第284話 見守る少女たち

     ◇ ◇ ◇




「本当によかったの?」


 ビルの屋上で『シャイカの眼』を使っていたカナミは、それが自分に言われた言葉だと理解するのに、少しの時間を要した。


 しかし言葉足らずのその意味は、すぐに理解できた。


「ええ、これでよかったのですわ」


 『シャイカの眼』は、常に周囲の状況を観測し続けている。同時に、水族館でペンギンを見ている勇輔と月子の様子も捉えていた。


 今ここにいるのは、カナミとシャーラ、そして少し離れたところで聖域を張り続けるリーシャだけだ。


 リーシャは聖域の練度を上げるために、微動だにせず自分の体に薄く聖域を張り続けている。よほどのことがなければ、その集中力が途切れることはない。


 今のカナミたちの会話も、耳には入っていないだろう。


「そう」


 シャーラはただ頷いた。


 本当にこれでよかったのか。それは、カナミが勇輔に宛てた手紙の内容にあった。


 カナミは他の三人とは違い、手紙に、勇輔と共に時間を過ごしたいとは、書かなかった。


 かわりに、リーシャや他の人との時間を大切にしてほしいと、そう書いた。


 何故なら自分は守護者だから。『鍵』と人族を守る戦士。


 勇輔はカナミがいなくとも、必ず立ち直る。リーシャや月子、シャーラが必ず支えてくれる。


 その信頼があったからこそ、警護の役割を買って出た。


 シャーラは屋上の縁に腰かけ、足を宙に泳がせた。


貴方あなたみたいな人を、たくさん見てきた」

「‥‥わたくしのようですか?」

「たくさんいた。特別ではいられないから、戦い、政治、資産、食、歌。自分の持つ力でユースケの助けになろうとした」

「そう見えますか?」


 カナミは勇輔たちを見ながら、言った。


 するとシャーラはいつも通り、こともなげに答えた。


貴方あなた、『ガレオ』との戦争にいた。まだ小さかったけれど」

「っ──! ‥‥覚えていらっしゃったのですか?」


 カナミは驚きに一瞬言葉を失った。


 たしかにランテナス要塞攻防戦の際、シャーラもその場にいた。まだ勇者パーティーとしては日が浅く、ほとんど喋るようなことはなかったが、その存在感はそうそう忘れない。


 あの時から何年も経ち、カナミの見た目は大きく変わっている。勇輔もそうだが、誰にも気づかれないと思っていた。


「私は人の見た目を覚えるのが苦手。魂の形で覚えているから」

「そ、そうなんですのね」


 言っている意味はさっぱり分からなかったが、冥府で悠久の時を過ごした相手だ。常識の尺度に収めようとする方が間違っている。


 シャーラは空を眺めながら続けた


「みんなそう。エリスを見て諦めていく。戦っても勝てないって、自分の中で完結する」


 その言葉は、鋭くカナミの胸に突き刺さった。


 あの夜もそうだった。


『ユースケは世界中の美姫びき女傑じょけつたちから想いを寄せられた。けれど、そのほとんどがユースケへの想いを諦めた。それは、エリスがいたから。彼女には、勝てないから』


 自分のことだ。


 幼い少女に咲いた淡い恋心が散るのに、時間はかからなかった。


 ほんの少しだ。


 勇者白銀シロガネと、エリスのやり取りを見たのは、本当に少しの間だった。


 しかしそのわずかな時間で、さといカナミは理解した。理解せざるを得なかった。


 勇輔がエリスに寄せる絶対無二の信頼と、エリスが勇輔に送る深い愛情を。


 自分が彼に相応ふさわしい女になるのに、どれだけの時間がかかる? そしてそうなった時、あのひとと戦わなければいけないのか?




 無理だ、勝てない。




 幼いながらに、そう悟った。


 しかしあの人の隣にいたい。どんな形でもいい。そばで力になりたい。


 カナミが銃を手に取ったのは、諦観と熱望の境目でのことだった。


「それは、シャーラ様も同じではありませんの?」


 思わず、そう言い返していた。誰よりも尊敬すべき勇者の仲間に対して、あり得ない物言いだ。


 言ってから、恥じる。


 慌てて謝罪を口にしようとした時、シャーラは既に口を開いていた。


「私は初めから正妻になろうとは思ってない。出会ったのが遅かったし、私が恋したユースケを育てたのはエリス。彼女なら、敬意を持って正妻だと認められる」


「‥‥」

「それが分かっていたから、エリスもすんなり認めてくれた。もしも第二夫人としての地位も認められなかったら──」

「‥‥認められなかったら、どうしていましたの?」


 聞かない方がいい。そう分かっていたのに、カナミはつい聞いてしまった。


戦争・・


 答えは端的だった。


 淡々とした物言いが、それが誇張表現ではないと伝えてくる。


 エリスがシャーラを第二夫人として認めなければ、本気でこの人は戦争をしていただろう。四英雄同士の、勇者を賭けた戦い。想像しただけで背筋が凍る。


 きっとその本気を理解していたから、エリスもすんなりと認めたのだろう。


 あのエリス・フィルン・セントライズに戦いを挑むなんて、カナミには想像すらできない話だ。


「ユースケの特別でいるには、それぐらいの気概がいる。そして、私はそれなりに貴方を評価している」

わたくしをですの?」

「魔族と手を結ぶほどの覚悟は、評価に値する」


 やはり英雄。


 カナミの服に潜んでいるタリムの存在も、バレている。


「それだけの覚悟があるのなら、戦った方がいい。戦いの場にさえ立たなかった人は、後で後悔することしかできない」


 その言葉は重かった。


 勇輔のいなくなったアステリス。そこには、彼を送り出した人以上に、彼を失った人が多くいたはずだ。


 カナミもその一人だ。


 もしも自分が近くにいれば、エリスの提案を止めることができただろうか。


 彼を、強引にでも手に入れることができただろうか。


「‥‥なぜ、そのような話を? シャーラ様としては、ライバルは少ない方がよろしいのでは?」


 そう問うと、シャーラは当たり前のように言った。


「私は、ユースケには幸せでいてほしい。ユースケが選べる道は、多い方がいい」


 それは、過去たった一つの道を強制した故だろうか。


 シャーラは初めてカナミの方を見た。


 誰もが見惚れる美しい笑顔は、死神に魅入られたかのようだった。


「それに、誰が来ても負けない」


 ああ、エリスだけではない。


 この人もまた、最強の敵の一人だ。


 カナミは呼吸を整えるように深呼吸をし、頷いた。


「ご心配ありがとうございますわ。わたくしの道は、私が決めますもの」

「そう。でも決断は早い方がいい」

「それは、エリス様が?」


 しかしシャーラは首を横に振った。


「それだけじゃない。ユースケのためにエリスと戦おうとするひとは、まだたくさんいるから」

「‥‥それは、あまり想像したくありませんわね。その方が地球ここまでいらっしゃると?」

「さあ。乙女の勘」


 本来なら一笑に付すような言葉だが、どうしてかカナミはそれを笑う気にはならなかった。

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