第283話 元カノとデート

     ◇ ◇ ◇




 リーシャが勇輔と会った翌日が、月子に与えられた時間だった。


「こうして二人でちゃんと出かけるのって、久しぶりだな」


 そう言う勇輔の顔を見て、月子は自分が選択を間違えたことを知った。


 女子四人で話したあの夜、リーシャはまず初日に勇輔と過ごしたいと希望し、それが通った。月子としてもエリスの話を整理したかったし、元々二人で出かけるには、それなりの覚悟と準備が必要なタイプだった。


 だから二日目を選んだのだが。


「今日はどこ行くんだ?」


 勇輔の顔は、やけに晴れやかだった。


 この男は良くも悪くも素直というか、感情が顔に出る。そういうところが意外と可愛らしい――違う。そうではない。


 つまるところ、エリスの話で悩んでいたことも、リーシャとの一日で大分折り合いをつけたらしかったのだ。


 シャーラの言う通り、元々心構えができていたのもあるだろう。


 時間が解決したと、納得してしまうのは簡単だ。 


 けれど、違う。


 家に帰ってきてからのリーシャと勇輔の二人の様子を見れば、それぐらいは察せられる。


 これは、リーシャの成果だ。彼女だから、勇輔はここまで回復した。


『どうして、そんなやり方だったんですか‥‥? ユースケさんは、いつだって優しいのに、どうして傷つかなきゃいけなかったんですか。何のゆかりもない、私たちのために戦ってくれた人の終わりが、そんなものでいいはずがありません!』


 あの夜、リーシャだけが怒りを見せた。


 それは彼女が、理由や事情を天秤に掛けず、勇輔の心だけを考えていたからだ。


 月子には、できない。


 あまりにも素直で、真っ直ぐで、見ていられない程に輝いている。


 月子は携帯を片手で握りしめ、小さく言った。


「‥‥館」

「え? どこって?」

「‥‥水族館よ」

「水族館って、もしかしてサンシャインの?」

「‥‥」


 驚く勇輔の言葉に、月子は答えることもできず頷いた。


 それもそのはずだ。


 サンシャイン水族館は、月子と勇輔が付き合ってから初めて行った場所。つまり、初デートの場所なのである。


 元カレと、わざわざ思い出の場所巡り。


(馬鹿。馬鹿なのかしら? でも仕方なかったのよ。時間もなかったし、遊べる場所なんてほとんど知らないし。駄目、完全に失敗したわ)


 月子の頭がぐるぐると空回りを続ける。


 昨日はコウガルゥの話を自分なりに整理するのに使い、夜はリーシャたちの様子を見て動揺し、最終的に安牌あんぱいである水族館のチケットを予約してしまったのだ。


 予約した後に気付いた。


 これは、世に言う地雷なのでは、と。


 しかし魔術と怪異を相手に生きてきた月子は、その手の情報にうとい。年頃の女性らしく、有名なデートスポットは知っていたが、今回はもてなす側だ。自分が知らない戦場に、いきなり飛び込む勇気はなかった。


 結果がこれである。


 デートに心霊スポットを選ぶ綾香を笑えない。


「ごめんなさい、これは――」

「いいな、水族館。久しぶりだし、楽しみだ」


 勇輔はそう言って笑った。


 その顔に、もう何も言えなくなってしまう。


 半年前は、二度と見ることができないと覚悟した笑顔が、すぐ近くにある。


「‥‥そう」


 月子は視線をそらして足元を見た。


 にやけそうになる顔を、見られたくなかった。


 誰のための時間なのか、分からなくなりそうだ。



 

 月子と勇輔の二人はサンシャイン水族館に入った。


 平日だが、さすがは池袋というべきか、結構な人がいる。


「おお、水族館ってなんかテンション上がるよな」

「そうね、別に魚に詳しいわけでもないのだけれど」

「みんなそんなもんだろ」


 話しながら、水の中を泳ぐ魚たちを鑑賞していく。


 実は月子はこういった水族館や動物園が苦手だった。小さな箱の中で生きる動物たちが、自分と重なって見えてしまった。


 しかし、


「なあ、ずっと疑問なんだけど、どうして水族館だと、ウツボと他の魚が一緒に暮らせるんだろうな」

「しっかり餌をもらっているからでしょう」

「にしたって怖くね? ちゃんとしつけられてるのかな」

「さあ‥‥。そもそもウツボって躾けられるものなのかしら」

「顔を見る限り難しそうだぞ」

「顔で判断しては可哀想でしょう」


 勇輔はそれもそうか、と笑いながらウツボの顔を覗き込んだ。


 何が楽しいのか分からないが、ウツボと勇輔は睨み合い続ける。


 そんな様子がおかしくて、月子は横顔を何度も盗み見た。


 水族館を楽しい場所だと思うようになったのは、間違いなく勇輔のおかげだ。


 どうしてそんなに笑顔でいられるのだろうか。


 勇輔本人や、周りの話を聞く限りでは、彼の異世界での生活は過酷そのものだ。


 血みどろの戦い。誰も名前を知らない、伽藍堂がらんどうな栄光。


 そして仲間たちとの別れ。


 よく人間不信にならなかったものだと思う。


 きっと過酷な現実を生きてきてからこそ、どんなことにも楽しみを見出みいだせるのだろう。


 そして、そうなるよう支えてきたのは、エリスなのだ。


 彼女が勇輔の希望そのもの。


 エリスといたから勇輔はどんな絶望にも光を見つけられた。


 そう、今の月子のように。


「? どうかしたのか?」

「いえ、ウツボみたいな顔になってるわよ」

「なんで突然ディスられてんの? ウツボのあだ名知ってる、海のギャングだぞ」

「ええ、ぴったりだと思うわ」

「穏やかな顔してたんだけどなー」


 勇輔はグニグニと自分の頬をこねくり回す。


 笑ってしまうからやめてほしい。


 立ち直っているならそれでもいい。せっかく二人で遊びに来れているのだから、一緒に楽しもう。


 月子はそう決めて、──そうするまでに微かな逡巡、ハンカチで手汗を拭くまでを瞬時に済ませた上で──勇輔の手を取った。


「っ、月子」

「次はあっちね。まだ見るものは多いわよ」

「‥‥ああ」


 月子は勇輔の顔がまともに見られなかった。いや、今の自分の顔も見たくなかったし、見られたくもなかった。


 勇輔から感じる動揺に、心臓が跳ねる。


 まだ女性として意識してくれている。そんな都合のいい妄想が頭をよぎるのが恥ずかしくて、月子は足早に次の水槽へ急いだ。

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