第353話 過去と未来③

「……やれやれ」


 十五分後。

 燦と月子によって片付けられた自室にて、杠葉はお茶を入れていた。

 テーブルの向こう側には、正座して深く反省する孫娘たちがいる。

 なお、赫獅子と狼覇は未だ部屋の外で門番をしていた。


「それでどうして私の部屋を家探しなんてしていたの?」


 湯気の立つ湯呑に口をつけて杠葉が問う。

 少女たちは互いの顔を見合わせた。

 そして、


「……御前さま」


 月子が神妙な顔で口を開いた。


「教えてください。おじさまと御前さまの関係を」


「………」


 杠葉は湯呑に口を付けたまま答えない。


「ひいお婆さま」


 今度は燦が尋ねる。


「おじさんとひいお婆さまが、ずっと昔に大喧嘩したことは知っているよ。六炉が教えてくれたから。それに桜華も……」


 一拍おいて、


「けど、ホントにそれだけなの? ひいお婆さまはおじさんと仲が悪いだけなの?」


「……私は」


 燦の言葉を月子が継ぐ。


「おじさまと御前さまは、特別な関係にあったんじゃないかって感じました。ただの敵同士なんかじゃなくて、たぶん隷者ドナーとか、その、恋人とかの……」


 そこで上目遣いで言葉を詰まらせる。

 杠葉は未だ無言だったが、ややあって、


「……桜華さんは」


 ようやく唇を動かした。


「……結局、どうなったの?」


「桜華? 桜華なら」


 その問いには燦が答えた。


「漆妃になったよ。今はあたしたちと一緒に暮らしている」


「……そう」


 杠葉は静かに湯呑を置いた。


「百年の果てに……」


 ポツリと呟く。


「主を失っていた刀は、納まるべき鞘に納まったということね」


「……御前さま」


「思えば、彼女にはあの頃からヤキモキしていたものだわ。私も紫子も」


 杠葉は独白のように語る。


「真刃は本当に桜華さんと仲が良かったから。けど、私たちはあの頃、桜華さんは男性だと思っていた。優れた引導師が複数の妻を娶ることは当時からも風潮としてあったけど、流石に真刃が愛した三人目が男性っていうのは、私たちには少し複雑でね」


 一拍おいて、


「桜華さんが女性よりも綺麗だったことも尾を引いてたのかもね。本当に間抜けだわ。あれだけ綺麗なのだから、すぐに気付けそうなものだったのに」


 嘆息して、杠葉は孫娘たちを見やった。


「月子ちゃん。あなたの言う通りよ」


 杠葉は告げる。


「私と真刃は恋人同士だった」


 その告白に、月子も燦も目を見開いた。

 杠葉はゆっくりと立ちあがる。

 そして鏡台の前で鍵のかかっていた引き出しを開けた。

 中から二つのモノを取り出して、杠葉は燦たちの元に戻った。

 テーブルの上にそれらを置く。


 燦たちは身を乗り出してそれらを覗き込んだ。

 テーブルの上に置かれたのは、鈴蘭を模した白い髪飾り。

 そして一枚の写真立てだった。


「あ」「え? これって……」


 それは白黒のとても古い写真だった。

 写真には四人の人物が写っている。

 まずは写真の正面中央。

 そこにいるのは腰に手を当てて自信満々の笑みを浮かべる袴姿の少女だ。

 容姿はほとんど変わっていないが、今よりもずっと幼く見える杠葉だった。

 その隣には和装の少女がいる。

 髪の短い穏和そうな十代後半の少女だ。

 そして彼女たちの後ろには二人の男性が映っていた。

 二人とも軍服を着ていた。一人は苦笑を浮かべていて、もう一人は仏頂面だった。

 その不機嫌そうな人物にも見覚えがあった。


「おじさま……?」


 月子がポツリと呟く。

 それは確かに真刃の姿だった。


「これって、おじさんとひいお婆さまの写真?」


 燦が杠葉に尋ねる。

 杠葉は「ええ」と頷いた。


「私の隣にいる子が大門紫子。私の大切な友人。そして真刃の隷者だった子よ。真刃の隣に立っている男性は大門丈一郎。紫子の兄で真刃の親友だったわ」


 そう説明した。

 燦と月子は驚きながらも、すかさず自分のスマホで写真を撮っていた。

 情報はすぐに映像化。ここら辺はやはり今の世代の子だと杠葉は苦笑を零した。


「そしてこれは私の宝物。私が十六の時に真刃が贈ってくれたモノ……」


 言って、鈴蘭の髪飾りを手に取った。


「どれほどの月日が経とうとも、どれほどの戦乱があろうとも、これだけは、ずっと手離すことは出来なかったわ」


「……御前さま」


 月子は神妙な顔で杠葉を見据えた。


「……御前さまは、今でもおじさまのことが好きなんですか……」


「…………」


 杠葉は答えない。しかし、沈黙こそが何よりも雄弁な返答であることを理解する程度には、燦も月子もすでに『女性』であった。


「……ひいお婆さま」


 燦が泣きだしそうな顔を見せた。


「……どうして、おじさんと戦ったの?」


「……時代だったのよ」


 これには杠葉も答える。


「あの頃は今の時代よりも自由ではなかった。『使命に走るな、自分を愛せ』と謳いながらも、結局のところ、各家は『使命』という教育で心を縛り付けていた。私は火緋神本家の人間として帝都を守らないといけなかった……」


 そう告げる。


「……いいえ。それも建前。詭弁ね」


 が、不意に杠葉はかぶりを振った。


「私は怖かったの。真刃は紫子を殺されて激怒していた。私が彼の前に立った時には帝都はすでに半壊状態だった。もしあそこで真刃に私と一緒に逃げてと叫んだとして――」


 杠葉は強く鈴蘭の髪飾りを掴んだ。


「彼はその怒りを収めなかったかもしれない。私なんてどうでもよくて、すべてを捨ててでも紫子の仇だけを討とうとして……」


 御影桜華と再会し、杠葉はこう思うようになっていた。

 あの日、もしも御影桜華があそこにいたとしたら。

 きっと彼女は躊躇わない。

 赤裸々に自身の秘密も想いも明かして、全力で彼の怒りを鎮めたことだろう。

 すべてを賭けて、彼の怒りを受け止めたに違いない。

 彼女がそういう人間であることは誰よりも杠葉が知っていた。

 彼への想い一つだけで、幾度も自分に立ち向かってきたのだから。

 だが、杠葉にはそれは出来なかった。


 ――知るのが怖かったからだ。

 真刃が自分と生きることよりも、紫子との死を選ぶかもしれないことを。


「結局、私は臆病者だったのよ」


 それが、今の自業自得の状況へと繋がっているのだ。


「だから私は罰を受けたい。真刃の手で罰を受けたいの」


 自身の願いを口にする杠葉。

 燦も月子も言葉が出なかった。


「二人とも、そんな顔をしないで」


 杠葉は微笑んだ。


「これもまた私の選んだ道なのだから。二人ともおいで」


 杠葉は立ち上がって少し膝を折ると、両腕を広げて二人を呼んだ。

 燦と月子は立ち上がり、杠葉にしがみついた。


「私にどんな結末が訪れるかはまだ分からない。けれど、これだけは知っておいて」


 杠葉は二人の孫娘の頭を撫でた。


「私はあなたたちの幸せを願っている。そしてあなたたちが選んだ人は、人として恵まれなかったけど、だからこそ誰よりも人として素晴らしく生きようとしている人よ」


 グッと強く二人を抱きしめる。

 燦と月子は「ふぐう」「あう」と呻いた。


「あなたたちが彼を信じている限り、彼もあなたたちを幸せにしてくれるわ」


 そこで「ふふ」と笑う。


「まさか、あなたたちにこんなことを告げる日が来るなんてね。燦。月子ちゃん」


 杠葉は彼女たちを離して、二人の額をコツンと突いた。

 そして、


「あなたたちの男を見る目は確かよ。まったく。末恐ろしい子たちね」


 そう言って、杠葉は優しく笑った。


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