第249話 星の煌めきは未だ数知れず②

「………ふゥ」


 パタン、と。

 机の上に置かれたノートPCを閉じる。

 そこは強欲都市グリードにあるホテルの一室。

 ここ数日、綾香が執務室として利用している部屋だ。

 最高級のスウィートルームであり、バスルームやキングサイズのベッド。さらには周辺のビル群を一望できるバルコニーまである豪華な仕様である。


 しかもここは一室だけではない。

 他にも同等サイズの部屋が幾つかある大きなフロアだった。

 実は屋外にはプールまである。


 そんな部屋の一つで、綾香は椅子にもたれかかって天井を仰いだ。


「……薄々分かってたけど」


 小さく吐息を零す。


「……久遠って意外と気遣いの人なのよね」


 言って、片手で額を押さえた。

 まさか疲労していることを画面越しで見抜かれるとは思わなかった。

 しかも、こちらを気遣う言葉までくれた。


 ……素直に言えば少し嬉しかった。

 本来ならば忌避する名前で呼ばれることも一瞬スルーしてしまったほどにだ。


 だが、落ち着いた今は少し勘繰ってしまう。


「もしかして、あの王さまは私までご所望なのかしら?」


 綾香は眼差しを細めてそう嘯いた。

 自分の魂力は223だ。

 強欲都市グリードにおいても五本の指に入る量である。

 隷者ドナーとして望まれても不思議ではない。


「英雄色を好む。ましてや彼は強欲都市の王グリード・キングなのだから尚更かもね」


 そう呟き、苦笑を浮かべる。


「私も望まれている可能性はあると考えた方がいいわね。まあ、私が芽衣に劣るところなんて駄肉の大きさぐらいだからむしろ当然なのかしら」


 と、何となく対抗心を見せて呟く。

 まあ、嘯きながら自分の胸元に手を置いた時、少しだけ頬が引きつっていたが。

 しかし、本当に彼が自分を所望しているのなら厄介な話だ。


(そうなったら困ったものね)


 頬杖をついて、綾香は小さく嘆息する。

 自分が目指すのは西條家の復興だ。

 そして、この強欲都市グリードを支配する女帝となることである。

 この街の裏の支配者となるのだ。

 仮に相手がキングであっても対等の立場でなければならない。

 そもそも誰かに隷属する隷者ドナーなど御免だった。

 それは女帝の誇りが許さない。


(……とは言え)


 そこで綾香は自分の腹部に両手を添えた。

 口元には微苦笑を浮かべている。

 隷者云々はともあれ、彼にはいずれ自分から抱かれるつもりではあった。

 恐らく数回ぐらいは抱かれることになるだろう。

 この身に彼の子を孕むまでだ。

 しかし、彼の子を宿しても、彼の隷者ドナーになる気もなければ妻になる気もない。


 目的はただ一つ。

 最強のキングの血を西條家に取り込むためである。


 彼に認知してもらうつもりもない。望むのはドライな関係だ。


「子を孕むためとはいえ、私が一人の男に何度も抱かれることなんてないんだから、それで勘弁して欲しいところね」


 と、皮肉気な口調で嘯いて、綾香は自分の腹部から手を離した。


「まあ、それも踏まえて、今回、あの子たちを送るんだけど……」


 続けてそう呟いた時だった。

 部屋のドアがノックされたのは。

 綾香は振り返ると、「入っていいわよ」と告げた。

 今、この部屋フロアにいるのは綾香以外では二人しかない。


「……入るわ」


 そう告げて他の部屋から入ってきたのは一人の少女だった。

 年の頃は十三、四歳ほど。

 髪は赤くボーイッシュなショートヘア。瞳もかなり赤みがかっている。これらは生まれながらの色らしい。ちなみに彼女の双子の妹は青い髪であり、瞳は青みがかっていた。

 黒いセーラー服を着ているのだが、勝気そうな顔つきと短い髪のためか、どこか少年のような印象を抱かせる少女だった。


「……西條」


 セーラー服の少女――神楽坂茜が口を開いた。


「……交渉は終わったの?」


「ええ。終わったわ」


 綾香は椅子に座ったまま半身をずらすように茜に顔を向けた。


「交渉は成功よ。あなたたちはキングの庇護下に入ることなったわ」


「……そう」


 茜は少し安堵した表情を見せた。

 それから綾香を見つめて。


「ありがとう。西條。世話になったわね」


 頭を垂れて礼を言う。

 対し、綾香はプラプラと手を振って、


「気にしなくていいわよ。あなたが自分と妹のために必死なのは見て分かるしね。ちょっと昔の自分を見ているような気分になって少しだけ手を貸しただけよ」


 そう前置きして。


「けど、私が手助けするのはここまでよ。後は自分たちであなたたちが使える人間だってことを彼にアピールすることね」


 そう告げる。

 茜は「分かってるわ」と頷く。

 綾香が真刃に伝えたことは事実だ。

 間違いなく神楽坂姉妹は危険かつ微妙な立場にある。

 しかし、それは彼女たちの周囲の思惑であって、姉妹自身の思惑とはまた別だった。


「……私たちはもう引導師ボーダーの世界から逃げられない」


 独白のように茜が呟く。

 彼女たちの能力は、あまりにも有名になってしまった。

 もはや普通の世界に戻ることなど許してくれるはずもない。


「……だったら」


 茜は前を向いた。

 赤い眼差しは理不尽な未来を見据えていた。


「勝ち馬に乗るだけよ。私は私たちの身の安全を最優先にする」


「…………」


 綾香は茜を見つめたまま、耳を傾けている。


キングに取り入れば私たちの安全は保障されるわ。そして私たちが有益だと認めてもらえればきっと重宝だってされるはずよ」


 そう告げる茜に、綾香は苦笑を浮かべた。


「だから私に頼んだのよね。キングに近づくチャンスが欲しいって」


「ええ。そうよ」


 茜は自分の胸に片手を当てて言う。


「あなたがすんなり承諾してくれたのは意外だったけど、本当に感謝しているわ」


「……あらあら」


 綾香は口角を上げた。


「感謝はまだ早いんじゃないかしら? 私には私の思惑があるのよ。ただ、そうね……」


 片手で長い髪をかき上げて綾香は言う。


「どうせなら信頼だけじゃなく寵愛も勝ち取ったらどうかしら?」


「…………」


 そう告げられて茜の表情が微かに強張った。


「あなたたちの能力の制約は私も知っているけど、それでも引導師ボーダーの世界でいつまでも純潔を貫けるなんて思ってないでしょう?」


「…………」


「望まない相手に奪われることの方が多い世界よ。それならキングに捧げなさい。出来れば二人揃っての方がいいわよ。初めてを捧げれば男は大抵甘くなるものだから」


 茜は何も答えない。

 ただ緊張するように唇を噛んでいた。

 ややあって、


「……キングは」


 茜は少し強張った声で返す。


「きっと私たちなんて好みじゃない。芽衣さんや《雪幻花スノウ》を見てれば分かるわ」


「あら。それはどうかしら」


 意地悪く笑う綾香。


「久遠の守備範囲は広いのよ。彼の最年少の隷者ドナーは十二歳の少女らしいし」


「………え」


 茜は目を見開いた。綾香はクスクスと笑う。


「まあ、彼の名誉のために言うとその子たちにはまだ手は出していないらしいけど。というより色々理由があって隷者ドナーという体裁で保護しているみたいね。彼は優しい人だから」


 甘いと思えるぐらいにね。

 皮肉気な笑みと共に、そう付け足した。


「……私をからかっているの?」


 半眼で綾香を睨みつける茜。

 対し、綾香は「あはは、ごめんね」と笑った。


「ただ今すぐでなくても寵愛の件は本気よ。茜」


 綾香は双眸を細めて茜を見つめた。


「さっきも言ったけど久遠は優しい男よ。だから素直に甘えてみなさい」


「…………」


「策謀に頼るよりも上手くいくかもしれないわよ」


「……あなた自身は」


 茜は困惑した声で問う。


「それを望まないの? キングの正妻を目指さないの?」


「私はいいのよ」


 綾香は即答する。


「私は芽衣とは違う。私には私の目的があるから。ただあなたの願いを叶えるにはそれが一番堅実で近道だと思っただけよ」


「……そう」


 茜は後ろを向いた。


「近日中には出立する予定よ」


 その背中に綾香は告げる。


「久遠の護衛班と一緒にあなたたちにも向かってもらうわ。準備しておきなさい」


「……分かったわ」


 振り返らず茜は返答する。


「それと私が言ったこと、真剣に考えておくことね」


「…………」


 それには茜は答えない。

 ただ、後ろからでも耳が赤くなっていたことは分かった。


(あらあら)


 綾香は瞳を細めた。


(気丈なようで初心うぶな子なのね)


 まあ、しっかり者でもまだ子供なのだから仕方がないことか。

 そうこうしている内に茜は部屋を出ていった。

 この場に残されたのは綾香だけだ。

 しばしの沈黙。

 そうして、


「……あの子たちは私の代用品。キングへの献上品であり、『服毒の刃』よ」


 天上を見上げて綾香は微笑む。

 それはとても美しく。

 とても妖艶に――。


「私は女帝。妃にはならない。けど、彼に最も近い妃に私の手駒がいないのも問題だしね」


 機会を与えた。

 恩を売った。

 道を示した。

 後は恩を楔にしてあの姉妹を傀儡にする。

 その上で自分の代わりにキングの妃にするのだ。

 服毒の刃としてキングの内情を逐一報告させるために。


「ふふふ」


 綾香は再び微笑んだ。


「あの子たちのこと、キングも気に入ってくれるといいのだけど」


 そう囁く。

 女帝・西條綾香。

 彼女はやはり魔性の女だった。

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