第八章 忍び寄る影
第279話 忍び寄る影①
その日の夜。
喧騒に満ちた繁華街にて。
扇蒼火は一人、黙々と歩いていた。
(俺は一体何をしているんだろうな……)
煩わしい客引きを避けつつ、そんなことを考える。
今回の件に関してもそうだ。
今回、本家の姫君たちは無事に保護できた。
本来ならば火緋神家の本邸に連れていくところだが、それは火緋神燦が強く拒絶したために断念。彼女たちはいま住んでいる住所に帰宅した。
やむを得ず、蒼火たちは近隣で待機することになった。
ただ姫君たちと面識の深い篠宮瑞希だけは、護衛として今日は泊まることになった。
一体いつの間にそこまでの信頼を勝ち取っていたのか。
そう思うが、本来ならば蒼火もそれぐらい懐に入り込めるよう手を打つべきだった。
なにせ、蒼火の最終目的は本家の姫君たる火緋神燦を娶り、いずれは当主として本家を掌握することにあるのだから。
だというのに今の彼は言われるがままに護衛に付き――。
交代要員が来たと言われれば、すんなりと一時帰宅する始末。
まるで覇気がない。
今の彼は燃え尽きた灰のようだった。
(……俺はなんてちっぽけなんだ)
蒼火のすべてはドーンタワーでの事件で変わってしまった。
あの日。
蒼火は堕ちた
正確に言えば、その女が操っていた傀儡にだが。
厄介な
その模倣人形に蒼火は敗北した。
確かに精巧な模倣ではあったが、偽物相手に敗北したことは屈辱的ではある。しかし、現在の自分では『六番目のムロ』に敵わないのは分かっていたことだ。
それ自体は未熟だったと受け入れている。
だが、蒼火が衝撃を受けたのはその後のことだった。
(……あれは)
燃え盛る灼岩の巨躯。
火焔山の王。
(……あの姿は……)
今でも鮮明に思い出せる。
まさに力の化身だった。
あれに比べれば自分のなんとちっぽけなことか。
あまりの
(俺は何がしたいんだ……)
蒼火は完全に道を見失っていた。
目的はあったはずだ。
かつては火緋神家を導くとまで考えていた。
だが、今やその気力も失っていた。
(俺はどうすればいい?)
夜の街を彷徨いながら、自問自答をする。
いや、実のところ、その答えは分かっている。
もう一度。
もう一度、あの大いなる王に逢うべきなのだ。
その時こそきっと迷いは晴れる。
直感でそう感じていた。
だが、その手掛かりが何もないのだ。
あの人知を超えた存在が何だったのか。
果たして人なのか。それとも
それさえも分からない。
(せめて何かの手掛かりがあれば……)
そう考えていた時だった。
ふと、その姿が視界に入ったのは。
一瞬見えたのは人混みの中を通り過ぎる赤いドレスだった。
派手な衣装だ。
しかし、ここは繁華街。目立つほどでもない。
けれど、蒼火の目にそれは鮮烈に映った。
(あれはッ!)
ハッとして駆け出した。
人影の間から再び現れたのは女だ。
赤いドレスを纏う、長い栗色の髪の美女である。
例えるのならば、まるで
隣には指や顔にジャラジャラと装飾品を着けた若い男がいて腕を組んでいる。
男の方は知らない。
少し派手だと思うが、どこにでもいそうな二十代の男だ。
今は女の豊かな胸を押し当てられて鼻の下を伸ばしている。
だが、女の方には見覚えがあった。
――そう。あのドーンタワーで遭遇した……。
(……くッ!)
思わず「待て!」と叫びそうになったが堪える。
わざわざ相手に接近を気付かせるなど馬鹿のすることだ。
蒼火は声は出さずに二人へと迫る。
二人は談笑しながら路地裏へと曲がった。
(今度こそ捕える!)
そうすれば、かの王についても何か掴めるかもしれない。
微かに覇気を取り戻し、蒼火は女を追って少し遅れて路地裏に入った。
しかし、
「……なに?」
そこで足を止めた。
入った路地裏。そこに二人の姿はなかったのだ。
「……どこに行った?」
蒼火は警戒しながら、路地裏を進む。
だが、やはり二人の姿は見当たらない。
「見間違えだったのか? いや……」
そこで蒼火は鼻を押さえた。
強烈な匂いを感じたのだ。この匂いは――。
(……まさか)
蒼火は眉をしかめつつ、匂いの元を辿った。
そして――。
「……やはりか」
それを見つけて表情を険しくする。
赤い液体が路地裏に広がっていた。
その中に何かを見つける。
蒼火は膝を屈めて、取り出したハンカチでそれを掴んだ。
「……………」
……それは人間の手。
小指と薬指だけを残した血塗れの右手だった。
薬指に指輪を着けているので、恐らく先程の男の手だ。
まるで獣に食い千切られたような痕跡がある。
「あの女の仕業なのか? だがこれでは……」
より表情を厳しくする。
あの女は堕ちたとはいえ
だが、ここに残ったこれは――。
「……人さえも辞めたのか? あの女は」
そう呟きつつ、蒼火は火緋神家の本邸に連絡をする。
これは想定よりもさらに厄介な事態に至っているのかも知れない。
だとしても。
「この街に来ていることだけは間違いないようだな。逃しはしないぞ。お前は王への手掛かりなのだからな」
徐々に覇気を取り戻しつつ、蒼火はそう呟くのだった。
一方で――。
「お姉さまっ!」
繁華街のビルの一つ。
その屋上に赤いドレスの女はいた。
満面の笑みを見せる彼女に、
「あら。ルビィ」
振り返って、もう一人の女性は笑った。
年の頃は二十代前半ほどか。蒼い眼差しに赤い唇。冠状に纏めた黄金の髪を持ち、抜群のプロポーションの上に白いスーツを着込んだ女性である。
「少し遅かったわね。どうしたのかしら?」
「ごめんなさい。お姉さま」
赤いドレスの女は黄金の美女に抱き着いた。
「少しお腹がすいちゃって……」
「あらあら」
黄金の美女は、クスクスと笑った。
「きっと、まだ生まれ変わった体に慣れていないのね。それに」
黄金の美女は赤いドレスの女の唇の端を親指でなぞった。
「食べ残しもしたみたいね。ダメよ。ルビィ」
ふふっと笑う。
「はしたないわね。今や貴女もお館さまの寵愛を受ける身。あのお方にお仕えする淑女としては失態よ。これはお仕置きが必要ね」
「……お姉さまァ……」
赤いドレスの女は恍惚の表情で黄金の美女を見つめていた。
「けれど、それは今夜にしましょう。今は分かっているわよね?」
「……はァい。お姉さま」
名残惜しそうな眼差しを向けつつも赤いドレスの女は頷いた。
黄金の美女も首肯する。
「では行きましょう。ルビィ」
そして彼女は微笑んで告げる。
「お館さまがお待ちになっておられるわ」
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