第250話 星の煌めきは未だ数知れず➂

 さて。

 西の魔都の女たちが暗躍する一方で。

 やはり、気になるのは新たなメンバーが加わった妃たちの近況だろう。

 強欲都市グリード平定からすでに一月ほど経過していた。


「行ってきま~す」


 心地よい朝。

 そう言って廊下を元気よく走るのは一人の少女だ。


 年の頃は十二歳。

 真新しい白い制服に、背にはランドセルからクラスチェンジした手持ちも出来る鞄。頭には白いキャスケット、足には黒いストッキングを履いていた。

 毛先に近づくほどにオレンジ色になる明るい赤色の長い髪をなびかせている。


 肆妃『星姫』・火緋神燦である。


「行ってきます」


 そう告げるのは先を進む燦の後ろでお辞儀をする少女だ。


 温和な顔立ちに優し気な眼差し。うなじ辺りでカットした髪はふわりとした淡いゴールド。瞳の色はアイスブルーだ。彼女は白人とのハーフだった。

 年齢は燦と同じなのだが、異国の血の影響なのか、容姿も性格も子供っぽい燦に比べるとかなり大人びている。身長も最近少し伸びてきて、燦と並ぶと数歳上に見える容姿だ。

 彼女もまた燦と同じく真新しい制服を着ていた。


 肆妃『月姫』・蓬莱月子である。


「は~い、いってらっしゃ~い」


 そう返すのは二十歳ほどの女性だった。

 ボリュームのあるふわりとした長い栗色の髪に、ピンク色の唇。少し垂れ目がちの大きな眼差しが印象的な美女である。プロポーションも抜群で、今は袖のない厚手の白いボーダーシャツと黒いロングスカートを履き、その上に桜色のエプロンを着込んでいる。


「気を付けてねェ。燦ちゃん。月子ちゃん」


 そう告げて手を振った。

 燦は「分かった~」と遠くから返答し、月子は「はい」と再びお辞儀した。

 そうして二人は学校へと出かけていった。


「さて、と」


 彼女は腰に手を当てて、朝食の後を片付け始めた。

 すると、


「芽衣さま」


 不意に名前を呼ばれた。

 彼女――芽衣が振り向くと、そこには一人の男性がいた。

 素人目にも鍛えていることがはっきりと分かる体格のいい老紳士だ。

 山岡辰彦である。


「料理もそうですが、そのようなことは私がやりますが……」


「ああ~、気にしないでェ」


 芽衣は二パッと笑った。


「ウチ、こういうの慣れてるしィ、ご飯作るのも好きだしィ」


 そう告げて、リビングのテーブル上の食器を重ねて手に取った。

 確かに手慣れた動きだ。どこかふわふわした容姿と性格からはイメージしにくいが、彼女は家事全般に万能な女性だった。


「シィくんも朝はリモートワークで忙しいもんね。エルナちゃんたちには学校もあるし、これぐらいウチがするよォ」


 言って、キッチンへと皿を運んでいく。

 ちなみに現在、真刃は自室でリモートワーク中。高校に進学したエルナたちはすでに登校していた。姿を消して滞在する従霊たちを除くと、今このフォスター邸にいるのは芽衣と山岡と真刃。それともう一人だけだ。


「ですが私は執事。せめてこれぐらいはお任せください」


 言って、山岡も皿を運びだした。


「久遠さまもそろそろお仕事が終わられるはず。コーヒーをご用意いたしますので、芽衣さまには久遠さまのご様子をお伺いするのをお願いしてもよろしいでしょうか?」


「ああ~、そうだねェ」


 芽衣はあごに指先を当てて考えた。


「うん。分かった。じゃあ、ウチはシィくんの様子を見てくるよォ」


 言って、エプロンをしたままリビングを出ていく。

 トコトコと廊下を歩いていく。

 一人となった時間。

 芽衣は何となく考えた。


(ここに来てもう一ヶ月ぐらいかぁ)


 ここに来るまで二つほど不安を抱いていた。

 一つは強欲都市グリードにある彼女が創設した保護施設。

 そこに置いて来た自分の弟妹ドナーたちは本当に大丈夫なのだろうか。

 しかし、その件は、彼が手を回してくれて優遇されることになったらしい。

 弟妹たちは元気に連絡をくれる。学校にも安心して通えているそうだ。


(……本当に良かった)


 豊かな胸元に片手を当ててホッと息をつく芽衣。

 あの子たちが元気なのは素晴らしいことだ。それに、あの子たちが元気だということは自分が名実ともに彼の隷者ドナーになる日も近いということなのでそれも嬉しかった。


 そして、もう一つの心配事は、彼の妃たちと馴染めるどうかだった。

 強欲都市グリードから同行した陸妃とは時々張り合う時もあるが、基本的には仲が良い。

 しかしながら、他の妃たちはどうだろうか。

 なにせ、自分たちはいきなり現れた新参者である。

 芽衣は内心ではかなり緊張していたのだ。


(まあ、結果的にはエルナちゃんの裁量でどうにかなったけど……)


 そこでもホッと息をつく。

 あれが壱妃の格なのだろうか。なんとも度量が深い恐るべきJKだ。彼女は二つほどの制約付きではあるが、芽衣たちに対し、かなり妥協してくれたのである。


「…………」


 足を止める。

 そして肘に片手を添えて、頬を微かに赤らめる。


 思い出すのはやはりあの夜だ。

 この家に来て五日目の夜である。


 親も知らない自分の素性も。

 不遇の境遇から逃げ出して、あの街でどうやって生きてきたのかも。

 守りたい弟妹たちのことも、そのすべてを彼に吐露した日。


 彼は『……そうか』と双眸を細めた。

 それから少し話をして、


『お前の想いが本気ならば、オレも本気で応じるべきなのだろうな』


 そんな彼の呟きが、今も耳に残っている。

 さらに幾つかの会話と誓いを交わした後、芽衣は遂に彼の腕の中に納まった。

 そうして、自分が自分で思っているよりもずっと意地を張っていて、その実、寂しがり屋で甘えたがりであると知った夜となったのだ。


(~~~~~っ)


 あの夜を鮮明に思い出して、ぷしゅうと顔から湯気が上がる。

 自分の今の肩書はすでに近衛隊の隊長だけではない。

 まだ彼の隷者ドナーでこそないが、『伍妃』の名も正式に与えられていた。


 ――そう。あの夜を迎えたことで。


「……あうゥ、シィくん……」


 思わず両頬を押さえて彼の愛称を囁いた時だった。

 ……ガチャリ、と。

 廊下の少し先にあるドアが開かれた。

 彼の自室である。

 少しドキリとする。

 だが、そこから出てきたのは彼ではなく女性だった。


 年の頃は十九ほどか。

 眠たそうな……事実寝起きかも知れない琥珀の眼差しに、肩にかからないほどに伸ばされた白銀の乱れザンバラ髪。今はいつも以上にピンと跳ねていた。


「………な」


 その姿に芽衣は絶句した。

 彼女はその雪のような白い肌の上に、愛用の派手な着物のみを羽織って出てきたのだ。

 しかも帯で留めるようなこともしていない。

 歩くたびに豊かな胸がゆさりっと揺れて、腹部も剥き出しだった。

 流石に下の下着ぐらいは履いているようだが、それでも半裸に近い格好である。


「何しとるん!? ムロちゃん!?」


 そう叫んで駆け寄った。

 彼女――天堂院六炉は少し欠伸をして振り向いた。


「……あ。おはよう。芽衣」


「おはようやないよ! なんて格好しとるん!?」


 肩を揺さぶる芽衣に、


「昨夜はムロの寵愛権の日だったから」


 えへへ、と。

 とても幸せそうに笑ってそう告げた。

 目覚めたばかりのせいかも知れないがまだ夢心地のようだ。


「……それは知ってるわよォ」


 一方、芽衣は呻く。


「ウチはまだ隷者ドナーじゃないけど、寵愛権を使つこうた日はめっさ甘えとるし。ムロちゃんだけがウチらの中で唯一の第二段階の隷者ドナーだってことも……」


 もごもごとそう呟いていると、


「うん。想定外のことも起きたけどムロは真刃の隷者ドナーなった。けど……」


 まだ少し眠いのか六炉は目を擦りながらそう言って、コクンと小首を傾げた。


「朝起きたら真刃がいなかったの。だから探そうと思って……」


「それでそんな格好で出てきたん?」


 芽衣はかぶりを振った。


「この家には山岡さんもいるんだよォ。何よりそんな格好でエルナちゃんたちに出会ったらどうしても嫌な思いさせちゃんだよォ……」


「……むむ」


 六炉は眉をひそめた。


「ごめん。それは考えてなかった」


「考えなさいよォ」


 心底困った顔で芽衣は溜息をつく。


「寵愛権だってウチらだけは一足先に大人ノクターンバージョンなんだからね。ウチらはエルナちゃんたちからかなり厚遇されてるってことを忘れちゃダメだよォ」


 言って、芽衣は六炉の頬を両手で引っ張った。

 餅みたいに柔らかく、この子、何もかも極上だと少しヘコみながら、


「ムロちゃんも少しは配慮せなアカンよ」


 感情が少し昂った時の癖である方言を零しつつ。

 芽衣はここに来たばかりの日を振り返った――。

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