第285話 どうせ守るなら、やっぱり美少女がいい

     ◇ ◇ ◇




 勇輔が月子と水族館を回っている頃、私立崇城大学は通常通りの賑わいを取り戻していた。


 集団昏倒事件で騒ぎになったことも過去の話。喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、青春を謳歌する大学生にとって、苦い過去を憂う暇などなかった。


 消化不良に終わってしまった文化祭を取り戻すように、誰もがことさらに明るく振る舞っているようにも見えた。


 そんな中を一人歩く少年がいた。金髪にピアスをいくつもつけ、鋭い眼を光らせながら、日陰を歩く。よく見れば、その強面が、実は幼いことに気づくだろう。


 事実、彼はまだ高校三年生。来年には大学生だが、本来ならここにいるべき人間ではなかった。


(今日も別に異常はなし、か)


 談笑するグループを横目に、右藤真理うどうしんりは内心つぶやいた。


 真理は対魔官である。


 そんな彼がわざわざ崇城大学に来てるのは、仕事に他ならなかった。


 真理に与えられた任務は、崇城大学内の警備と、特定の人物の警護である。特定の人物とは、勇輔やリーシャと特に関わりが深かった、金剛総司こんごうそうじ松田宗徳まつだむねのり陽向紫ひなたゆかりの三人である。


 まだ新人の真理には詳しい情報は伝えられていないが、どうやら何か大きな事件が起こっているらしい。


 それも伊澄月子や山本勇輔のいるこの大学で。


(にしても、やっぱ一般人じゃねーよな。まあ納得っちゃ納得だけど)


 真理は歩きながら資料に載っていた人物を思い出す。それは夏の研修で真理と紗姫さきを助けた男だった。


 対魔官ではないようだが、確実に普通ではない。


 彼と月子を取り巻くように、何かが起きている。それも、単純な霊災れいさいでは片付けられないような厄介なことが。


 新人の真理にまで声が掛かることが、その予想の信憑性を増していた。


 大学生たちからすれば終わった話かもしれないが、対魔官たちにとっては、日夜気の抜けない日々が続いていた。


 現状は、そんな彼らの努力に反して、平和そのものだが。


(そろそろ交代か‥‥)


 真理は時間を見て、ルートを巡回から変更した。


 彼が向かうのは、ある人物の警護である。彼女の居場所は、サポートの対魔官が飛ばしてくれる通信で把握していた。


 数分とかからずに、真理は目当ての人物を発見した。


「総司さん総司さん、見てくださいこの返信。どう思います」

「どうって、別に普通だろ」

「普通じゃ困るんですよ! 可愛い後輩がわざわざこっちから連絡してあげてるのに、男友達と同じテンションで返信っておかしいじゃないですか!」

「あいつにその手の器用さを求める方が間違ってるだろ」

「そうそう。大真面目に打ってそれだと思うよ〜」

「どうしてちゃんと教育しておいてくれなかったんですか!」

「その怒りは意味不明すぎるだろ‥‥」


 真理が警護する対象、陽向紫だ。ついでに他の警護対象の二人も一緒にいる。


 陽向紫は資料でも見た通り、いたって普通の女子大生だ。魔術の魔の字も知らない、真理とは別世界の人間。


 一つ特筆することがあるとすれば、


(いや、めっちゃ可愛いよなー)


 サラサラの茶髪は、同級生たちのそれとは、手入れのレベルが違うんだと一目で分かる。元の顔立ちも整っているのだろうが、それを生かすメイクも抜群だ。


 何よりも、コミュニケーション能力が凄まじい。大学が始まってから警護をしてきたが、その交友関係の広さには舌を巻く。


 真理は高校の友人はほとんどいないし、魔術関係においても、話せるのは悔しいことに紗姫くらいのものだ。


 彼の生い立ちも大きく関係しているが、真理のコミュニケーション下手が大きな要因になっているのは間違いない。


 そんな真理からすると、陽向のそれは、ほとんど魔術みたいなものだ。


(ああいう人が友達だったり、彼女だったら楽しいんだろうな)


 思い出すのは、幼馴染の顔。


 この場にいない軋条紗姫きしじょうさきは、見た目こそいいが、態度は傲岸不遜ごうがんふそん、口を開けば傍若無人ぼうじゃくぶじんの大魔王である。


 やっぱりああいうお姉さん系がいい。


 紗姫が聞いたら咆哮(物理)が飛んできそうなことを考えながら、付かず離れずの位置で警護を続ける。


 他の対魔官たちからも異常報告はない。


 今日も特別問題はなさそうだ。


 しかし脅威は影のように音もなく、風のように突如やってくる。


 それをそうと認識するのは、あまりにも容易たやすかった。


 時刻は夕方に差し掛かろうかという頃、陽向たちを見張りながら、人目につかないよう歩いていた真理は、その異常にすぐ気づいた。


 通信術式の途絶とぜつ


(ッ──⁉︎)


 考えられる可能性はいくつかあった。その中で最も可能性が高く、実現してほしくない予想。




「こんばんはー。いい反応すね」




 火花が散り、受けた小太刀を持つ右腕が痺れた。


 地面に突き刺さった銀のナイフが、明確な敵意を表している。


 そいつは、白髪にガラス玉のような目玉をした、白人の男。


 敵だ。


 真理は引き抜いた2本の小太刀を右は順手に、左は逆手に構えた。


 敵はナイフを使ってくる。今の攻撃には魔術の気配を感じなかったが、魔術師と見て間違いないだろう。


 どこぞの魔術結社か。


 油断なく構える真理に対し、男は無表情のまま言った。


「さっきから対魔官ってのはどいつもこいつも呆気ないなーって思ってたけど、案外できるやつもいるんすね」

「‥‥それはどうも」


 飄々ひょうひょうとしているように見えて、隙がない。何かの格闘技を修めているような立ち振る舞いでもないが、真理の勘が迂闊うかつに飛び込むことをためらわせていた。


 何より、その目がやばい。


 何人も殺している奴の目だ。真理の実家、右藤家は代々罪を犯した魔術師を捕らえてきた。


 真理も既にその仕事に参加をしたことがある。


 だからこそ、この警備役に抜擢ばってきされた。そしてそんな真理の目から見て、目の前の男はそういった犯罪者と同じ、いやそれ以上に危険なオーラをまとっていた。


 仲間たちの状況が分からない。


 連絡も取れず、増援が来る見込みもない。となれば、


(やるしかねえ)


 ここでこいつを斬る。


 幸いにも、相手は油断している。それなら、真理にも勝ち目があった。


 ──先手必勝。


 思うが早いか、真理は踏み込んだ。


 この程度の距離、魔力による身体強化があれば、あってなきが如し。


 瞬く間に男の懐に入った真理は、そのまま喉元へ小太刀を突き込んだ。


生捕いけどりは考えない。まずはこの脅威を確実に排除する。


 しかし男の前で光が閃いたかと思えば、小太刀は甲高い音を上げて弾かれた。


「ッ!」


 即座に左の小太刀で受ける。


 腕に衝撃が走った。


 真理は考えるよりも早く後退しながら、身体を振って攻撃から逃れようとする。


 しかし男がそれを許さない。両手に握った銀のナイフで、絶え間なく攻め立ててくる。


 すぐに捌ききれなくなり、全身に裂傷が刻まれる。


 男のナイフは、無差別だ。急所を的確に狙ってくるわけでもなく、駆け引きをしてくるわけでもない。


 意識の薄くなった場所に滑り込み、確実に傷を負わせてくる。


 太刀筋が読めない。


(くそ、やり辛え!)


 しかも身体能力も相当なものだ。攻撃に転じる隙を作れない。

 太ももを深くナイフが抉り、血が地面にばら撒かれた。


 筋肉が切れ、真理の足が止まる。


 その瞬間を男は逃さなかった。小太刀の隙間を縫うようにして、ナイフが伸びてくる。


 だが真理もまたこの時を待っていた。目が上下に素早く動き、踏み込んでくる男の頭と足元を捉える。


 刹那せつな、真理の魔術が発動した。


 陰は陽に、天は地に。


 『天地返し』。


 男が、何かに化かされたかのように上下にひっくり返った。


 姿勢はそのままで、両足は空を虚しくかき、必殺の一撃は目標を見失う。


 対人戦において、絶大な効果を発揮する真理の魔術である。


 これまでは不意打ちのために使うことが多かったが、それでは対応されることがあると、半月武者との戦いで学んだ。


 だからこそ、ここぞという時まで引き込み、魔術を発動したのだ。


 真理は下から驚きに目を丸くする男に向けて、小太刀を振り下ろした。


「はー、おもしれー魔術」


 軽い声が、聞こえた。


 振り下ろそうとした腕が動かない。


 両腕に突き刺さった銀のナイフが、その答えだった。男は天地返しを受けながら、ほぼノータイムでナイフを投擲とうてきしたのだ。


 深々と刺さった刃が、攻撃の力を途切れさせた。


「でも、ちょっとちんけっすね」


 最後に聞こえた言葉は、それだった。


 ゴッ‼︎ と頭に衝撃を受け、真理は地面に転がった。全身からこぼれる血が、地面にまだ模様を描いた。


 男はそんな真理をチラリと一瞥いちべつし、興味を失ったように顔を上げた。


「さ、後はお姫様を連れ帰るだけかー」


 そう呟くと、男はすぐにその場から消えた。


 その日、陽向紫は家に帰らなかった。

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