第442話 その者の名は—―。③

 千年我霊エゴスミレニアの怪異名。

 それには様々なモノがある。


 第壱番は、黄泉の国の女王にして、国造りの女神。

 第参番は、九尾狐としても知られる、傾国の妖姫。

 第陸番は、日本霊異記に記された、巨大なる髑髏の怪異。後世にて著名な作家により、「がしゃどくろ」なる創作の怪異が広められ、その名と誤認されるという奇妙な経緯を持つ。


 そして、第漆番は、それらにも劣らないほどに有名な怪異だった。


 その怪異名自体は知らない者も多いかも知れない。

 だが、その存在は誰もが知っている。

 恐らく、日本人ならばほとんどの者がだ。

 何故なら、その怪異――鬼と英傑が対峙する物語は、日本で最も有名なお伽噺の原型とも伝えられているからである。

 そのお伽噺の名は『桃太郎』。

 すなわち、『』とは『桃太郎』に登場する鬼の名前なのである。




「……ふふ」


 ぐしゃり、と。

 は両手で作った『桃』のマークを握り潰した。


「――なんでッ!?」


 一方、赫獅子の肩の上にて。

 燦が、愕然とした声を上げた。


「なんで第漆番!? 敵のボスって餓者髑髏じゃなかったの!?」


「……うそ。これってまさか二体の千年我霊エゴスミレニアの襲来が重なったの……?」


 狼覇の背に乗る月子も、唖然とした様子で呟く。

 千年我霊エゴスミレニアとは伝承級の存在だ。

 だからこそ、二体以上と同時に遭遇することはないと思い込んでいた。

 そもそも、我霊エゴスには強い縄張り意識の本能があるのだ。そのために千年我霊エゴスミレニア同士も互いに不干渉の縄張りを持っていると引導師ボーダーの間では考えられていた。


(それでもここで現れるってことは……)


 月子は神妙な顔で怨羅を見据えた。


「もしかして、この街ってあなたの縄張りなの? 実は餓者髑髏の方があなたの縄張りに割り込んできているの?」


 そんな可能性も考えるが、


「いやいや。縄張りって何さ。獣じゃあるまいし。違うよ。愛娘ちゃん」


 怨羅はパタパタと手を振って否定した。


「Uたち・・はね。髑髏さんにお招きしてもらってここにいるんだよ」


「……え?」


 月子はパチパチと目を瞬かせた。

 燦も意味が分からず、キョトンとしている。


「え? それ、どういう意味?」


 素直な性格だけに、燦は率直に尋ねた。

 対し、Uは「む~ん」と腕を組んで唸り、


「そもそも、縄張りなんか意識している名付き我霊ネームドエゴスなんてほとんどいないよ。それは獣の百年だけの習性だし。それより気になるんだけど、もしかしてUたち七人って引導師ボーダーたちの間だと仲が悪いとか思われてたりするの?」 


 そう尋ねた。

 そして、


「もし誤解しているのなら言っとくけど、Uたちって基本的に仲は良いよ。まあ、大君さんと祭神さまは仲が悪そうに見えるけど、ガチで衝突することは滅多にないし。やっぱり、この国でたった七人しかいない同胞なんだよ。普通にグルチャとかもしてるよ」


「「………は?」」


 その台詞には、燦も月子も目を丸くした。

 怨羅はさらに言葉を続ける。


「そんで、Uたち全員に髑髏さんからお誘いがあったの。大きなイベントを計画しているから皆も参加してみないかって」


 燦と月子は絶句した。

 それは実に分かりやすい説明だった。

 そして、考えられる中でも最悪の内容でもあった。


『……莫迦、な』


 言葉も発せない燦たちに代わり、狼覇が呟く。


『では、まさか、七つの邪悪がすべてこの地にいるということなのか……』


「ううん。残念ながらそれは無理だったよ」


 かぶりを振りながら、肩を竦めて怨羅が答える。


「どうにも野郎たちは友情に薄情でね。まあ、女性陣の方は揃ったんだけど」


 そこで指を三本立てる。


「Uと髑髏さん。そしてもう一人。参加するのは三人だけだよ」


 一拍おいて、


「だから、祭神さまは今回のイベントを『三千さんぜん神楽かぐら』と命名したの」


「……先程から」


 その時、未だ状況を掴めない耀が会話に介入する。


「あなたたちは何の話をしているのです? 燦、月子。どういうことですか?」


 怨羅から視線は外さないまま、耀が燦たちを問い質す。

 燦も月子も思わず言葉を詰まらせる。と、


「まあ、綺羅綺羅くん。そこら辺は後で聞きなよ。それよりも」


 怨羅が話を本題へと変えた。

 月子を指差して、


「愛娘ちゃん! Uは君に会いに来たんだよ!」


 笑顔と共にそう告げた。

 月子は「え?」と困惑する。燦、そして狼覇と赫獅子もだ。

 ただ、耀だけは明らかに顔色を変えていた。


『どういうことであるか』


 六角棍を向けて、赫獅子が問い質す。


『何故、貴様が月子姫に会いに来る?』


「あれ? だって愛娘ちゃんもUに会いたかったんじゃないの?」


 怨羅が小首を傾げて言う。


「……私が?」


 月子はますます困惑した。

 と、その時だった。


「燦! 月子!」


 突然、耀が声を張り上げた。


「今すぐ逃げなさい! 耳を貸してはいけない!」


 そう告げると同時に迦楼羅が怨羅に襲い掛かる――が、


「ああ。なるほどね」


 天空から降り注ぐ白雷の嵐に炎の鳳は撃ち抜かれた。

 怨羅はクスクスと笑う。


「優しいね。綺羅綺羅くん。愛娘ちゃんにあの日のことは教えてないんだ」


「黙りなさいッ!」


 耀は叫び、再び迦楼羅を召喚した。

 しかし、羽ばたく前に白雷で撃ち砕かれた。

 耀は舌打ちする。


「そこの式神たち!」


 耀は、赫獅子と狼覇に告げる。


「早く二人を連れて逃げなさいッ!」


「ま、待って!」


 だが、それに対して月子が叫んだ。


「私が何か関係するんですか!」


 耀に向かってそう叫ぶと、彼は「……ぐ」と沈痛な眼差しを見せた。

 月子も、異母妹の燦さえも初めて見るような表情だった。


「……よ、耀お兄さま?」


 直感で嫌な空気を感じ取った燦が、不安げな声を零す。


「ふふ、ねえ、愛娘ちゃん」


 その時、怨羅が微笑んだ。


「愛娘ちゃんは、もうUたちの本質。在り様って知っているんだよね?」


「そ、それは……」


 狼覇の背中を強く掴みながら、月子は言葉を詰まらせる。


「Uたちは自分のために悲劇を撒き散らす。ねえ、愛娘ちゃん。あなたにとって最大の悲劇って何かな?」


「わ、私の、悲劇?」


「――月子!」


 迦楼羅が再び舞う!


「耳を貸すんじゃない! そいつは悪魔です!」


 天からの白雷を回避しつつ、火の粉を散らして怨羅へと飛翔するが、


「君の優しいところは嫌いじゃないけど」


 怨羅は片手を向けた。


「今は邪魔だよ。綺羅綺羅くん」


 掌から暴風を放った。

 荒れ狂う風が迦楼羅を呑み込み、再び霧散させた。

 その上、風は耀までを捉えて吹き飛ばす!


「耀お兄さま!」


『ぬう! いかん!』


 赫獅子が跳躍した。

 六角棍を手離し、空いた腕で耀をどうにか受け止める。

 それでも衝撃は大きく、耀は「ぐうッ!」と呻いた。

 燦と耀の火緋神兄妹を両腕に抱えて、赫獅子はズズンッと着地する。


「ふふ、これでようやく落ち着いて話せるね」


 腰に片手を当てて、怨羅は言う。

 その眼差しは月子に向けられていた。

 対し、月子は真っ直ぐ怨羅を見据えていた。


『……月子さま』


 狼覇が背中の月子に声を掛ける。


『ここは撤退しますぞ』


「……待って。狼覇さん」


 月子が答える。

 怨羅から決して目を離さず、


「……私、あの人の話を聞きたいです」


 そう告げた。

 怨羅は「……そう」と笑みを深める。


「けど、Uたちの在り方をすでに知っているのなら、別に詳しく経緯を話すことも必要ないんだよね。たぶん、事情の説明はこの名前だけで充分だよ」


 そして怨羅は告げる。

 月子にとって、大きな運命の分岐点だったその名前を。


「豪華客船・プリンセス=ルシール号。もちろん、君は憶えているよね?」


 ――そう。

 月子にとって、悪夢そのものであるその名前を。






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