第三章 魔王は語る
第42話 魔王は語る①
とある深夜。
その声は、突如響いた。
「――があああああああああああああああッッ!」
大気さえ揺らすほどの咆哮。
怒りを孕んだその声を上げたのは、一体の怪物だった。
身長は、およそ三メートル強。
太い四本の腕に、虎の下肢。頭部は人間だが、首を傾げて二つある。
見ただけで怖気が来る怪物だ。
怪物は、虎の爪を立てて疾走する。
ここは和室。日本家屋の――はずだ。
怪物は、酷く苛立っていた。
無数の畳が敷き詰められている部屋。仕切るものは襖だけ。その襖を貫いて別の部屋に飛び出すが、そこも畳の部屋。それが幾度も繰り返されるのだ。
そして――。
――ドスドスドスッッ!
無数の槍が、畳から突き出してきた。
それが虎の下肢を串刺しにする。さらには、天井からも槍が降り注いできた。
「がああああああああッ!?」
貫かれる腕に肩。
上下からの槍衾に、怪物は血と絶叫をまき散らした。
だが、それでも怪物は止まらない。
「がああああああああああああああああああああああああッッ!」
怪物は、再び咆哮を上げた。
途端、部屋全体が大きく震えた。
ギシギシと軋み、室内に一筋の大きな亀裂が入る。
怪物の四つある眼光が鋭く光る。
そして、槍を全身に突き刺したまま、怪物は跳躍した。
大きな亀裂に飛び込む。
すると、
「……ぐるうゥ?」
怪物が唸る。
そこは、家屋の中ではなかった。
どこかの森の中だ。傍には小さな河川もある。
薄暗い部屋から一変、月明かりが、怪物の姿を照らした。
家屋から脱出した……訳ではない。
怪物が先程までいた家屋は、どこにもなかった。
わずかな痕跡すらない。
怪物は自分の腕に目をやった。そこには傷痕はあるが、槍自体は消えていた。
まるで、すべてが幻だったかのように――。
「……ぐあ?」
怪物は困惑する。が、すぐにスンスンと鼻を鳴らした。
森の一角を見やる。
そこには、一人の少女がいた。
年の頃は十八ほどか。髪の長い和装の少女だ。
綺麗な顔立ちだが、やや痩せていて、どこか陰を持っている。
そして少女の表情は明らかに怯えていた。
怪物は、しばし少女に見入ると、二つの顔が目を細めて笑った。
長い長い舌で、べろりと口元を舐める。
獲物を見つけた獣――いや、獣は、獲物を前にして舌舐めずりはしない。
――それは、人間の笑みだった。
少女は、口元を両手で押さえて「ヒッ」と声を震わせた。
すると、
「七奈さま!」「大丈夫か! 七奈!」
二人の青年が、彼女の前に飛び出してきた。
二人ともスーツを着ている。一人は二十代半ば。もう一人は二十歳ぐらいの青年だ。
青年たちは、緊張した面持ちで拳を身構える。
しかし、怪物は青年たちを意にも介さない。ただ、少女だけを見据えていた。
少女がますます怯える。
怪物は笑みを浮かべて少女へと跳びかかろうとした、その時だった。
突如、月の光が遮られたのだ。
「……え」
「……なっ」「おい、これって……」
少女が、青年たちが、唖然として空を見上げた。
怪物もまた、背を向けて空を見上げた。そして目を見開いた。
そこには、あまりにも巨大な手があった。
刃のような氷柱で創られた巨大な腕が、怪物へと迫っていたのだ。
「――ぐぎゃ!?」
怪物は慌てて、逃げ出そうとするがもう遅い。
巨大な手は、怪物の全身を握りしめた。
そして、
――バキンッッ!
その直後、怪物の全身が一瞬で凍り付いた。その表情は愕然としている。
あまりにも、あっさりと。
怪物は絶命した。『死』を思い出してしまった。
そうして、巨腕は怪物ごと霧状にまで砕け散ってしまった。
しばしの静寂。
「うん。大丈夫だった? 七奈ちゃん」
不意に。
とても明るい声が響いた。
「ヤハハ、ちょっと危なかったね」
森の奥から現れたその声の主は、少女に近づいてくる。
少女は肩を震わせた。
歳の頃は十五、六ぐらいか。身長は少女よりも少しだけ高く、百六十台半ばほど。
サラリとした黄金の髪に青い瞳。天使のような愛らしさを見せる少年である。
どこかの学生なのか、ブレザータイプの制服を纏っている。
「は、八夜さま……」
七奈と呼ばれた少女は、緊張した様子で息を呑んだ。
「いらしてたのですか。申し訳ありません。お手数を……」
「ああ~、いいよ」
八夜と呼ばれた少年は「ヤハハ」と笑った。
「七奈ちゃんが無事でホッとしたよ。まったく。お父さんも無茶をさせるよ。こっそり付いてきておいて本当によかった」
少年は少女の傍にまで近づくと、彼女の長い髪をひと房手に取った。
少女は、全身を大きく震わせた。
「
「…………」
少女は、唇を噛んで視線を背ける。
「あ、七奈ちゃん。そんなに気を落とさないで」
少年は、少女の顔を覗き込んだ。
「で、ですが、私は本当に役立たずで……」
少女が、消え入りそうな声でそう告げると、
「そんなことを気にしてるの? う~ん、それなら!」
少年は、ポンと手を打った。
「うん! 丁度いいや! 七奈ちゃんにお願いがあるんだ!」
「……お、お願い、ですか……?」
少女は、不安を抱きつつ、眉根を寄せた。
「うん。そう」
すると、少年は天使の笑みで告げた。
「実は、ずっと七奈ちゃんに教えて欲しかったんだ」
「え……」
少女は瞳を瞬かせた。少年は言葉を続ける。
「七奈ちゃんって、封宮師になるためにボクたちの中でも一番経験しているんでしょう? もちろん、ボクもそれなりに経験はしてるんだけどさ……」
そこで、少年は二人の青年に目を向けた。
彼らは、密かにいつでも少年に跳びかかれるように身構えていた。
少年は「ヤハハ」と笑った。
「七奈ちゃんの隷者くんたちはいいなあ。七奈ちゃんのことが大好きみたいだ。ボクの隷者たちなんてまるで廃人でさ。ほとんどの人が入院中だよ」
「は、八夜さま? 何を仰って?」
少女が怯えた声で問う。と、
「うん。簡単なことだよ」
天使のような少年は、にこやかに笑った。
「七奈ちゃんに是非とも教えて欲しいんだ。《
一拍おいて、少年は告げる。
「具体的にはね。今からここでボクが七奈ちゃんとエッチするんだ。それでね、どこか悪いのかとか教えて欲しいんだ。どうしてボクの隷者たちは皆あんなふうになっちゃうのか――」
「――何を言っているの!?」
少女は思わず叫んだ。血の気が引くのを抑えられない。
この少年は、一体何を言っているのか――。
「あなたは忘れたの! 私とあなたは姉弟なのよ!」
「うん。少なくとも父親は同じだね」
少年は、小首を傾げた。
「けど、結局、ボクらの血の繋がりなんて多くて半分でしょう? 特に、ボクなんて八歳まで研究所育ちだったし、そもそも人間のお腹から産まれたのかも怪しいよ」
「そ、それは……」
少女は、言葉を詰まらせた。
確かに、この少年は他の兄姉たちと比較しても異様すぎる。
特に、その心の在り様は――。
「大丈夫。ボクと七奈ちゃんに、そこまで濃い血の繋がりはないよ。よく分からないけど、七奈ちゃんはそれを気にしているんでしょう? 大丈夫、大丈夫」
少年は言う。
「ボクと濃い血の繋がりがあれば、七奈ちゃんがこんなに弱いはずはないし」
「………ッ」
少女は、唇を噛んで少年を睨みつけた。
と、その時だった。
「――おい! ふざけんな! てめえ!」
青年の一人が叫んだ。二十歳ほどの青年の方だ。
「黙って聞いてりゃあ、好き勝手言いやがって!」
「ああ! その通りだ!」
もう一人の青年も叫ぶ。
二人とも鬼の形相で、今にも殴りかかりそうなほどに強く拳を固めていた。
「七奈さまをお前などに穢されてたまるか!」
激しい気炎を吐く二人に、少年はキョトンとした表情を向けた。
「いや、穢すも何も、七奈ちゃんって、もう初めてじゃないんでしょう? それどころか、逆ハーレムの主人じゃないか。君たちのご主人さまなんだろ?」
「それは、七奈が望んでしたことじゃねえ!」
「七奈さまの悲痛なお気持ちが、貴様のような人擬きに分かってたまるか!」
青年たちは、さらに吠える。
直後、二人は忍耐の限界だったのか、少年に襲い掛かった――が、
――パチンッと。
少年が指を鳴らすだけで彼らの足元が凍結。次の瞬間には氷柱となり、二人は頭だけ残したまま拘束されてしまった。
「くそッ! 七奈! 逃げろッ、七奈ッ!」「七奈さま! お逃げ下さい!」
青年たちはそう叫ぶが、少女は恐怖で動けなかった。
「うん。君たちは七奈ちゃんの大切な
少年は「うん」と頬に指先を当てて小首を傾げた。
「寝取り? 寝取られだっけ? NTR? まあ、どうでもいいけど、それって
「ざけんなああッ! てめえええええ!」「七奈さまッ! 七奈さまあッ!」
青年たちの絶叫が響く。
「ヤハハ、元気な人たちだね!」
しかし、少年は全く気にしない。
ただ、優し気な眼差しで。
「七奈ちゃん。夜は長いよ」
少年は、目を剥いて怯える少女の髪を手に取った。
それから、彼女の腰を強く抱き寄せる。
もはや逃げられない。彼女にとっては、喉元に牙を突きたてられたのと変わらない行為だ。彼女は「ひッ」と声を零した。
しかし、少年はニコニコと笑って。
「大丈夫だよ。実は、七奈ちゃんってボクの凄く好みなんだ。こっそり護衛してたのも本当に心配だったからだよ。だから、そこまで酷いことはしないよ。うん」
再び、彼女の長い髪を手に取って告げた。
「七奈ちゃんも、もっと気を楽にして。折角だし、君も夜を楽しんでよ」
少女は、もう何も答えられなかった。
捕食者を前にした、非捕食者のように。
原初の恐怖に、魂が凍り付く。
深夜の森の中。
月明かりに照らされた、少年の微笑み。
それは、我霊のものと、まるで変わらなかった――。
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