第一章 星の煌めきは未だ数知れず

第248話 星の煌めきは未だ数知れず①

『……以上が報告よ』


 その日。

 久遠真刃は朝から定時報告を受けていた。

 場所はフォスター邸の一室。最近用意したばかりの資料なども置いた執務室だ。

 そして報告してきた相手はノートPCによるリモートだった。

 ノートPCに映るのは二十歳ほどの女性。

 腰ほどにまである長い黒髪に、紅を引く薄い唇。鋭い面持ちをアイシャドーでさらに強調させた氷を思わせるような美女だ。

 現在、時刻はまだ朝の八時。真刃自身、白いYシャツにジーンズだけというラフな格好だというのに、彼女はわざわざ胸元を大胆に開いた赤いイブニングドレスを着込んでいる。

 名前を西條綾香と言った。

 西の魔都・強欲都市グリードにて、チーム・《鮮烈紅華レッドリリィ》を率いる女傑だ。

 同時に真刃不在時の強欲都市グリードにおける代行者でもある。


「……ふむ」


 真刃はあごに手をやった。


強欲都市グリードは順調に落ち着き始めているということか」


『ええ』綾香は頷く。


『思いのほか大きな混乱はないわ。有力チームから選出した地区長エリアリーダーたちも上手く機能している。まあ、まだ様子見ってところかもしれないけど』


「《DS》に関してはどうだ?」


 腕を組んで真刃は尋ねる。


「市場流通は一旦止めて欲しいと頼んだが……」


『ええ。指示通り流通は一旦STOPさせてるわ。まあ、不満が大きいし、裏取引もされてるみたいだけど、そればかりは防ぎきれないわね』


 と、嘆息しながら綾香は答える。


『《DS》はどれだけ胡散臭くても必須アイテムだったから尚更ね』


 そう前置きして。


『けど、貴方の言う通り本格的に検証するのなら今が絶好の機会でもあるわ。《DS》は今も研究班で検証中よ。ただ朗報というべきか、初回報告だと、あれって実は依存性はさほどないみたい。魂力の大量注入で引き起こす興奮状態……いわゆる魂力酔いが依存症の正体だったということよ。適量なら人体にも影響ないそうよ』


「……そうか」


 真刃は双眸を細めた。

 ――妄執の魔王の秘薬。

 サンプルを大量に手に入れたのでわざわざ研究班を立ち上げて調べさせたが、どうやら使用方法を間違えなければそこまでリスクの高い代物ではなさそうだ。


(……総隊長殿も在野の引導師を使い捨てにしたい訳ではないだろうしな。それなりの品質のモノは用意しているということか)


 少し思案する。


(市場での実験も兼ねてはいるだろうが、第一の狙いとしては、やはり弱体化の傾向にある今代の引導師たちの実力の底上げといったところか)


 それ以外にも目的があるのかもしないが、これ以上推測するには情報不足だった。

 真刃は一度瞼を閉じてさらに思考し、再び開く。


「《DS》に関しては引き続き検証してくれ。初回報告から変わらず大きな問題がないようならば再び流通も許可しよう」


 幾つかの使用制約は加えるがな。

 最後にそう付け足した。

 綾香は『分かったわ』と首肯する。


『《DS》に関してはそう対処するわ。それと久遠。別件で一ついいかしら?』


「なんだ?」


 眉根を寄せて問う真刃に、綾香は『ふう』と小さく息を吐いた。


『色々としつこい具申があるのよ。特に貴方の《久遠天原クオンヘイム》から』


「……む」


『あのね』


 綾香はジト目で真刃を見据えた。


『あいつら、凄く五月蠅いのよ。幾ら《雪幻花スノウ》と芽衣がいるからってキングの護衛が二人だけなのは納得いかないって』


「……いや待て」


 真刃は眉をひそめて言う。


「あやつらはオレの護衛ではないぞ」


『知ってるわよ。貴方のお気に入りたちなんでしょう?』


 綾香は肩を竦めた。


引導師ボーダーなんだからハーレムの否定はしないわよ。忌避するほど初心でもないし』


 苦笑混じりにそう告げる。

 真刃は何か言おうとするが、その前に綾香が言葉を続けた。


『けど、それもあるから彼女たちはどれだけ強くても《久遠天原クオンヘイム》の連中にとってはあくまでクイーンであってキングの騎士って認識じゃないのよ。事実上、キングに護衛なし状態なんて納得いかないってことよ。特に武宮とか獅童とかが口喧しいわ』


「……あやつらか」


 真刃も溜息をついた。


『とにかく、武宮と獅童を中心に十人ほど選別して護衛として送るから。私としても貴方に何かあったら困るものね』


「……うちはマンションだぞ。十人も押しかけられては困るのだが……」


 真刃は渋面を浮かべた。

 最上階を丸ごと使用していてもホライゾン山崎はやはりマンションだ。大人数で暮らすには不便さもあり、収容できる人数にも限りはある。

 すると、


『そのマンションって貴方の隷者ドナーの一人の所有物なんでしょう? なら、マンション自体を丸ごと使うか、もしくは大きな屋敷か豪邸でも購入しなさいよ。キングの居城なんだから見栄え良くしなさい。その程度のお金ぐらい私が出してあげるから』


 綾香はそんなことを提案してきた。


『ああ。それともう一つ』


 頬に指先を当てて彼女はさらに続ける。


『今回の護衛班には神楽坂姉妹も同行させるわ。ただあの子たちは護衛じゃなくて、出来れば貴方の庇護下に置いてほしいの』


「……なに?」


 予想外の名前に真刃は少し驚いた。

 神楽坂姉妹。確か名前は茜と葵だったか。

 彼女たちのことは憶えている。

 真刃の時代でも耳にしたことのない特殊な異能を持つ姉妹だった。

 芽衣と武宮が保護し、強欲都市グリード滞在中に何度か顔を合わせて話もした。

 妹の葵は大人しく内気な性格で、姉の茜は少し気を張りすぎた様子の娘だった。

 真刃は「神楽坂姉妹か」と呟き、


「何故あの二人を?」


『あの子たちって今、結構微妙な立ち位置にいるの』


 真刃の問いに、綾香は神妙そうな声で答える。


『あの子たちのレアな能力は貴方も聞いたでしょう? 《黒い咆哮ハウリング》が潰れた今、あの子たちを自分のチームに取り込みたいって連中が多いのよ』


「………」


 真刃は静かに耳を傾ける。


『今は私の庇護下に置いてるけど、それにも不満はあるみたい。特に私って真っ先に貴方と同盟を組んだことで恩恵受けまくりだし、仮に千堂のところに預けても同じでしょうね。このままだとあの子たちが火種になって一波乱起きそうなのよ』


「……だからオレか」


『ええ。そうよ』


 綾香は首肯する。


キングの庇護下なら誰も文句も言えないでしょう。だから、もう少し強欲都市グリードが落ち着くまであの子たちを貴方に預かって欲しいのよ』


 一呼吸入れて『だってこのままだとあの子たち学校にも行けないじゃない』というとても小さくはあるが、彼女の本音の一つでもある呟きを真刃は聞き逃さなかった。

 真刃は少し双眸を細めて。


「……ふふ」


 と、思わず笑みを零す。

 綾香は『な、何よ?』と少し動揺した。


「いやなに。お前も芽衣も面倒見の良いことだなと思ってな」


『……あんな胸に栄養全取りされたような女と一緒にしないでよ』


 と、不機嫌そうに返す綾香。

 どうも彼女たちは犬猿の仲らしい。


『それに面倒見の良さで貴方にどうにか言われたくないわ』


「……まあ、それはどうか分からんが」


 真刃は苦笑を浮かべつつ、鷹揚に頷いた。


「いいだろう。護衛の件は承諾した。神楽坂姉妹のことも引き受けよう。強欲都市グリードの件は引き続きお前に任せたい。《DS》検証の続報も頼む。ただ……」


 そこであごに手をやり、少し考え込む。

 そして、


「そうだな。綾香・・よ」


『…………え』


 不意に名前で呼ばれて綾香は目を見開いた。

 一方、真刃は気遣うような優しい表情を見せて。


「あまり無理をするな。化粧で顔色を隠しているようだが寝ておらんのだろう?」


『……………』


 見抜かれていたことに綾香は驚く。

 化粧で疲労を誤魔化していることなど自分の側近たちも気付いていないというのに。


「綾香。お前は……」


 優しい表情、優しい声色のまま真刃は言葉を続ける。


「野心家以上に努力家なのだろうな。すべてを押し付けて何様かとは思うが一人で背負いすぎるな。苦労が多いのなら千堂にも頼れ。あいつはあれで頼りになる男だ」


 綾香はまだ無言だった。

 ただ、少しだけ俯いて。


『……分かってるわよ』


 そう返した。


『これからは気を付けるわ。体調管理もリーダーの責務よね。けど……』


 そこで綾香は視線を逸らし、


『……綾香って呼ばないでよ……』


 それだけを告げて彼女は通信を切った。

 真刃はしばし消えたモニターを見つめていたが、


「……いかんな。いささか馴れ馴れしかったか」


 少し反省をする。

 真刃としては色々と押し付けている彼女を労いたかっただけだった。

 そこでふと思い出したのが、かつての時代である。

 ――労う時はお前とかじゃなくて名前で呼びなさいよ!

 そう叱られたことがあったので名前で呼んでみたのだが、失敗だったかもしれない。


「……やはり人擬きに心の機微は難しいか。しかし」


 真刃は沈黙して考え込む。

 そして、


「どうも近々住居も変えねばならんのかもな」


 椅子にもたれかかって、面倒そうに呟く真刃だった。

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