第7話 《魂結びの儀》④
「――はあっ!」
裂帛の気合いと共に、エルナが薄紫色の羽衣を横に薙いだ。
白い布が本来の面積を超えるほどに膨れあがり、かなたを頭上に広がった。
包み込むように、羽衣が降りてくる。
しかし、かなたは動じない。無表情のままだ。
代わりに、ハサミを持つ右手を振り上げた。
――すう、と。
音もなく、刃が羽衣を切り裂いた。
対し、エルナは、「だったら!」と叫ぶ。
ぐいっと羽衣を波打たせると、布は崩れて糸と成った。
薄紫色の糸は円の軌跡を描いて、全方位から、かなたへと襲い掛かる。
――これがフォスター家の
その名も《
その操作対象は恐ろしく広く、およそ縫製品ならば、ほぼ、すべてを操ることが出来る。その気になれば相手の衣服を利用して拘束することも出来る術だった。
(けど、きっと、こいつには――)
最初から嫌な予感がしていた。
かなたが取り出したのは、ハサミ。言わずと知れた、布や糸の天敵である。
しかも、異母兄がわざわざ自分用に用意したお目付役だ。
恐らく自分との相性は――。
「《
かなたが呟く。
途端、幾つもの断線が走り、滝のような糸は微塵に切り裂かれた。
粉雪のように舞い散る薄紫色の糸。
その中に佇むのは、ハサミを片手に持つかなただ。
「これが私の
言って、バチンッと刃を鳴らす。
エルナは小さく嘆息した。
「私と言うより、フォスター家の天敵じゃない。どうしてお兄さまに仕えているの?」
「それは簡単です。私の家系は、すでにフォスター家に服従していますから」
「……え」エルナは、目を見開いた。
「えっ、そ、それじゃあ、あなたって、お兄さまの
「それは私の母になります。すでに亡くなっていますが」
「そ、そうなの……」
エルナは、同世代の少女が異母兄の愛人でなくて、少しホッとした。
が、同時に眉をひそめる。
異母兄が自分自身でも多くの引導師を隷者にしてきたことは知っているが、まさかこんな天敵のような家系まで取り込んでいたとは……。
「よく、お兄さまはあなたのお母さまに勝てたわね。それとも恋愛の結果なの?」
「いえ。決闘の方です」かなたはかぶりを振る。「私の家は没落寸前でしたので、起死回生をかけて、父はご当主さまに《魂結びの儀》を挑み、命を落としました。母は代わりに隷者となったのです。八年も前の話ですが」
「……そう」
相性の良さに望みをかけて大家に挑んだ結果、敗れたということらしい。
負ければ、すべてを奪われる。
それが習わしとはいえ、命だけでなく妻まで奪われるとは流石に気の毒になる。
だが、異母兄の勝利の話は、朗報でもあった。
「けど、それなら、私にも勝ち目があるってことだよね」
「ご当主さまはフォスター家最強の引導師です。あなたと同列に考えるのは安直かと」
かなたは、淡々と事実だけを告げる。
エルナは、ふっと笑って、
「――ふっ!」
小さな呼気と共に駆け出した!
ハサミを持って身構える、かなたの元へと一直線だ。
かなたは、ジャキンッと刃を開いた。が、そこでわずかに眉をひそめる。
切断したはずの無数の糸が、いつしか彼女の右手に絡みついていたからだ。
さらにそれは左手、両足にも伸びていく。
「油断しすぎだよ!」
そう告げて、エルナは、自分の射程圏内に入った。
相性は最悪。ならば切り札を使うまでだ。
およそ三メートルの距離。これがギリギリの間合いだった。
「喰らいなさい!」
彼女は指鉄砲の構えを取ると、指先をかなたに向けた。
「――ドンっ!」
自らの口で衝撃音を告げる。
これは言わば、エルナの術式のイメージを意識した起動ワードだ。
そのあまりの威力と凶悪ぶりに、真刃や猿忌さえも震撼させた必殺の術。
これだけは使いたくなかったが、天敵相手では仕方がない。
そう思っていた、エルナだったが、
「……え?」
いつまで経っても、術が発動する気配がない。
流石に呆然とする。――と、
ドンッと、かなたが体重を乗せたハイキックを放ってきた。
右肩を強打され、エルナは地面に転がっていく。
小柄な少女の蹴りと思えない、強烈な一撃だった。近接戦闘型の系譜術によくある、デフォルトで身体強化も付与された術系統か。
呻きつつ、どうにか立ち上がったエルナだが、ズキズキと肩が痛んだ。
「ぐ、う、な、なんで!?」
エルナは困惑する。どうして自分の術が発動しなかったのか。
すると、かなたは淡々とした表情で。
「お嬢さまのその術は、流石に私も警戒していました。ですが」
そこで、黒髪の少女は、指先で自分のチョーカーに触れる。
「思えばそれは杞憂でした。同種や類似系統の術が掛けられている場合、より強い方が打ち勝ちます。あなたの切り札は私には通じません」
エルナは、ハッとした表情を見せた。
「……まさか、そのチョーカーって、お兄さまの……」
「そういうことです。では、罰を執行致します」
そう告げて、かなたは、鋭利なハサミを片手に、肩を押さえるエルナに近付いてくる。
どこまでも無表情な少女だ。正直、感情がなさ過ぎて少し恐怖さえも覚える。
エルナの顔には、焦りが浮かんでいた。
しかし、一撃で戦闘不能に追い込めるあの切り札が通用しなかったのは痛恨ではあるが、いきなり手詰まりという訳でもない。
こうなれば、未完成かつかなり恥ずかしくはあるが、あの術を使って――。
と、考えていた矢先だった。
「――なあァアァァにをしているのですかアァァ! アナタ方はアァアッ!」
突如、誰もいないはずのこの場所に、奇妙な声が轟いたのである。
かなたとエルナは、声の方に視線を向けた。
「え? 先生?」「……大門先生」
エルナたちは呟く。
そこにいたのは、星那クレストフォルス校の中等部の教師。大門だった。
闘技場で審判者をしていた彼は、エルナたちの担任教師でもあった。
「まあああったく! まあああああったくッ!」
彼は地団駄を踏んで、憤慨していた。
「人払いの術を感じて、はわ、我霊との戦闘、バットルかと思って来てみれえばアァア! 術まで使って喧嘩、キャッツファイトとはァアァア!」
「え、いや、その、喧嘩と言えば喧嘩だけど」「………」
今の内にエルナは立ち上がり、かなたは感情のない瞳で担任を見据えていた。
大門は、声を張り上げる。
「場所を弁えなさあァい! 校外での戦闘は禁止していたはずですうッ! 人払いは絶対ではないのですよおおッ! アナタ方には引導師の自覚がないのですかァァア!」
叫びは奇妙だが、言っていることは極めて正論だった。
引導師は秘匿された存在だ。気付かれない程度に術を使用するのならまだしも、街中での私闘など愚の骨頂である。エルナたちとしては反論も出来なかった。
それを反抗的な態度と捉えたのか、大門はさらに憤慨した。
「反省の言葉もないのですかアァ! しっかたあアァりませええん! 今、ナウッ! ここにッ! 教師の名と義務の元に、私は宣言しまアアァアァァスッ!」
そして彼女たちの担任は、告げる。
エルナもかなたも、まるで想定していなかった言葉を。
「悪い子なアナタたちのために、保護者面談を開くことをオオオォ、ォホゥッ!」
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