いた。


「お嬢さま。失礼を」


 そうして自分の上着を脱いで、真刃の腕に納まる裸体の綾香にかけた。そこで自分が全裸で真刃にお姫さま抱っこされていると自覚して、綾香の顔に微かに朱が入った。


(い、今さら男に抱きかかえられたぐらいで何だって言うのよ)


 少し鼓動も高まったことにも不満を抱いた時、


『――郷田! てめえ!』


 ズシンと一歩前に出て半魚半馬の怪物――坂上が言う。


『裏切りやがったな!』


「…………」


 郷田は無言だ。綾香はそんな彼を凝視する。


『くそったれが! ならここでてめえもキングも――』


「お前は騒々しいな」


 真刃がそう呟いた。

 直後、怪物の背後に現れた巨大な岩熊が魚人の頭部を殴打する。

 それだけで首がもげて巨体が吹き飛んでいった。

 たった一撃で模擬象徴デミ・シンボルは霧散し、気絶して倒れる坂上だけが残された。


「ひ、ひいいいッ!」


 誰かが悲鳴を上げると、封宮が崩れて元の屋上に戻った。

 そこでは誰かが逃げていく姿があった。

 一人だけ生き残った封宮師だろう。取るに足らない相手なので無視する。


「……郷田」


 綾香は郷田を睨みつける。


「色々問い質したいことがあるわ。けどそれよりも今は久遠!」


 彼女は真刃の顔を見上げた。


「芽衣が危ないのよ! このすぐ近くにもう一つ封宮が展開されているはずよ!」


 かけられた上着が地面に落ちるのも厭わず、真刃の腕を強く掴んだ。


「早くあの子を助けて!」


 そう懇願すると、


「……そうか。お前はやはり優しいな」


 真刃は優しく微笑んだ。綾香は「うぐっ!」と呻きつつ、


「そ、そんな訳ないでしょ! ただあなたに任された手前、あの駄肉女に何かあったら気まずいだけよ!」


 それよりも、と続けて、


「早く行きなさいよ! 芽衣はあなたの女なんでしょう!」


 そう告げるのだが、彼に焦る様子はない。


「その通りだ。芽衣はオレの愛する女だ。ゆえに知っているのだ」


 真刃は言う。


「今の芽衣がこの程度の輩に遅れを取るなどあり得んことをな」


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