第456話 同盟交渉②

 天雅楼の一角。近衛隊の隊舎にて行われる定例会議。

 大きな円卓の置かれた会議室に今、幹部を含めた主要メンバーが揃っていた。

 まだ来ていない真刃の空席。そこから左回りに紹介すると、まずは糸のように細い眼差しの和装姿の男性が座っている。手に扇子を持った三十歳ほどの人物――千堂晃だ。


「まあ、昨日の月子ちゃんの件には焦ったけど、ともあれ一安心やな」


 と、千堂が陽気な声でそう告げる。

 千堂はチーム・《崩兎月ほうげつ》のリーダーであり、《久遠天原クオンヘイム》の最高幹部の一人でもある。どうにも軽薄そうな印象を持つが、意外にも誠実な人柄であって真刃の信頼も厚い。この天雅楼の建造も実質的に彼の手腕だった。


「……アホ」


 その時、千堂の隣に座った女性が一瞥して告げた。

 二十代半ばほどの和服姿の美女である。


「まだまだ油断は出来へんよ」


 彼女はそう続けた。彼女の名前は千堂琴音といった。千堂の隷者ドナーであり、妻でもある。


「少し落ち着いても、今の月子ちゃんの心情を考えると辛いわ」


 眉をひそめて琴音は言う。「……そやな」と千堂も少し目を開けて呟いた。


「………」


 そんな千堂夫妻の背後には、琴音そっくりの美女が無言で控えていた。

 琴音をモデルにした戦闘人形フィギュア・阿修羅姫である。

 流石に人形である阿修羅姫は、無感情で無表情だった。

 ただ静かに主たちの姿を見据えている。

 ――と、


「……耳が痛い話だな」


 新たな呟きが零れる。

 琴音から一席空けて座る、三十代半ばの筋肉質な人物の呟きだった。

 獅子鼻が印象的でサングラスをかけている。灰色の隊服を着た大男だ。真刃への信奉と忠義においては屈指である元極道であり、現在は近衛隊・副隊長である獅童大我だった。


「こればかりは失態としか言いようがない」


 獅童は小さく息を吐いてから、言葉を続ける。


「彼女にあんな心の傷を負わせてしまったのは、俺たち近衛隊のせいだ」


「……いや。それはちゃうやろ。獅童くん」


 獅童の方を見やり、千堂が言う。


「あれは流石に想定外や。あんなタイミングで新しい千年我霊エゴスミレニアの登場なんてありえへんやろ」


 千堂の言葉は決して慰めではない。

 想定していたのは餓者髑髏のみだ。まさか存在すらも怪しまれている伝承級の怪物がもう一体現れるなど、想定しろという方が無理だった。


「……いや。それでも」


 しかし、、千堂の指摘を否定する者がいる。

 それは獅童ではなく、獅童の隣に座る近衛隊の隊服を着た蒼い髪の青年だった。

 扇蒼火である。彼はかなり思い詰めた表情で、


「どうにか出来たはずだ。もっと日頃から妃たちの警護を徹底すれば……」


 そう続ける。

 蒼火は火緋神家の分家・扇家の嫡男であり、今は家を出奔して近衛隊に所属していた。まだ平隊員なのだが、その血筋のため、今日は定例会議に出席することになっていた。


「……まあ、流石にそれは考えちまうよな」


 と、蒼火の独白に応えるのは、蒼火のさらに隣に座る金髪の青年だった。年齢的には二十歳の蒼火よりも若く、まだ十八歳だ。実のところ、ここで最年少でもある。

 それでも彼は間違いなく実力者だ。近衛隊の部隊長の一人であり、《久遠天原クオンヘイム》の創設メンバーの一人でもある武宮宗次だった。


「妃たちにもプライベートがあるからな」


 武宮が言う。


「護衛すんにもやっぱ限界がある。それでも今回のあの子の惨状を見ちまったら、どうにか出来なかったのかっていう気持ちが出ちまうよな……」


 円卓に両腕を投げ出して、武宮は嘆息した。

 粗野ではあるが、女子供には優しい少年だった。


「「…………」」


 獅童は静かに腕を組み、蒼火は沈黙する。

 会議室にいる近衛隊のメンバーは彼らだけだった。

 本来ならば隊長もいるのだが、今日は不参加だった。

 千堂夫妻も黙り込む。会議室に静寂が降りた。

 そんな中、


「……ああ~、辛気臭いわね」


 肩を竦めて、そう告げる女性がいた。

 この場にいる最後の人物。真刃の席の右隣りに座る女性だ。

 年齢は二十一歳。

 勝気な眼差しにはアイシャドー。唇に紅を引き、スレンダーな肢体には胸元を大胆に開いた赤いイブニングドレスを纏っている。流れるような長い黒髪が印象的な美女だ。

久遠天原クオンヘイム》。そして強欲都市グリードにおいてもNO2の地位にある女帝。

 チーム・《鮮烈紅華レッドリリィ》のリーダーである西條さいじょうあやだった。

 彼女は真刃が不在時の名代。総括代行でもあった。

 まあ、今の彼女にはもう一つ肩書があるのだが。


「まるでお通夜じゃない」


 と、綾香は言う。


「いや、あのな」


 そんな綾香に武宮は半眼を向けた。


「少しはてめえも気にしろよ。そもそもてめえは準妃になったんだろ。今は準妃筆頭だって芽衣は言ってたぞ」


「……うっさいわね」


 綾香は少しだけ気まずそうに返した。

 ――そう。準妃筆頭。

 それが、綾香が新たに得た肩書だった。

 しかも、すでに真刃の隷者ドナーでもあり、正妃ナンバーズになることが確約されている立場だった。

 西條家復興のために色々と暗躍していたのだが、結局、キングの愛情の前に女帝は屈服してしまったということだった。


(……むむむ)


 内心で唸る綾香。

 流石に思うところはあるが、現状はすでに受け入れている。

 今の自分は真刃の片腕だけではなく、後に花嫁になることも決定していた。

 そこにもう迷いはなかった。


「だからこそよ」


 ゆえに綾香は言う。


「月子を心配してない訳じゃないわ。ただ、あの子は正妃ナンバーズなのよ」


 一拍おいて、綾香は長い髪を片手で払った。


「今は幼くてもあの子もまた私たちのキング――久遠真刃が選んだ女なのよ。あの子は私と同格かそれ以上なの。あの子を侮らないで頂戴」


 信じているからこその言葉だった。


「あの子は前へ進むと決意したんでしょう? なら尚更よ」


「……はは」


 綾香の言葉に、千堂は苦笑を浮かべた。


「なんか説得力あるやん。けど、強欲都市グリードではあんだけ刺々しかった綾香ちゃんがそんなことを言うとは結構驚きやわ」


「……それもうっさいわね」


 自分でも変化に自覚があるので綾香はブスッとした表情を見せた。

 他のメンバーも阿修羅姫を除いて苦笑めいた表情を見せている。

 と、その時だった。

 ガチャリと、おもむろにドアが開いたのだ。

 全員が視線を向けて、立ち上がった。

 千堂が「おはようさん」と扇子を上げて、綾香は少し拗ねたような顔で視線を逸らす。獅童を始め、他のメンバーは頭を下げた。


「遅くなってすまぬ。待たせたな」


 会議室に入ってきたのは彼らのキングたる久遠真刃だった。

 傍らには従霊の長たる猿忌の姿もある。

 獅童が動き、真刃の椅子を引いた。

 真刃は「感謝する」と言って、自席に座った。

 獅童が自分の席に戻る。

 そして「座ってくれ」という真刃の言葉に応じて全員が着席した。

 一拍の間。


「――では」


 指を組んで、真刃が告げる。


「今日の定例会議を始めようとするか」





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