第400話 幕間 準妃/その行く先は――。②

 その後、葵は十階のフォスター邸に帰宅した。

 上の空の状態で廊下を進み、自室に戻る。

 双子であっても姉とは別室だ。

 葵は鞄を床に落とすと、そのままベッドに倒れ込んだ。

 正直、まだ困惑していた。


(あのお姉ちゃんが……)


 茜は、葵と髪や瞳の色こそ違うが同じ顔をしている。

 ただ、その性格は勝気で表情も険しいことが多い。

 引導師の世界に巻き込まれるようになってからは更にだった。


 理由は分かる。

 唐突に放り出されたこの苛酷な世界で。

 自身が生き抜くために。

 そして葵を守るためにだった。


 両親が殺されてからは、姉はいつも葵の手を引いてくれていた。

 いつも先を歩いてくれていた。


 ――そんな姉が恋。


(…………)


 枕に顔を埋める。

 気分は複雑だった。

 二人だけの姉妹だ。応援したい気持ちはある。


 けれど、葵には不安もあった。

 相手が、あのキングであるということだ。

 葵が知る限り、キングは優しいお兄さんだ。歳は離れているが悪い人ではない。

 それは燦や月子からもよく聞いていたし、二人の様子からして間違いない。

 圧倒的な実力に、強欲都市グリードを統治する権力。

 人としての包容力もある人だ。

 姉が好きになってもおかしくはなかった。

 しかしながら、こんな風にも考えられるのだ。


 相手は強欲都市の王グリード・キング

 茜は自身を使って政略結婚のようなことを考えているのではないか。


(……お姉ちゃんは)


 昔から自分を犠牲にすることが多かった。

 些細な例を挙げるのなら、姉だから我儘も我慢するといったことだ。

 一方、葵は随分と甘えん坊だったが。


(私、ダメダメだ……)


 枕により深く顔を埋めてへこむ葵。

 姉のことをよく知るからこそ、そんな可能性をどうしても考えてしまう。


 茜にしろ、葵にしろ、戦闘能力はさほど高くなかった。

 一学年下の燦や月子相手に一本も取ったことがない。

 それどころか、燦に至っては二人がかりでも圧倒されてしまう。

 切り札として茜と葵には《魂鳴りソウルレゾナンス》を利用した封宮メイズがあるのだが、それは一日に何度も使えるような便利なモノではなく、二人揃っていないと使用も出来ない。戦場においては使い勝手の悪い能力だった。

 遅かれ早かれ、《魂鳴りソウルレゾナンス》は不要と判断される。

 姉はそう感じたのではないのだろうか。


 その時、茜と葵に何が残るか。

 引導師して神楽坂姉妹は市井の出。系譜術は持っていない。

 魂力は二人とも平均以上ではあるが、系譜術がない以上、よほど特殊な霊具でもない限り、どうしても戦闘能力は一流よりも劣ってしまうだろう。


 そうなると、二人に残される道は隷者になることだけだ。

 それなら相手はキングがベストだ。

 茜はそんな未来を考えて行動しているのではないか。


(……純粋に初恋かも知れないのに……)


 葵はますますへこんだ。

 実のところ、おっとりしているようで葵は頭の回転が速い。

 状況が分かれば、色々と想像するのだ。

 ただ悪いケースも想像しすぎて自縄自縛状態にもよく陥るのだが。

 今も、純粋に姉の初恋を祝えない自分に自己嫌悪を抱いていた。


「うん。考えても仕方がないよ」


 しかし、今回は少し立ち直りが早かった。

 葵はムクっとベッドの上から立ち上がった。


「悩むのならお姉ちゃんに直接聞けばいいんだ」


 そう判断した。

 そして葵は自室を出た。隣の部屋が姉の私室だ。

 コンコンとノックするが反応はない。

 どうやら留守のようだ。今の時間帯なら茜も学校から帰宅しているはずなので別の場所にいるのかもしれない。葵は廊下を歩きだした。

 可能性として高そうなのはリビングか、訓練場か。

 最近の茜の行動からして、葵はまず訓練場に行くことにした。


 その予測は当たりだった。

 訓練場では、赤地に黒のラインが入ったランニングウェアを着た茜が一人でトレーニングをしていた。最近購入した自宅で使用するセパレートの加圧タイプの訓練着だ。下地が紺色の色違いのモノを葵も持っている。


 茜の表情は真剣だった。

 首筋に伝うほどに汗をかき、無言でハイキックを繰り返している。


「……茜お姉ちゃん」


 葵は姉に声をかけた。

 すると、茜は初めて葵が来ていることに気付いたようだ。

「……ふう」と息をつき、足を下ろした。


「葵。いま帰ったの?」


「うん」


 葵は頷く。


「お姉ちゃんは訓練中?」


「そうよ」


 持ち込んでいた大きなバッグからタオルを取り出し、茜は汗を拭く。


「例の怪物の宣戦布告は葵も知ってるでしょう。私じゃあ役にも立たないでしょうけど、最低限、自分の身を守れるぐらいはしないとね」


 そこで一度葵を見やる。


「それと私たちも《魂鳴りソウルレゾナンス》をもっと深く理解すべきだわ。葵も着替えて来なさい。試したいこともあるから少し訓練に付き合って」


 そう告げて、バッグから水のペットボトルを取り出す茜。

 カシュっと開けて、ペットボトルを口につける。

 ゴクゴクゴクッと喉が大きく動いた。


「ねえ。お姉ちゃん」


 そんな姉に葵は問う。


「お姉ちゃんってキングが好きなの?」


 途端。

 茜が盛大に水を吹き出した。

 ゴホッゴホッと屈みこんでむせる。


「な、ななな――」


 少し涙目になって茜は顔を上げた。

 茜の顔が真っ赤なのは激しいトレーニング後のせいだけではない。


「なに言ってんのよ!? 葵!?」


「……だって」


 葵は上目遣いに言う。


「茜お姉ちゃんがここまで必死になって頑張っているのはキングのことが好きで正妃ナンバーズになるためなんでしょう?」


 茜はパクパクと口を動かして言葉を失った。

 ボトンっとペットボトルもその場に落としてしまう。残った水が足元に広がった。


「ち、違うわよ!?」


 茜は真っ赤な顔のまま叫んだ。


「私はただ自分が有益だって認めて欲しいだけ! そう! それだけなの!」


 そう言い放ちながら、ウェアの腿辺りを強く両手で掴んで深く俯いた。

 そうして、


「も、もう! 馬鹿じゃないの! ホント呆れたわ! お馬鹿なことを言った罰よ! ここは片付けておいて! 今日はもう疲れたから私は部屋で寝るから!」


 茜はバッグを拾い上げると、早足で訓練場から去っていった。

 残されたのは後始末をお願いされた葵だけだ。


「…………」


 少しの間、葵は無言だった。

 これはあまりにも一目瞭然だった。

 恋をまだ知らない葵でも分かる。

 姉は間違いなくキングに恋をしているのだ。政略結婚のつもりで姉が自分を犠牲にするつもりでないことはホッとしたが、これで葵には別の想いが生まれた。


 葵はしばらく考え込む。

 そして、


(……うん)


 彼女は決意した。


「けど、まずはここから綺麗にしないと」


 そう言って、葵は掃除をするのだった。

 そしてその日の夜。

 葵は、とあるサイトであるモノを購入した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る