第282話 聖女とデート
◇ ◇ ◇
日差しが空気の透明感を際立たせる、そんなよく晴れた日。俺はリーシャと連れ立って家を出た。
「ユースケさん、楽しみですね!」
「あ、ああ。そうだな」
ニコニコと飼い主と散歩に行く犬よりも楽しそうなリーシャが言った。いや、この例えは適切ではないな。まるで恋人とデートに行く少女のよう──これも適切ではないな。
まあとにかく誰が見ても楽しそうなのが分かる。
今日のリーシャの服装は、薄紫色のワンピースに、白のロングコートだ。ワンピースは胸の下で緩く絞られていて、リーシャのスタイルの良さが際立っている。ついでに胸元に見える黒いレースがやけに大人っぽかった。
このまま雑誌の表紙を飾れば、売り切れ間違いなしだろう。
なぜ戦いの最中、俺とリーシャが二人で家を出たのか、それは彼女がくれた手紙が切っ掛けだった。
詳しい中身は長くなるので割愛するが、簡単に言ってしまえば気分転換に出かけませんか? という内容だったのだ。残りの三通も驚きだったが、それはとりあえずいいだろう。
正直、いつ魔族や
いや、だったら最初から全員でいいじゃん‥‥。何、修学旅行でグループ割っちゃう系? そういうのよくないぞ。高校三年生の卒業旅行、グループから仲間外れにされて、最終的に総司と二人で遊園地を回った黒歴史が思い出される。
加賀見さんからも、
『いいんじゃない? 昼間なら魔族も襲っては来ないだろうし、
と言われてしまった。
確かに戦いには休息も大切だ。
アステリスでも、エリスたちに無理やり外に連れ出されたものだ。
「それじゃ、行きましょうか」
リーシャが跳ねるように歩き始めた。
俺はまだ重い足を持ち上げて、その後に続いた。
今日は暖かくなりそうだ。
みなとみらい線に揺られて俺たちが向かったのは、神奈川県の超有名観光スポット。そう、横浜中華街である。
東京住みなら誰でも一度は聞いたことがあり、案外行ったことはないという人が多そうな場所だ。
普通に考えて、中華料理店なんて、そこらを歩けばコンビニと同じくらいのエンカウント率で遭遇する店である。
わざわざ横浜まで行くかと言われると、普段の俺は面倒臭さが勝つ。
しかし今日はリーシャが一緒だ。テレビやネットの動画で情報量だけは豊富な彼女、その興味の行き先は結構な確率でご飯である。
そのため、せっかくなのでここに連れてきたのだ。
「うわぁ、すごいですね! 国の中に別の国があるのですか⁉︎」
駅を降りて中華街を前にすると、リーシャのテンションはマックス。このまま料理食べたら、メーター振り切れそう。
「国があるというか、再現している感じかな」
「はー、他の国はまた大分印象が違いますね」
「ここは日本に元々近いから、似てる部分が多い方だよ」
目をキラキラさせて首を忙しなく振るリーシャ。気持ちはよく分かる。俺もアステリスで別の国に行った時は、物珍しくてキョロキョロしたものだ。おかげでぼったくられたり、スリに合いそうになったりと散々だったな。
セントライズ王国が、ザ・ヨーロッパって感じの街並みだったから、こういうアジア系の街並みはテンション上がる。
ちなみに他国で興奮し過ぎると、それに比例してエリスのボルテージが上がっていくので注意が必要だ。あいつ愛国心に溢れすぎなんだよ。
‥‥駄目だ。また思い出してしまった。リーシャと来ているんだから、それに集中しないと。
「ユースケさん、早く行きましょう!」
「ああ、ってちょっと待てよ」
俺たちはそのまま中華街を進み始めた。
平日だったので人は少ないかと思ったが、わりとそんなこともなく、歩くのにも気を使う。とにかく左右で小籠包やら肉まんやらいちご飴が主張し、お腹が鳴る。
すごいな、想像の三倍くらい盛況だ。
というか食べ放題の店多くないか。さっきから目に入る店のほとんどが食べ放題をデカデカとした文字で打ち出している。アメ横の閉店セールといい勝負だろ。それは言い過ぎか。
「食べ放題、食べ放題‥‥」
だめだ、既に食べ放題の魔力にやられている聖女が一人。
しかし俺もそんな野暮は言わない。
旅の恥はかき捨てと言うし、カロリーと一緒にノーカンである。
通りを一往復した俺は、近くの店を指差した。
「とりあえず、あの小籠包食べてみるか?」
「しょーろんぽー」
「餃子とか、しゅうまいみたいなもんだよ」
「餃子! 美味しいですよね。カナミさんだと綺麗に焼けるのに、何故か私が焼くと引っ付くのは許せませんが」
「それは練習してくれ」
気持ちはよく分かる。
俺たちはテーマパークばりの列に並び、三色小籠包というものを買った。一つ一つ味が違うらしい。
「気を付けて食べろよ。中にスープが入ってるから」
「え、ここで食べるのですか? 椅子とかは」
「食べ歩きだから、邪魔にならなければ大丈夫だよ。周りの人も食べてるだろ」
「ほ、本当ですね。では、いただきます」
リーシャはプレーンな小籠包をどう食べようか迷い、最終的に口に放り込んだ。
あ。
「──⁉︎」
直後、リーシャの目が見開かれ、足がパタパタと地団駄を踏む。
いや、先に言ったじゃん。小籠包は中にスープが入っているので、不用意に食べると口内肉汁爆弾と化す。
リーシャは上を向いて軽く口を開けると、ハフハフと白い湯気が浮かんだ。
「大丈夫か?」
ゆっくりと時間をかけて小籠包を食べ終えると、赤みの残る顔で笑った。
「美味しいですね! 熱いのにはびっくりしましたけど」
「火傷とか平気か? 水飲む?」
「いえ、一瞬口の中に聖域を張ったので何とか火傷にはならなかったです」
何そのびっくり超絶技巧。いつの間に身に付けたんだよ。
それからリーシャはほくほくした顔で次なる小籠包に取り掛かった。金髪美少女が美味しそうに食べている姿を見るだけで、こちらもほんわかした気持ちになってくる。精神安定剤として売りに出してほしい。
俺も熱いうちに食べようかな。
小籠包を持ち上げ、一口で食べる。リーシャを見ている間に温度が下がり、ちょうどいい塩梅だ。肉汁の溶けたスープが口一杯に広がり、一気に喉へ落ちていく。
うまいな、これ。
「ユースケさん、次はあれ行きましょう!」
瞬く間に小籠包を食べ終えたリーシャが、俺の腕を取ってぐいぐいと引っ張った。
「待て待て、とりあえずゴミを捨ててからって、力強いなおい」
腕を包む柔らかな感触とは裏腹に、リーシャのパワーは最大出力である。小籠包が食いしん坊ゲージに火をつけちゃったのかな?
俺はリーシャに引きずられるようにして、中華街を練り歩いた。
食べ放題にも心惹かれたが、結局俺たちはひたすら食べ歩きに徹した。次々に現れる食の誘惑に勝てなかったのもあるが、何よりそれが楽しかった。
なんかこないだの文化祭といい、リーシャとは食べてばっかりだな。
そんな果てしない食による食の連鎖も食いしん坊ゲージと共に終わりを見せ、最後にデザートを食べて中華街を後にした。
「いやぁ、食べましたねー! どれも美味しかったです!」
「本当、これならもっと早く来てればよかったな」
「ユースケさんも初めてだったのですか?」
キョトンとした顔のリーシャに、こちらも首を傾げる。
「ああ。来たことなかったな」
「そうでしたか。てっきり──」
「てっきり?」
「っ、なんでもありません!」
リーシャは慌てたように首を横に振った。なんだよ。
このまま帰ってもいいのだが、せっかくここまで来たし。携帯を取り出して、地図のアプリを開く。
「リーシャ、少し歩かないか?」
「え、ええ。もちろんです」
俺たちは建物の間を抜け、目的の場所に歩いた。
「うわあ、海です!」
「中華街は海岸のすぐ近くなんだよ」
「だから微かに潮の香りがしていたのですね!」
え、そう? 全然気づかなかったんだけど。空腹で嗅覚が研ぎ澄まされとる。
季節的にも海の近くは寒いが、風は比較的穏やかでよかった。
リーシャは海を眺めてから、楽しそうに花壇に植えられた花を見て回る。
彼女はこういう穏やかな空気がよく似合う。
そう、本当ならリーシャはそうして過ごすべき子だ。
神魔大戦だとか、
『ユースケさんが過去に多くの命を奪ってきたというのなら、その罪を私も背負いましょう。貴方が彼を憎むなら、私も共に憎んでください。私はたとえ何があろうと、ユースケさんを信じます』
思い出すのは、獣の腹の中で聞こえたリーシャの声。
戦いが終われば、リーシャはアステリスに帰るだろう。それが当然で、そうあるべきだと信じて戦ってきた。
「ユースケさん、このお花、すごいいい香りがしますよ」
しかし、本当にその瞬間が来た時、俺はどうするのだろう。
リーシャやカナミたちを、送り出して、終わりか。
それは彼女たちにも俺と同じように、離別の悲しみを背負わせることになるんじゃないのか?
「ユースケさん」
「うぉっ」
突然、宝石を突きつけられたのかと思った。リーシャが紅玉のような目で俺を覗き込んでいたのだ。
「な、なんだよ」
「考え事ですか?」
いきなり図星を突かれて、俺は返答に
「別に。ただ楽しそうだなあって」
そう言うと、リーシャはふっと微笑んだ。いつもとは違う、やけに大人びた笑みで。
「そうですね。私はこちらの世界に来てから、ずっと楽しいです。もちろん、辛いことや痛いこともたくさんありましたけど、ユースケさんや月子さん、たくさんの人に会えたことが嬉しいんです」
それは、そうか‥‥。
「だから私は感謝しているんです。ユースケさんがあの時私を助けてくれて、一緒にいてくれて、こんなにたくさんの楽しいことが知れた」
それを言うのなら、俺も同じだ。
あの時酒に溺れて、未来も見えず、重苦しい過去に囚われてばかりだった俺を変えてくれたのは、リーシャとの出会いだ。
リーシャは俺を置いて、海の方へ歩いていく。潮風に三つ編みの髪が揺れて、そのまま彼女がどこかに攫われてしまいそうで、俺は慌てて後ろを追った。
「そういえば、あの時は断られてしまいましたね」
「何の話だ?」
「いえ。確かにあれでは駄目でした。対等ではありませんでしたから」
さっきから何の話をしているんだ?
リーシャはそっと右手の甲を上に持ち上げて、俺を見た。瞳の奥で、キラキラと星が瞬いている。
波の音が遠く。
そして彼女は言った。
「私はどんな運命が先にあろうとも、この魂が朽ちるまで、貴方の支えであることを誓います。ですから、ユースケさん。――私の騎士として、共に戦ってはくれませんか?」
それはあの時と同じ、いやそれ以上に
いや、あるいは彼女なりの誓いか。
『お断りします』
『な、な、なななな』
あの時は断ったんだよな。今思い返してもお互いひどい出会いだと思う。ポンコツ聖女に、
エリス――。
きっとこれからも君を思い、過去を悔やむだろう。あの時刻まれた記憶は、どれだけ摩耗しても消えないのかもしれない。
それでも、俺は今ここで生きている。
この先の未来に何が待っていたとしても、今やるべきことは変わらない。
文芸部にリーシャが来た時以来か。
俺は今一度、彼女の手を取った。
「仰せのままに、我が親愛なる聖女様」
それっぽくかしこまった物言いがおかしくて、俺たちは笑い合った。
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