第352話 過去と未来②
その時。
とある離れに二匹の仔猫が潜り込んでいた。
燦と月子である。
制服姿の彼女たちがいるのは御前さまの私室だ。
火緋神家の長とは思えない小さな和室だった。ベッドは置かれておらず、目に入るのは急須やお茶菓子、ノートPCが置かれたローテーブルや座布団。後は鏡台ぐらいだ。
燦は鏡台の引き出しを開いて、まじまじと中を確認していた。
月子は、おどおどと燦の様子を見ていた。
『……燦姫』
その時、彼女に声を掛ける者が現れた。
燦の専属従霊。燦が背負う鞄に着けたライオンのアクセサリに宿る赫獅子である。
『あまり盗人の真似事は感心いたしませんぞ』
「失礼ね」
燦は引き出しの中のモノを取り出しながら言う。
もう一つある引き出しも開こうとするが、こちらには鍵が掛かっていた。
「別に何も盗まないわ。調べ物があるだけよ」
「……燦ちゃん」
月子もおずおずと燦に声を掛ける。
「やっぱりダメだよ。こんなことしちゃあ……」
「むむ」燦は月子の方に振り向いた。「だって月子だよ。おじさんとひいお婆さまが、もしかしたら恋人同士だったかもしれないって言ったのは」
「だ、だってえ……」
月子は声を詰まらせた。
「話の感じからしてそんな気がしたんだもん」
燦も月子も、今や真刃の素性はある程度知っている。
真刃が大正時代の人物であり、時間停止の異能でこの時代で目覚めたことも。
まるでフィクションのような話だった。
けれど、時間操作の術式は非常にレアではあるが、確かに存在しているそうだ。
だったら、可能性としてはあり得た話だった。
だが、燦たちにとって一番気になったのは、真刃が伝承にある《
伝承では万を超える我霊の集合体であったという《
――火緋神の巫女。
それが誰なのかは、燦たちには明白だった。
火緋神家。生きた時代。そして神刀・《
かつて真刃を倒した巫女とは、間違いなく御前さまのことだった。
敬愛する曾祖母と、真刃が宿敵同士。
その事実には燦さえも表情を曇らせたのだが、月子がポツリと呟いたのだ。
『本当にただの敵同士だったのかな……?』
そう思うのは、やはり赫獅子と狼覇の御前さまに対する態度だった。
従霊五将。最古の従霊たちであり、かつての時代の当事者でもある彼らが、御前さまを『杠葉さま』と尊称をつけて呼ぶのだ。
とても主人の宿敵相手に向けるような態度ではなかった。
しかし、
「狼覇さん」
月子は自分の首元に片手を当てた。そこには白いチョーカーがあった。
専属従霊は特定の物に宿らせる方が望ましい。
エルナはブレスレット。刀歌はリボン。桜華は首飾り。芽衣と六炉にも専属従霊はいるが、暫定扱いのため、今はまだ霊体でいることが多いそうだ。
燦は鞄に付けたアクセサリにした。
そして月子は悩んだ結果、尊敬する弐妃と同じ品にしたのだ。
かなたとは色違いのチョーカーである。
「おじさまと御前さまの関係を教えてくれませんか?」
幾度とした質問をする。
『申し訳ありませぬ。月子さま』
だが、それに対する狼覇の答えはいつも同じだ。
『お答えは出来ませぬ。こればかりは我が主と杠葉さまのご許可がなければ……』
白いチョーカーがそう告げる。
「聞いてもムダよ。月子」
燦が不満そうに言う。
「猿忌も赫獅子も同じ答えだもん。桜華も白冴も教えてくれないし」
「……うん」
月子が眉根を寄せて頷く。
御前さまの真の御姿を知っているのは火緋神家の中でも燦と月子だけだ。
それは完全に秘匿にされている事実だった。
だから、この件に関してはエルナにもかなたにも相談できなかった。
「だったら自分で調べるしかないじゃない!」
そう言って、燦は押入れを開けた。
中から年季の入った大きな
なかなかに重い葛籠だ。
「手伝って! 月子!」
「う、うん」
月子はまだ少し迷いつつも燦と一緒に葛籠を引っ張り出した。
パカッと、燦が葛籠を開ける。
中にはぎっしりと衣類が入っていた。
「あ。これ、こないだひいお婆さまが着ていた服だ」
燦が目に入ったそれを取って両手で掲げた。袖のない白いブラウスである。赤いネクタイやタイツ、短い丈の黒いプリーツスカートもセットで入っている。
燦はしばしそれをまじまじと見上げて、
「あの時のひいお婆さま凄かったよね」
にまあと笑った。
月子が「え?」と目を瞬かせる。
「だって、本物のアイドルかと思ったもん」
「あ。それは私も思った」
言って、月子も興味深そうにスカートを手に取った。
「御前さまはいつも和服だったから、こんな服を持っていたこと自体にも驚いたけど、凄く似合っていることにもっと驚いたよ」
「他にもあるのかな?」
燦がキラキラと目を輝かせて言う。
そして葛籠の中を、もぞもぞと漁り始めた。
「ちょ、ちょっと待って! 燦ちゃん!」
月子が慌てて「だ、ダメだよ。そんなことしちゃ」と言うが、月子自身も興味があるため、そこまで強くは出れなかった。
むしろ、少しそわそわとして、
「うわ。エロ。ひいお婆さまもこんな下着履くんだ!」
「あ。これ、こないだお天気番組のお姉さんが着てた服だよ」
「うわ! 発見!
「これもこないだアイドルの人が着てた服だ……御前さま、洋服の情報がTV……」
「月子! 月子! これ凄い!」
と、いつしか目的から大いに脱線してはしゃぐ少女たちだった。
そして――……。
離れの縁沿いの廊下。
一人の和装の美女が歩く。
長い黒髪が美しく、十八、九にしか見えない女性。
御前さまこと、火緋神杠葉である。
巌たちとの会議も終えて、彼女は自室に戻ろうとしているところだった。
「……え?」
が、思わず途中で足取りを止める。
それも当然だ。
なにせ、何故か自室の前に門番がいるのだ。
「え? どうして?」
さしもの杠葉も目を丸くした。
胡坐を組んで座る巨大な獅子僧と、お座りをしている青い巨狼である。
霊体状態ではあるが、赫獅子と狼覇だった。
従霊五将の内の二体が、襖の左右にて鎮座しているのである。
「赫獅子? 狼覇?」
それでも目的地は自室だ。
杠葉は歩を進めて二体に問う。
「あなたたち、ここで何をしているの?」
すると、
『『申し訳ない』』
二体は揃って頭を下げた。
『それがしたちも止めたのだが……』
『姫君たちの勢いは止められず、むしろ追い出された次第でござる……』
「え? どういうことなの?」
杠葉は眉根を寄せた。
何気に真刃が来ているのかと心臓が早鐘を打っていたのだが違うらしい。
耳を澄ませば、何やら部屋からはしゃいでる声が聞こえてくる。
「……入ってもいいかしら?」
『『どうぞ』』
赫獅子と狼覇は声を揃えて答えた。
「…………」
杠葉は勢いよく襖を開けた。
――ピシャン、と
小気味よい音が響く。
その音に、室内にいた二人は思わず硬直した。
ぶかぶか――特に胸部――の黒いゴシックロリータドレスを着た燦に、全体的にサイズ違いでありながらも意外と着こなしている蒼い
どちらも杠葉には見覚えのある服だった。
しかも、部屋中に、主にネットで購入した自分の衣服が放り出されていた。
少女たちは、言葉もなく顔を引きつらせていた。
そして、
「……あらら」
うっすらと額に青筋を浮かべつつ。
杠葉は笑顔を向けて、こう尋ねるのであった。
「何をしているのかしら? この子たちは」
燦は反射的に駆け出して逃げようとするが、出口でのすれ違いざまに横から拾い上げられるように首根っこを捉えられた。月子の方はずっと硬直したままだ。逃げ出すことも出来ず腰を小脇に抱きかかえられてしまった。
「説明してくれるかしら? 燦。月子ちゃん」
こうして。
孫娘たちがこっぴどく叱られたことは言うまでもない。
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