第235話 凶星輝く⑥
「むむむ……」
国内最大の商業ビル。最上階の展望台よりもさらに上。
月と星に最も近いまるで別世界のような
瓶底眼鏡と白衣を身に着けた少女である。
胡坐をかく彼女の前には一台のノートPCがあった。その画面には先程まで彼女の愛しい怪物君の
しかし、今は何も映っていない。砂嵐の中に時折何かが見える程度だ。
恐らく人払いの術を展開されてしまったか。
秘匿性に特化したあの術は通信や映像の電子機器にも影響を及ぼす。
「これは完全に待ち構えられていたね」
彼女は「やれやれ」とかぶりを振った。
「流石に派手に動きすぎたかな? それに《崩兎月》の情報網を甘く見てたか」
が、すぐに笑みを零して。
「けど、たった四人で私の怪物君を止められるかな?」
あの夜、偶然見つけた少年。
顔が好みだったので声を掛けてみたが、大当たりだった。
「《ジェントル6》の検証では……」
くいっと瓶底眼鏡を上げて、彼女は双眸を細めた。
「人間と
それは彼女も検証した。だが、同じ検証をするだけでは面白くない。
「独自の検証として、私は人間に果たしてどこまで魂力を貯蔵できるかに着目した。だから私のありったけの魂力を彼に注いでみた」
その時を思い出し、彼女は表情を消した。
簡潔に言うと失敗したと思ったのだ。なにせ、注いだ魂力が10000を超えた時、彼の体がいきなりドロリと液体状に溶けて崩れ落ちたのだから。
彼がお気に入りだっただけあって、彼女は相当にがっかりしたものだ。
だが、そこから信じ難い変化があったのである。
銀色の水溜まりとなった彼の体が再生し始めたのだ。
それも、人ではなく獣の姿にだ。
その姿は大きさこそ小さかったが、彼の
黒い獣は彼女に襲い掛かると、本能のままに彼女の体を貪り尽くした。
まさしく獣の激しさだった。
そうして幾度となく果てて夜遅く。
ベッドの上で彼女が目を覚ました時、彼は人の姿に戻っていた。
お互いに生まれたままの姿だった。動揺と勢いに圧されて全くいいようにやられてしまった事は不覚だったが、人の姿を取り戻した彼に少しホッとする。それから『何回出すんだよ。君は。私でなければ絶対妊娠してるよ』と彼の頭を叩いて軽く文句も告げつつ、彼女はベッドの隅に落としてた眼鏡を取ってかけた。
次いで眠る彼の胸に耳を当てる。鼓動は聞こえる。彼は生きていた。
再び安堵しつつ、彼女は推測した。
あんな現象は初めて見た。
ただ、思い出したのは、とある映像だった。
何かの番組か、ネット動画だったかは忘れたが、それは鋳造の映像だった。
ドロドロに熔かした鉄を鋳型に流し込んで形を造る製造方法だ。
その光景を思い出した。
『《DS》で引き出された
そんな考えが浮かんでくる。
彼女はさらに検証した。いや、ここから先は推測も出来ない調査だ。
目覚めた彼の調子を確かめると、言語が片言になっていたが、それ以外の変化はなく、記憶なども失っていなかった。強いて変化を挙げるのならば食欲と性欲が増大したことか。彼女を貪り尽くしたことも憶えているそうだ。
そして例の変貌。どうやらあれは変身能力として彼の中に定着したようだ。
ただ、あの獣化は彼の精神まで変貌させるらしく、あの姿の時の彼は、記憶や知性は持っていても、女は犯し、躊躇なく人さえも喰らう恐ろしい獣だった。
その上、喰うほどに魂力を溜め込められる我霊の特性まで得ているようだった。
結果的に言うと、彼はとんでもない怪物に裏返ったのである。
彼女にとっては有り難くもある。
なにせ、彼は自らも勝手に貯蓄してくれる
(まあ、諸刃の剣のような気もするけど……)
果たしてどう転ぶか分からない危険な存在だ。
――人でもない。
彼はもはや全くの未知の生物となったのである。
いつか、彼を束縛する《
だが、それでもいいと思っている。
彼と出会ってからの日々は実に刺激的だったからだ。
(意外と私は一人が寂しかったのかな)
そんなことも考える。
考えてみれば人肌の温もりなど十数年ぶりである。
怪物擬きの哀愁といったところか。
いずれにせよ、彼は自分を楽しませてくれた。
「もうちょっと魂力を追加しておこうかな」
彼が負けるとは思わないが、あの姿には一切の術が使えなくなるという欠点もある。
何より四対一という不利な戦いだ。魂力は多いに越したことはない。
腰を払って立ち上がり、彼女は自分の魂力をさらに彼に注ごうとした。
が、その時だった。
「……何をしてるの?」
――ぞわり、と。
背筋に悪寒が奔った。
彼女はわずかに跳躍して後ろに振り返った。
すると、そこにいたのは一人の女だ。
「――――な」
瓶底眼鏡の奥で目を剥いた。
知っている女だった。
彼から何度も映像を見せられて少し嫉妬していた女だ。
「……《
「ムロを知っているの?」
ただ、雪幻の女王は少しだけ上の空のようだった。
キョロキョロと周囲を気にしている。
「……どうして君がここに?」
「……ん?」
六炉は、彼女の方へと目をやった。
「ムロは鳥さんに教えてもらって来たの。この日、ここに久遠真刃がいるって」
「……誰だよ。そいつは……」
六炉の台詞に、彼女は眉をひそめた。
聞いたことのない名だ。
そもそも鳥に教えてもらったとはどういうことか。
すると、六炉は哀しそうな表情を見せた。
「いないの?」
「いや。それは私に聞かれても困るよ」
「……そう。だけど」
六炉は和傘を閉じて降ろした。
「あなたは見過ごせない。あなたは
「……いや、違うよ」
そう告げるが、この女には通じないと分かっていた。
瓶底眼鏡の奥で双眸を鋭く細めて、彼女は密かに戦闘状態へと肉体を変化させる。
「私は
「ムロにその嘘は通じない」
六炉は即座で否定した。
「あなたからは濃厚な死の気配を感じる。もしこれで人間だとしたらあなたは
「……ああ。そうかい」
ボサボサとした頭を掻いて、彼女は開き直った。
「確かに私は化け物だよ。けど丁度良かったよ」
「……何が丁度良かったの?」
そう尋ねる六炉に対し、人外の少女は肩を竦めた。
「私は君が嫌いなんだよ。はっきり言えば嫉妬している。なにせ、私の男はいつも君の話ばかりするからね」
「………………」
六炉は困惑の表情を見せていた。
少し考えてから、
「それはムロに言われても困る」
「あはは。確かにそうだね。けど……」
瓶底眼鏡の少女はザワザワと髪を蠢かせる。
その髪は徐々に伸びていった。
そして、
「やっぱり君のことは気に入らないんだよ。だから」
三日月のような笑みと共にこう告げた。
「殺し合いをしよう。どちらが彼の女に相応しいか決めようじゃないか」
◆
「ふむ。そろそろ始まる頃合いか」
場所は変わって、とある
時刻は夜の十二時を少し過ぎた頃。
月光が降り注ぐ、誰もいない道路にて。
黒衣の男は一人佇んでいた。
「天堂院六炉と、久遠真刃の出会いの時が」
月を見上げてそう呟く。
そして灯火のないランタンを片手に一歩踏み出した。
すると次の瞬間。
男は
「……ふむ」
黒衣の男はランタンを少し高くかざした。
「普段ならばここは精霊殿。近づくのも難しいのだが」
コツコツと廊下を歩いていく。
この最上階は、丸ごと一人の人物の所有物だった。
しかも、すべての部屋が内部で繋がっている。
最上階全部が一つの住居なのである。
従って、入口として使用されているのは最も近いドアだけだった。
男はそのドアに向かって進む。
「しかし、今宵ばかりはここに残る者は極わずかだ。かの雪幻の女王と対峙するため、ほとんどの者が王の元へと馳せ参じているからな」
男はドアの前で止まった。
そうして、
「さて」
黒衣の男はシルクハットに触れた。
「幸福の花嫁たちよ。初の対面といこうか」
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