エピローグ

第160話 エピローグ

 かくして、黒田事案は解決した。

 最後の夜こそ、負傷者は多数であっても死亡者までは出なかったが、本件の犠牲者は、八十三名。近年において最悪の事案とされた。

 事件後、真刃たちが手配した陰太刀の特殊班によって、黒田信二たちは保護された。生存者たちは喜び合ったが、この事件を切っ掛けに大きく運命が変わった者もいる。

 その中でも、特に挙げるとすれば三人だ。


 一人目は、黒田信二。

 恋人である菊を連れて、黒田家に帰った彼は、その後、父の反対を押し切り、菊と結婚。三児の子宝に恵まれつつ、とある企業を興した。

 ――黒鉄くろがね重工。

 表向きは自動車の製造業社だが、その実態は引導師専用の霊具を開発、流通させる企業だった。世の裏側を知った黒田信二が、少しでも引導師の役に立とうと興したのである。

 黒鉄重工は戦争も重なり、一時期、倒産の危機にも陥るが、黒田信二の手腕で持ち直し、今代においても引導師界における屈指の霊具メーカーとして名を連ねている。


 二人目は、立花すずり。

 恋人との悲劇の別れを経た彼女は、蒼い巨狼から恋人の最期の言葉を聞き、感情が蘇ったかのように滂沱の涙を流した。そして、彼女も黒田信二同様に立ち上がる。

 資産家だった立花家から後ろ盾を取り次ぎ、月と槍の紋を旗頭とする、特殊な医療機関を立ち上げたのである。

 今代にまで続く、医療技術及び治癒術の専門組織。月槍院げっそういんの創設だった。

 国内においては、戦闘向きではない術式ゆえに、家系として軽視される傾向のあった治癒系の引導師を、初めてまとめあげた組織でもある。


 もし、優れた医療技術、治癒術があれば、彼は死なずに済んだのでは……。

 そんな想いから生まれた組織だった。


 かの時代、女性の身では、困難も非常に多かった。

 だが、それでも、立花すずりは、やり遂げてみせた。


 晩年。養子に月槍院のすべてを託した彼女は、一つの作品を書き上げる。

 一人の小説家と、彼の弟子である少女が結ばれ、幸せになる物語だ。

 その遺作を胸に、月槍院の創設者は眠りについた。


 三人目は、金堂多江だ。

 事件後、無事、夫と再会した彼女は、後に四児の子を産んだ。

 夫である金堂岳士は、多江が得た異能を知っても一切気にしなかった。

 それさえも含めて、彼女を愛したのである。

 多江は、間違いなく幸福者だっただろう。

 桜華にとっても、彼女はとても親しい友人となった。

 何度、桜華が「自分は男だ!」と言っても一向に信じてくれなかったことだけは、桜華としては不満ではあったが。


 しかし、多江は短命だった。

 やはり異能の無理な発現は、体にも大きな負担を与えたのだろう。

 彼女は、四十代の若さでこの世を去った。

 親友、夫、子供たちに看取られた幸せな眠りだった。

 ただ、彼女の異能だけは、その子供たちにも受け継がれていた。


 ――《剛体靭ごうたいじん》。

 そう名付けられた異能は、その後、多江と岳士の子供たちに術式として磨かれ、金堂家は新たな引導師の家系と成ったのである。

 後に、時代に合わせて術式は《剛体靭リジット・ウォール》と名を変えたが、金堂家は、御影家の盟友の家系として深い交流が続き、令和の時代においても健在だった。


 ――黒鉄重工。月槍院。金堂家。

 それらが、かの時代が残したモノだった。

 そうして、時は流れて――。



 ……パチリ、と。

 彼女は、おもむろに目を覚ました。

 目の前に映るのは、岩の天井だ。


(……ここは?)


 暗い場所に、眉をしかめる。

 が、ややあって、記憶が鮮明になってくる。


(そうか……。自分は龍泉に来て……)


 そこで生を終わらせようとした。

 しかし、どうして意識がまだあるのだろうか。

 彼女は困惑しつつも、上半身を起こした。

 その際に、想像以上の重さを感じた。

 とても懐かしい重さだ。それが上半身に合わせて、ゆさりと揺れる。


「………な」


 彼女は目を瞬いた。

 胸元に目をやる。首にかけた古い水晶の首飾り。

 その水晶の下にあるのは、素晴らしい張りを持つ双丘だ。

 驚いた彼女は、腕や足にも目をやる。

 あまりにも瑞々しい。体力、活力に満ち満ちた四肢だった。

 彼女は、周囲に目をやった。

 かつて地底湖だった場所。何やら、ところどころに七色に輝く石が目に入るが、彼女が凝視したのは、湖の底に微かに残った水溜まりだった。

 そこにふらふらと歩み寄り、両膝をついて覗き込む。


 水面に映るのは、黒髪の女だった。

 年の頃は十九か、二十歳ほどか。首飾りだけをした全裸の女だ。


「……自分? 昔の自分だと?」


 彼女は唖然とした。

 自分の横髪を手に取る。確かに艶やかな黒い髪だった。

 指先から感じるのは、まるで絹糸のような感触だ。

 かつて、白髪だった面影はどこにもない。


 信じられない。

 信じ難いことではあるが……。


「……若返った……?」


 両手を見やる。

 若き日の……いや、それどころではないほどの活力が全身から溢れている。

 彼女は、改めて周囲に目をやった。

 満ちていた龍泉は、完全に姿を消している。


「まさか、龍泉を呑み干したとでもいうのか?」


 龍泉とは魂力の泉。膨大な魂力の塊だ。

 それを、32程度しか魂力を持ち合わせない自分が吸収するなど……。


(いや、これも有り得るのか)


 魂力には個人が持つ量と、最大供給量というモノがある。

 前者は個人の生まれつきの量。後者は《魂結び》などで他者から供給できる量だ。

 彼女の場合、前者は確認済みだが、後者に関しては一度も試したことがなかった。

 何故なら、一度も隷者を得たことがなかったからだ。


「自分には、その器があったというのか?」


 まさかの可能性だった。

 しかも、この魂力は《魂結び》のような一時的なモノではない。

 全身から溢れる魂力は、完全に魂と体に定着していた。

 その上、地に着けた両膝から魂力が、さらに流れ込んでくるのを感じた。

 自分は今、この星の龍脈と繋がっている。


「……なるほどな。これが原因か」


 常に注がれる大量の魂力は、彼女の肉体の損傷を復元していく。

 そしてこの姿は、老化さえも肉体の損傷として分別されたということだった。

 恐らく、今の自分の肉体年齢は最盛期の状態。十八ぐらいなのだろう。


 ――龍泉の巫女。

 果たして偶然なのか、運命なのか。

 生の終着に選んだ地で、自分はそういった存在へと変化したのである。


「……まさか、このような結果になるとは」


 片手で顔を覆う。

 あの頃の姿。

 いや、あいつと共にいた頃よりも、さらに若い姿。

 仮に、素直になれていたのなら、あいつと結ばれていたかも知れないこの姿。

 そのためか、脳裏に浮かぶのは、あいつとの思い出ばかりだった。



『お前、その口調と、自身を「自分」と呼ぶことは何とか出来んのか?』



 あいつのそんな些細な言葉が蘇る。

 ……そうだ。

 もっと、素直になるべきだった。

 もっと、早く真実を告げるべきだった。

 この今も色褪せない想いを伝えるべきだった。


「……嗚呼、自分は、どうして、『私』は……」


 激しい後悔が、胸の奥で渦巻く。

 たとえ、あの頃の姿を取り戻しても。

 あいつは、もうどこにもいない。

 すべてが遅すぎた。

 それを改めて思い知った時、心の底に封じていた憎悪が蘇る。


 ――そう。あの女への憎悪が。


 どれほど願っても、あいつにはもう逢えない。

 あの女が殺したから。

 火緋神杠葉が、殺したから。


 星の力を得ても、神の力にはまだ届かないだろう。

 だが、自分は今、わずかであっても可能性を得たのだ。

 諦めていた、あの女を殺せる可能性を。


「……『私』は……」


 だから、せめて、これだけは……。

 この憎悪おもいだけは――。

 手を顔から、ゆっくりと離す。

 現れ出た黒い双眸。

 それはまるで闇の底にいるような、とても暗い眼差しだった。

 そして、


「あの女だけは、殺す」


 久遠桜華は、そう呟いた。




 第4部〈了〉


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読者のみなさま。

本作を第4部まで読んでいただき、誠にありがとうございます!


しばらくは更新が止まりますが、第5部以降も基本的に別作品の『クライン工房へようこそ!』『悪竜の騎士とゴーレム姫』と執筆のローテーションを組んで続けたいと考えております。


第5部は再び現代に戻ります。

壱妃、弐妃、参妃組と、肆妃ズの初顔合わせです!


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今後とも本作にお付き合いしていただけるよう頑張っていきますので、これからもよろしくお願いいたします!

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