第103話 初心忘るべからず
本当なら得体の知れない相手、出方を窺うのが定石だが、俺の勘がそれを許さなかった。
とにかく一刻も早くこっちの間合いに入らないといけない。
その判断を裏付けるように、鬼が野太刀を振り上げた。同時に空気が揺れて声が響いた。
『乱舞
黒い大蛇が牙を剥いて襲い掛かってきた。
おいおい、今のは鬼の声か? この空間そのものが魔力に包まれているから、状況的には俺と妖刀との関係に近いのかもしれない。
それよりも問題は黒い斬撃だ。
軌道の読めない不規則な動きは確実に俺の進路を塞いで迫る。
ぎりぎりまで引きつけて避けようとするが、それを読んでいたかのように蛇蝎は俺を追った。
すんでのところで刀を割り込ませ受ける。
「っ⁉」
『ぬぐぅあ‼』
想像以上の衝撃に身体が浮きかけた。
なんとか吹っ飛ばされる前に重心を下げて踏ん張る。
だが足が止まり、そこに蛇の猛攻が襲い掛かってきた。
やばい。想像以上に避け辛いし、威力も相当なものだ。
ただ太刀の本数が増えたわけじゃない。なら別のやり方で距離を詰める。
「ふっ!」
目前に迫った蛇蝎を、今度は本腰入れて打ち払った。黒と銀が衝突し両手に重い衝撃が走るが、振り切る。
軌道の変化する斬撃は受けるにも一苦労だが、初めから受けるつもりで見据えればできないわけじゃない。
蛇蝎を弾いた隙を突き、一気に距離を詰めた。
しかし鬼の対応も早い。すぐさま腕を返し、別の方向から切り込んできたのだ。
今度の狙いは足元。反射的に足を上げて避けるが、すぐに嵌められたことに気付いた。
俺の動きを嘲笑うように斬撃が跳ね上がり、首へと蛇蝎が走った。
なんて判断力。
避けたところで次が追ってくる。
俺は首を切り裂かんとする刃を、柄の中心で受けた。今まさに喉元へと食らいつかんとする気配を感じながら、全力で押し返す。
「っらぁ!」
蛇蝎を押しのけて走った。また噛みつかれては面倒だ。走りながら連続で風刃を飛ばす。
全て野太刀に叩き落とされるが、それでいい。
黒い嵐を潜り抜け、ようやく俺の間合いに入れた。
ここで一気に畳みかける。相手の野太刀はこちらの妖刀よりも刀身が長い。脚で左右に揺さぶりをかけながら絶え間なく斬りつける。
少しでも隙ができれば、即座に鬼面ごとぶった斬る。
しかし気炎はそう長くは続かなかった。
鬼はいとも容易くそれらを防いだのだ。決して動きが速いわけじゃない、何か魔術を使っている気配もない。こちらの動きを読んで受け、躱し、時には巧みな誘いで反撃まで入れてくる。
こいつ、魔力どころか刀の技量も並外れてやがる。攻めているはずのこちらが、追い詰められてい
る気さえしてきた。
全くと言っていいほど崩しどころが見えてこない。
「っ‥‥!」
失敗した、相手の力量が想定より高すぎる。
普段なら魔術で強引にでも突破口を作るところだが、今の俺にそれはできない。
いや、これ程の相手だ。俺のしょうもない我が儘なんぞおいて魔術を使うべきなんじゃないのか?
たとえそれで月子に正体がバレようと、なんと思われようと。
同時にフラッシュバックする幾つもの顔。恐れ、恐れ、恐れ。
どうして俺をそんな目で見る。人間に向けられるものじゃない、まるで化け物を見るような視線。
酷い重さを感じて下を見れば、黒く汚れた銀の鎧を数多の手が掴んでいた。千切れかけ、骨と皮だけになり、それでも万力の如き力で鎧に食い込む指。
これは罪だ。
今まで俺のために命を落としてきた者たち、殺してきた者たち。全てが未だ消えることなく俺に纏わりついている。
こんな化け物、恐れられて当然だ。
月子にどんな目で見られるのか。どのように思われるのか。どうしてもその恐怖が拭えない。
それでも覚悟を決めたはずだ。優先順位を違ってはならない。
俺は魔力の操作に手間取りながらも『我が真銘』の魔術を組み上げる。
今まさにそれを発動しようとした瞬間、妖刀からこれまでにない魔力が発せられた。
『小僧、何をしておる』
「何って、このままじゃじり貧だ。俺の魔術で活路を開く」
お前にだって分かってるだろう。この状態じゃ鬼を殺すどころか傷つけることさえ不可能だ。
だが妖刀は芯の通った声で叫んだ。
『約定を違えるな小僧! この戦いは儂の戦い。奴を斬るのはこの刃と心得よ!』
「お前‥‥」
その言葉が本心でないことはすぐに分かった。確かに自分の手で討ちたいという思いはあるだろうが、それで勝てなければ本末転倒。
しかし妖刀は己を奮い立たせ、言った。
『一度男が口にしたのだ。どんな理由であれ、やると決めたのであればやり切れ!』
――そうか、そうだな。
ありがとう、と心の中で感謝しながら妖刀から溢れ出す魔力に身を預けた。
より深く、より強く。
なまじ『我が真銘』という選択肢が頭の中に残っていたからこそ、妖刀との結びつきが甘かった。
俺の命はお前に預けよう。その代わり俺のイメージに応えてくれ。
刀身から溢れた紺碧の魔力が腕を覆う。切っ先までが自身の身体になったかのような感覚。今なら刃に当たる微細な風の流れさえ感じられる。
鈍色が青く染め上げられ、まさしく妖刀というべき威圧感を纏っていた。
それでも今打ち合ってみて分かった。こいつを妖刀だけの力で抜くのは不可能だ。
それ程までに膨れ上がった怨念は強い。
なら俺が取るべき選択肢はたった一つだ。
「月子!」
視線を鬼から一切逸らすことなく、叫ぶ。返答は期待していない、か細い勝ち筋を手繰り寄せるために伝える。
「俺たちが時間を稼ぐ。その隙に技を叩き込んでくれ!」
昔見た月子の魔術は相当な威力を秘めている。彼女の魔術がまともに当たれば鬼とてただでは済むまい。
月子から答えはなかった。
それでも彼女ならやってくれるはずだ。ルイードを相手に最後まで諦めなかった彼女なら。
問題点は二つ。この超絶技巧を相手にどう溜めの時間を作るか、またどう当てるのか。
その隙を作れるのは俺たちしかいない。
間合いは保ったまま、一度こちらから仕掛けるのをやめて様子を見る。動きを牽制しながら呼吸を整えようとするが、鬼はそんな甘い考えは許してくれなかった。
ヒュウと乾いた音が鳴った、
『群舞
まるで俺を噛み砕く獣のように、何本もの黒い斬撃が大地を這い空を飛び、殺到する。
左右にも広がっているせいで避け切れない。
「っの!」
避けられないなら受ける。地面に脚を根付かせ、腰を捻り溜めた力を遠心力に変える。
上下を切り裂くように、目前をくの字に切り裂いた。
『
青と黒の剣閃がぶつかり合い、爆ぜた。
抑えきれない黒の斬撃が月剣を超えて俺に迫るが、初めから受け切れるとは思ってない。
一瞬の抑止によってできた隙間に身体を滑り込ませて前へ走った。背後で斬撃が噛み合う音を置き去りに、鬼へ肉薄する。
本来の俺の剣技は力で叩き斬るものだ。そこで多少なりとも崩しを入れ、動きを止めず技を繋げていく。
無尽蔵の魔力と様々な武装を瞬時に生み出せるからこその戦闘スタイル。
ただそれは『我が真銘』があってこそだ。だから今までは多方面から攻撃したり、カウンターを狙ったりしていた。
この鬼はそれでは崩せない。
思い出せ。アステリスに転移したばかりの時なんて、戦えなくて当たり前だった。剣はまともに通らない。相手の分からない技に右往左往し、勝てない相手からは何度も尻尾巻いて逃げ出した。
一番初めに習得した技はなんだ。
訓練で何千何万回と模擬剣でぶん殴られ、血反吐を吐かされた俺が真っ先に覚えたのは、攻撃の受け方。
月子を傷つけられて頭に血が上ってた。時間を稼ぐっていうなら、何も相手を攻撃する必要はない。
折れず、倒れず受け切ればいい。
そのためにもやはり鬼には近づく必要があった。俺はこいつにとって脅威でなければならない。
無視できるというならやってみろ鬼。少しでも隙を見せればこの妖刀がお前の首を刎ねるぞ。
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