第104話 青く燃える影

『いざ行かん‼』


 妖刀の魔力を無視できなかったのか、鬼はわずらわしそうに刀を振った。妖刀と野太刀がぶつかり、俺は大きく弾き飛ばされる。


 それは相手の衝撃に押し負けたからじゃない。


 鬼の押してくる勢いに合わせて後ろに飛んだのだ。それも互いにとって一歩で間合いに入れる距離で。


 相手にとっては追撃に遠く、こちらからすれば一歩で攻撃に入れる。


 鬼からすれば非常に鬱陶うっとうしい距離感だろう。


 相手のリーチと刀身の方が圧倒的に長いので、正直俺としてもギリギリの距離だが。


 鬼はさかしいとばかりに距離を詰めて野太刀を振るった。避けられるものは避け、受けるべきは受けて距離を取る。


 濁流だくりゅうを下る小舟のように流れに逆らわず、されど飲まれず。妖刀一本をかいの代わりに荒波を乗りこなす。


 理想を言えば聞こえはいいが、実際はそう容易たやすいものじゃない。


『おい小僧、大丈夫か⁉』

「大丈夫だ、お前こそ折れるなよ」


 いくら衝撃を逃しているとはいえ、一発一発が重い。腕が馬鹿になって重いし、つかを握る掌は皮が破けて血が流れ出している。


 衝撃の勢いに乗って体を動かしているせいで、頭が揺れて平衡感覚も狂ってきてる。


 それでも倒れるわけにはいかない。


 後ろから感じるのだ、月子の魔力の高まりを。


 繊細な魔力操作故に微かなものだが、もはや隠しようもない程に魔力が圧縮されている。


 魔術の発動までは、そう遠くない。


 だが希望と絶望は常に表裏一体ひょうりいったい。俺が気付くということは当然鬼も気付いている。その魔術が自身を殺し得るものだと。


 野太刀がこれまでにない揺れ方をした。


 刀身が黒く染まり、鬼面が歪む。焦点がズレていき、自分がどこを見ているのかさえ分からなくなった。死に音もなく絡め捕られる感覚。


 ――まずい。


 もはや間合いがどうこうと言っている場合じゃない。全力で後退するが、遅かった。


 剣閃が数多に枝分かれする。


『乱舞 亡羊ぼうよう


 斬ッ! と全身が刻まれ血が噴き出した。


 もはやどこを斬られているかも分からない。寸前で後ろに飛んだからこの程度で済んでるが、今ので四肢を切り落とされていても不思議じゃなかった。


 ただ真に驚くべきは剣速じゃない。


 歩法と体捌きに魔術を合わせ、俺の認識を化かしやがった。


 マジシャンがやるミスディレクションに近いだろうか、腕や足にわざと魔力を集中させてこちらの気を散らしながら、緩急のつけた動きで翻弄する。


 あちらが速かったのではなく、こちらの対応が遅らせられたのだ。


 いってぇ‥‥。


『小僧!』


 妖刀が焦りの声を上げるが、答えている余裕はない。


 今のは崩し。こっちの機動力を奪った以上、確実に次の一撃を叩き込んでくる。


 それを示すように、鬼は次の構えに入っていた。


『鼓舞 影駭えいがい


 間髪入れず、光をも貫く刺突が来た。


 戦士としての直感が叫ぶ、ただの突きじゃない。受け手ごと貫かれる。


「っ――‼」


 歯を噛み締め、全身の筋肉を絞り上げた。血が噴き出し、視界が赤く染まる。


 妖刀、俺のイメージを読み取れ、ここが正念場しょうねんばだ。こいつの一刀を俺たちの力で打ち破る。


 声はなく、妖刀の青い光が強さを増した。


 集中しろ。俺が磨き上げてきた剣技は、積み重ねた経験は、魔術が使えない程度で色褪いろあせたりはしない。


 突きを切り落とすように、上段から袈裟斬りにする。


「『焔剣フローガ』‼」


 紺碧に燃える妖刀は、影駭を切り裂かんと刃を突き立てた。そのまま刀身ごと両断するつもりで力を込めるが、俺の手に返ってきたのは予想だにしない衝撃だった。


 そういう技か!


 この突きは見た目に反して恐ろしい振動を放っていたのだ。それこそ軽く触れただけで巨岩さえ粉砕し貫くだろう。


 振動とは破壊の極地。防御を貫通し、刹那に全体へ伝播して崩壊させる。


 単純な剣術から魔術へと昇華されたそれは、妖刀の魔力を確実に蝕む。


 魔力量も魔術としての質も、圧倒的に鬼が上だ。このまままじゃ確実に押し負ける。


 その時だった。


 妖刀のものではない声が頭の中に流れ込み、頭を揺らした。




『――許サヌ』




 それは底知れぬ怒りに満ちた声だった。


『許サヌ。許サヌ。許サヌ。我ラヲ捨テタ父ヲ。平和ヲ奪ッタ賊ヲ。不条理ヲ。世界ヲ。神ヲ』


 まるで灼熱の泥だ。頭の中が焼けて思考が溶け落ちていく。


 この世を怒り、呪い、壊さんとする呪詛じゅそ


『我ラハ』


 黒の向こう側に鬼面が浮かび上がった。


 違う、面じゃない。憤怒ふんぬしか浮かべられぬそれは、哀れな復讐者の面貌めんぼうそのものだ。


『全テヲ許サヌ』


 ヤバい、食われる。


 意識が丸ごと泥の濁流に飲み込まれ、思考が停止した。ここで一瞬でも止まれば、影駭は俺の心臓を貫くだろう。


 それが分かっていながら、柄を握る手から力が抜けていく。


『違う!』


 鬼の声をかき消すように声が響いた。


『確かに許せぬことはいくらでもあった。不条理を憎んだことも、世界を呪ったことも!』


 妖刀は破壊に侵されながらも紺碧の魔力を燃やし、叫ぶ。


『だが全てではない! 束の間であろうと、確かに儂らは安息の地を見つけたのだ! あの日々を貴様が否定することは、儂が許さぬ!』


 兄からの言葉に弟は答えなかった。黒い波動がより一層力を増し、破壊は加速する。


 それでもその呼びかけに意味はあった。鬼の呪詛を吹き飛ばす一声のおかげで、思考が明瞭めいりょうになった。


 柄を強く握り直し、黒い魔力へ深く刃を食い込ませる。一瞬でも気を抜けばすぐさま振動に押し返される、僅かな前進。


 青き刀身が黒の中で一層輝いた。


「今だっ‼」

『応‼』


 もはやそれ以上の言葉はいらなかった。


 俺の理想のタイミングで妖刀は魔力を解放した。暴走寸前まで凝縮された魔力は、斬撃と共に膨れ上がり、黒を燃やす。


 その威容、まさしく『焔剣』。


 単純でありながら、魔力操作と剣技とが完璧に噛み合った時、爆発的な力を生み出す魔術。


 妖刀は俺の理想通り、いやそれすら超える魔力操作で『焔剣フローガ』を実現してみせた。


 紺碧こんぺきの炎は野太刀を覆いつくし、鬼面すら炙る。


 だがそれでも尚、互角。


 影駭と焔剣は互いを壊し、燃やし尽くした。しかしこちらはほぼ全ての魔力を使いつくし、鬼の魔力は未だ底知れず。切り返されればなすすべもない。


 ただ激動の中に生まれた空白。


 この時を彼女が見逃すはずがなかった。


 背後で火花の散る音が連続で弾けた。それは今まさに跳びかからんとする獅子の唸りにも似ている。


 見なくても彼女が一歩を踏み出すのが分かった。落雷の如く凄絶に、乙女として淑やかに、神を宿すように荘厳に。




天穿神槍てんせんしんそう




 金色の投槍が横一閃の雷となって、鬼に落ちた。


 野太刀は抑え込み、魔力も大きく使った直後。その穂先は確実に鬼の胸へと至るはずだった。


 しかし鬼の怨讐はその程度では止まらなかった。避けられないと見るや否や、左手を持ち上げて槍を受け止めたのだ。


 衝突する雷と破壊。


 雷鳴が轟き、黒い魔力が空間に波紋を作り上げる。余波だけで身体が粉々になるかと思う程の衝撃があたりにまき散らされた。


 鬼の甲冑が割れ、腕にひびが入る。肉体のない亡霊があれを受け切れるはずがない。


 にも拘らず、鬼は決して屈しなかった。無尽蔵にも思える黒い魔力で槍さえ破壊せんと踏みとどまる。


 そうだ、だからこそ俺がここにいる。


 この戦いの終止符を打つべきは、お前だ。


 もはや残っている魔力は搾りかす。俺だって刀が重くて仕方ない。そんな弱音を噛み砕き、衝撃に抗いながら妖刀を構える。


 打つは最速。他の何もかえりみず、一直線に駆け抜けろ。


「っらぁあああああああああ‼」


霆剣ギルヴ』。


 途方もない時間と距離を飛び越え、妖刀の突きは鬼の心臓を脇下から貫いた。

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