第180話 暁の世界③

 ――海の国アクアブルー

 ドーンワールドの三つの王国の中で、そこは唯一の屋内施設だった。

 広大なエリアを丸ごと覆う巨大なドーム。数百メートル先に見えるその天井は、夏季には解放もされるのだが、まだ二月である今は閉じられていた。

 季節に左右される施設を、安定した気温のドーム内に納めることで年中無休を実現させた超大規模なウォーターランド。それが、ドーンワールドの海の国アクアブルーだ。


 しかし、ドーンワールドは、本質的には遊園地である。

 温水プールや温泉スパ施設がメインである海の国アクアブルーも例外ではない。ウォータースライダーなどの定番の施設も押さえているが、機械仕掛けの遊具も多い。例えば、水飛沫を上げて水面を滑走するジェットコースター・『天翔青龍ブルードラゴン』などは人気の施設だ。


「「「きゃあああああ―――ッッ!」」」


 黄色い悲鳴が響く。

 男性も、負けない大きな声を上げていた。

 そして目の前を、スプラッシュコースターが滑走した。

 大量の水飛沫が、長椅子ベンチに座っていた真刃にも降り注いできた。

 海の国アクアブルーの遊具は、見物者にも容赦がない。だからこそ、全員水着姿なのだ。

 真刃は、水に濡れた前髪を掻き上げた。


「大丈夫か? 月子」


 それから、隣に座る少女に声を掛ける。


「は、はい……」


 月子は、濡れた顔や髪を両手で拭っていた。

 彼女は今、水着姿だった。

 白のワンピースである。フリルの付いた愛らしい子供用の水着だ。

 ただ、月子が着ると少し似合っていない。サイズ的にもかなりキツそうだった。

 子供用だというのに、そのスタイルが、すでに子供ではないからだ。

 彼女は、その上に同色のパーカーを羽織っていた。


「おじさまも大丈夫ですか?」


 顔を上げて、そう尋ねる月子。

 月子がそうあるように、真刃もまた水着姿だった。

 白いラインが入った黒のハーフパンツに、同じデザインのパーカーを身に着けている。

 ただ、彼においても着目するのは、その肉体だろう。

 痩身ではあるが、まるで鋼のように鍛え上げられていた体躯。

 ここまで鍛え上げられた肉体は、数多い来客の中でも数えるほどもいない。

 見目麗しい月子と同等なほどに、他の客から目を向けられるぐらいだ。

 月子は、少し、ぽーっとした様子で真刃を見つめていた。


「どうした? 月子」


 真刃が声を掛ける。


「退屈だったか? オレに構わず、お前もエルナたちと一緒に行っても良かったぞ」


「い、いえ。退屈なんてないです」


 月子は、フルフルとかぶりを振った。

 退屈どころか、これは妃の特権だった。

 基本的に、真刃はこういった遊具にあまり興味がなく、見物者であることが多い。

 そんな彼の傍らに一人だけは残ろうと、五人で約定を決めたのだ。

 残る者は順番制にした。すでに巡った遊具は四つ目。今は月子の番だった。

 遊具で遊べないのは少し寂しい。

 けれど、この時間は、それ以上に掛け替えのないモノだった。

 ただ、彼の傍に座るだけで幸せな気分になる。


「月子」


 その時、真刃が彼女の名を呼んだ。


「……はい。真刃さん……」


 月子が、ぽーっとした表情のまま、顔上げてそう返す。

 初めて月子に名前で呼ばれ、真刃は少し驚いた顔をしたが、


「大丈夫か?」


 そう告げて、彼女の頬を伝う水滴を拭った。


「お前は水が苦手なのだろう? ここは大丈夫なのか? 怖くはないか?」


「……え? あ、は、はい」


 ハッとした表情で、月子は頷いた。


「大丈夫です。海や川は怖いけど、足の付く場所なら」


「……そうか」


 真刃は、優しい眼差しを向けた。


「ならば良いが、それでも気を付けなくてはな。ここの施設にも、水底がいささか深い場所はあるという話だ。そこは避けた方がよいな」


「……はい。おじさま」


 頷く月子の頭を、真刃は優しく撫でた。

 とても温かくて大きな手だった。

 それだけで、月子は再びポヤポヤとなるのだが、


「おっじさん!」


 急に元気な声が響いた。

 真刃と月子が目をやると、そこには燦がいた。

 当然ながら燦も水着姿だ。月子と同じワンピースタイプではあるが、フリルはなく、背中が大きく開けている少し大人びたデザインの赤い水着を着ている。

 すぐ隣には、他の少女たちもいた。


 エルナと、かなた。そして刀歌である。

 エルナと刀歌は、ビキニタイプの水着を着ていた。エルナは薄い紫色。刀歌は白一色である。エルナは、腰に鮮やかなパレオも着けていた。

 一方、かなたは競泳水着を着ていた。黒を主体に、白い縁取りがされた水着である。

 三人とも抜群のスタイルを持つ少女たち。とてもよく似合っている。

 燦も含め、水滴で輝く肢体は眩しいほどだった。


「お待たせしました。真刃さま」


 頬にかかる髪を指先で払って、かなたが言う。


「いや、大して待っておらん」


 このエリアの遊具数は圧倒的だ。純粋にプールで遊ぶ客も少なくない。そのため、来客もある程度は分散されるので、各遊具の待ち時間も比較的に少なかった。

 実際、真刃と月子が待ったのも二十分ほどである。


「それよりも、楽しめたか?」


「うんっ!」


 燦が輝く笑顔を見せる。

 エルナたちも、燦ほど直球ではないが、それぞれ頷いている。


「そうか」


 真刃は、目を細めると立ち上がった。

 月子も一緒に立ち上がる。


「さて。では、次に行くか」


 ほぼ『お父さん』の心境で、そう告げる真刃だった。

 一方、その様子を窺う者たちがいた。

 物陰に潜む、金堂剛人と、御影刀真である。


「……あの野郎」


 白いパーカーに、黒のブーメランパンツを履いた剛人が歯を軋ませる。


「三人どころじゃねえじゃねえよ! 五人もいるじゃねえかッ!」


 ギシギシギシ、と。

 歯軋りが一向に収まらない。

 よもやの五人。しかも、誰もがとんでもないレベルの美少女ばかりだ。その上、見る限り一人に至っては明らかに幼い。犯罪レベルの歳の差である。

 強い義憤が湧き上がる。

 ただ、五人の少女の内、特定の一人を見る時だけ、その目尻がだらしなく落ちた。


「うわあ、やっぱ刀歌は綺麗だぁ」


 白いビキニを身に纏う刀歌である。

 水に濡れた長い黒髪を、彼女は指先で梳いていた。

 その表情は、とても楽しげに見える。


(……少なくとも、あの表情は演技には見えないや)


 と、姉の様子を見て、青いハーフパンツ姿の刀真が思う。

 今の姉の表情には、芝居的なモノはないように見える。

 むしろ、実家にいた頃よりも朗らかなぐらいだ。

 姉が強引に服従させられているというのは、やはり考え過ぎったのだろうか。

 そう思うと、少し安堵したためか、刀真は別のことが気がかりになっていた。


(……あのお姉さん)


 刀真の視線の先にあるのは、金髪の少女の姿だ。

 背は少し低いみたいだが、その大人びた容姿からして姉の同級生だろうか?

 凄く、綺麗な人だった。

 彼女を見ていると、胸の奥がドキドキとしてきた。


(これって、何だろう?)


 刀真は、自分の胸に片手を当てて、眉根を寄せた。

 気に掛けるべきは姉だというのに、穏やかに笑う彼女の横顔から目を離せなくなる。

 彼女が、あの男性に頭を撫でられると、チクリと胸の奥が痛んだ。


(……むう)


 自然と、頬が膨らんだ。

 が、そんな刀真の変化に、兄貴分は気付かない。


「次の場所に移動するみたいだな」


 言って、彼らの後を追う。

 カシャカシャカシャと刀歌に向けて、スマホのシャッターを押すのも忘れない。


(……剛人兄さん……)


 スタッフに見つかったら、厳重注意か、警察に突き出される行為である。

 ただ、刀真も……。


「……………」


 何となく、自分のスマホを取り出した。

 そして、

 ――カシャリ、と。

 無言のまま、金髪の少女の姿をスマホに納める刀真だった。




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 感謝を込めて、今日は夜8時頃にもう一話投稿いたします!

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