第415話 支えるために

    ◇   ◇   ◇




 目が覚めると、そこは森の中だった。


「ここは‥‥」


 胸いっぱいに広がる緑の香り。空には枝葉が天蓋のようにしげり、どういう原理なのかそこから暖かな陽光が降り注いでいた。


 葉と光の陰影は、まるで真昼の星空だ。


「俺は、確か」


 身体を起こしながら思い出す。


 そうだ、ユリアスと戦って、そして。


「死んだ、のか‥‥?」


 その疑問に答えてくれる声はなかった。


 思い出してきた。一人でユリアスに挑み、手も足も出ずに殺されたのだ。


 あれは人族とか魔族とか以前に、個人が振るえる力を遥かに超えていた。


 神、と呼称するのが正しいのだろう。


 何故ならユリアスはそうあるべしと望み、人々はそうであると信じたのだから。


「それは、反則だろ」


 榊綴さかきつづりの魔術領域の中でも神とは戦ったが、あれとはレベルが違う。


 あの神は、領域内の人々の無意識で造られた創作物だ。


 遥か多くの人に崇拝されているユリアスの力は、計り知れない。


「これは、走馬灯そうまとうみたいなものなのかね」


 立ち上がり、背後を振り返ると、そこには壁のような大樹がそびえ立っていた。


 ここがどこなのかは分かっていた。


 ラルカン・ミニエスと戦った時に来た俺の心象領域しんしょうりょういきだ。


 地球とアステリスが入り混じった空間で、それを支えるように世界樹が屹立きつりつしている。


 俺は今その根元で寝転んでいたのだ。


「どうしてここに来たんだろうな」


 昔ガレオに殺された時は、冥界に落ちた。


 この場所に来たのは、死の間際の防衛本能なのか。それとも別の理由なのか。


 答えがあるのかも分からないが、俺は世界樹に向かって歩き始めた。


 皆がどうなったのか、本当ならもっと焦って、不安になって、動揺するはずなのに、心は凪いでいた。


 それが気持ち悪くも、自然にも思える。


「なあ、俺はこの後どうしたらいいんだ?」


 いわおのような樹皮に触れると、それは思ったよりも柔らかく、温かった。この内側で、命が流れている。


 不思議な話だ。俺はもう死に向かっているのに、この世界樹は強く脈動している。


 その時、背後に新たな気配が現れたのを感じた。


「‥‥そうだよな。お前もいるよな」


 振り返らなくても分かる。


 全身に剣をまとった獣だ。


 俺のために死に、俺が殺してきた憎悪の象徴。


 獣が横からぬっと顔を出してきた。俺と一緒に世界樹を眺めるように。


 剣は寝ていて、何も傷つけることはない。


「なんだ、宿敵が死んで少し落ち着いたか?」


 軽口を叩いても、獣は動かなかった。


 ただ世界樹を見つめるだけだ。


 その様子が本当に終わりを示しているようで、次の言葉は出てこなかった。


 ああ。


 もう、皆には会えないんだよな。


 あの家で一緒にご飯を食べて、他愛ない話をして、大学に行って、馬鹿やって。


 皆の声を聞くことも、笑顔を見ることも、できないんだな。


「――やっぱ、悲しいな」


 世界樹に触れる手を握り、ぼやけた視界を閉ざし、嗚咽おえつを噛み殺す。


 全部俺の弱さが招いた結果だ。


 もっと強ければ、もっと力があれば。



 

『私はどんな運命が先にあろうとも、この魂が朽ちるまで、貴方の支えであることを誓います。ですから、ユースケさん。――私の騎士として、共に戦ってはくれませんか?』




 ごめんリーシャ。


 ごめん。約束、守れなかった。


 誰にも必要とされなかった俺を、君は信じてくれたのに、何もできなかった。


「――――‼」


 叫びが喉を貫こうとした瞬間、思いもよらない光景が目に入った。


 獣が、俺の前に出て世界樹に頭をこすりつけたのだ。


 そして世界樹はそれに応えた。


 ごつごつとした樹皮がほどけるように、道を開けたのだ。


「なっ――⁉」


 思わず覗き込もうとした時、獣が鋭く身じろぎした。


 激しい衝撃に、身体が吹き飛ばされる。


「いって!」


 ごろごろと転がって立ち上がると、獣が俺に頭を向けていた。


「‥‥」



『――――』


 

 何を言ったのかは分からなかった。


 目すらない剣の顔では、その気持ちをうかがうことすらできない。


 ただ獣はそれで満足したようで、世界樹の中に進んでいく。


 そしてその姿が完全に見えなくなった瞬間。




 世界樹が燃えた。




 それは不思議な光景だった。


 幹の内側から紅い光の奔流ほんりゅうが立ち昇り、空に広がる枝葉に火がともった。


 世界を明るく照らすその光は、どこまでも広がっていく。


 熱くも、苦しくもない。


 ただ見ているだけで涙が出そうになる程、美しく、優しい光だった。




『ユースケ、いつまで寝てるつもりだよ』




 声が聞こえた。


 アステリスでの戦いで、幾度となく窮地きゅうちを救ってくれた声だ。


 態度も口も悪いくせして、心は誰よりも優しい。


 肩書とは羽織るものではなく、掛けてもらうものだと教えてくれた本物の聖女。


「メヴィア――」


 胸の中心から、熱がじんわりと広がっていく。


 彼女が使う『天剣』は、人々の身体を癒し、その限界を打ち払う。


 まるで『行け』と、そう背を押されているようだ。


 そして気付く。世界樹の隙間から見える空と、金の粒子。この世界を守るように、黄金のヴェールがかかっている。


 それが誰のものなのかなど、考えるまでもない。


 こんなにも不甲斐ない俺を、まだ信じてくれるのか。


 自然と、言葉がこぼれた。


「ありがとう――」


 その瞬間、彼女の顔が浮かんだ。いつもの笑顔で、安心しきった声で、言うのだ。



 

『ずっと待っています、ユースケさん』




 はは。


 こんなことがあるかよ。


 こんなところで、諦められるかよ。


 皆がまだ戦っているんだ。


 俺を待ってくれている人がいるんだ。


「‥‥」


 俺は世界樹に向かって歩き出す。


 そして先ほどと同じようにみきに触れた。


 熱い。


 触れたところから全身が燃えるようだ。


 今なら分かるよ。お前もまだ終われないよな。


「力を貸してくれ。ユリアスあいつをぶっ飛ばす」


 世界樹に灯った全ての火が、その願いを祝福するように、またたいた。




    ◇   ◇   ◇



「くっ――⁉」


 魔法が乱舞し、空間を破壊せんばかりにうねり狂った。


 その全てが月子に届くことはない。


 突如とつじょとして現れた『聖域』がユリアスの魔法を完全に受け止めているのだ。


「『聖域』か。鍵たちは別の空間に隔離かくりしていたというのに、聖女リィラの血は凄まじい」


 魔法の奥で、ユリアスの呟きが聞こえた。


 彼にとってもこれは予想外の事態なのだろう。それでも狼狽ろうばいすることなく、淡々と魔法を発動し続ける。


(なんて魔力量なの!)


 これだけの魔法を発動しながら、ユリアスには一切の疲労は見られない。


 どころか、魔法の威力はどんどん上がっている。


 規格外にしても度が過ぎている。


 月子は深呼吸をし、腕に抱いていた勇輔を優しく地面に横たえた。


「ごめんなさい、少しだけ待っていて」


 聖域も長くはもたない。


 これが砕ければ、戦えるのは月子だけだ。


「凄いわね、リーシャさんは」


 勇輔の顔にそっと触れ、月子は立ち上がった。


 その瞬間、聖域が割れた。


 砕けた破片が、金の滝となって流れ落ちていく。


 その光景を見ながら、月子は手の中の金雷槍に魔力を流した。どれだけの激情にかられようと、繊細な魔力操作を維持しなければならない。


 天涯てんがいに教わった言葉だ。


「第四封印、解」


 金雷槍に掛けられた最後の封印を月子は解いた。


 槍は部品ごとにばらけ、再度形を作る。


 月子の周囲に浮き上がるのは、六本の槍だ。全てが金雷で繋がれ、稲光いなびかりの穂先を研ぎ澄ませている。


 ユリアスは静かにその様子を見ていた。


あらがうのだね、月子」


「当然でしょう。師を超えるのは、弟子の役目だもの」


 そうだね、とユリアスは悲し気な笑みを浮かべた。


 その顔が確かに伊澄天涯と重なる。


 たとえそうであったとしても、もう止まることはない。


 『六天星宮クリエイション』。


 『金火倶雷カナカグラ』。


 魔法と魔術が激突した。


 自然の化生けしょうたる獣たちの攻撃を、月子は槍の一本一本で対応する。


 すぐに呼吸ができなくなり、視界が赤く染まった。


 それでも心臓を動かし、魔力を回し、走る。行ってどうなるのか、何ができるのかなど分からない。


 それでも戦い続けた仲間たちの姿を見て、何もしないわけにはいかなかった。


『あなたが辛い時、泣きたい時、必ずこうして隣にいる。何もできなくても、私はあなたの隣であなたを支え続ける』


 あの時交わした約束は、もう果たされない。


 だからせめて出来ることを全てやらないと、生まれ変わってもあなたに顔向けができない。


 ねえ勇輔。


「――はぁ――ぁ――」


 気付いた時、月子は地面に倒れていた。


 私。


「月子、君はよく頑張った。もう眠るんだ」


 私ね。


 あなたが好きよ。


 結局最後まで素直になれなくて、臆病者で、伝えられなかったけど。初めて見た時から、ずっと、あなたが好き。


 一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、もっと好きになった。


 この想いは、誰にも負けていないわ。


 月子はゆっくりと目を閉じた。


 これで何もかも終わってしまっても、きっとまたあの人に出会える時が来ると、そう信じて。


 ユリアスが放つ魔法を、受け入れた。




「本当に、頑張りすぎだ」




 衝撃は来なかった。


 代わりに聞こえた声に、頭を殴られた。


「――ぇ」


 動かなかった身体を起こし、閉じた目を開ける。 


 そこに銀の鎧はない。


 ただ誰よりも頼りになる背中が、月子を守っていた。


「――ぁぁ――ぅっ――!」


 涙で視界がぼやけ、それでも一瞬すら見逃すまいと、目を開く。


 ぼろぼろだったはずの身体は傷一つなく、止まっていた心臓の鼓動がここまで響いてくる。


 彼は最強の敵を前にして、月子を振り返り、安心させるように笑った。


「ありがとう月子。待たせた」


 山本勇輔が、そこにいた。


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