第102話 沁霊
山頂近いところまで行くと、明らかにおかしな現象が見えた。
分厚い霧がまるで壁の様に高く聳え立っているのだ。
その見た目だけが異様なのではない。この霧、空間に満ちているのとは比べ物にならない程の魔力が込められている。
濃霧の壁を前に俺は脚を止めた。
尋常ならざる気配に気付いたのは俺だけではなかったらしい。鞘に納められた妖刀が震えた。
『分かるか、小僧』
「‥‥予想以上に早く会えそうだな」
この霧の先にいる。
それが鬼なのかは分からないが、半月武者など比べ物にならない怪物が。
妖刀は弟との
鬼個人というわけではなく、もっと大きなくくりでの話だ。悪霊とも魔物とも魔族とも違う独特の気配。
嫌な予感が最悪の確信に変わるのが分かった。
『どうしたのだ?』
「前に俺が魔術の本質について話したの覚えてるか?」
『自己との対話、というものか』
そう、それだ。
「詳しい話は省くけど、自己との対話における自己、って存在はずっと考えられ続けてきた。真理を知る者、鏡像、深層心理。様々な言われ方がするけど、俺たちはそれをある呼称で呼んでるんだ」
『自己との対話なのだから、自分なのではないか?』
「それも間違ってない。自分さえも知らないはずのことを知るもう一人の自分。俺たちはそれを『
まさこの世界に来て、この言葉を口にする日が来るとは思わなかった。
アステリスでさえ沁霊という言葉を知る人間は少ない。魔術の本質でありながら、最奥に位置する存在。
魔王を含め英雄と呼ばれる者たちはこの沁霊を自在に使役し魔術を行使する。残念なことに俺はその境地に至っていない。精々
「この霧の向こうにはそれがいる」
『沁霊というやつがか?』
「恐らく肉体を失って沁霊だけの状態になってるんだと思う。思念が魔力を伴って怨霊になるのは聞いたことがあるけど、こんな気配は覚えがない」
『なるほどのう』
「だからなんだって話じゃないんだが、間違いなくお前の知っている過去よりも強くなってるはずだ」
妖刀はさっき鬼の使う魔術はこんな代物ではなかったと言っていた。つまり沁霊の存在に気付いたのは、封印されてからのはずだ。
熟練度が低いとはいえ相手が沁霊だとすれば、一瞬の油断も許されない。
「行くぞ」
『ああ』
覚悟を決めて俺は濃霧の中へと脚を踏み入れた。
白い煙のように霧は視界を塞ぎ、外から入る俺を拒絶するように押し戻さんとする。
霧を分け入り、一直線に脚を進めた。
そして霧が晴れた瞬間、勇輔は目前の光景に硬直した。
まるで女性のような牡丹の着物を肩から羽織り、顔に鬼の面を被った夜叉が立っていた。魔力こそほとんど発していないが、その佇まい、圧力。
紛れもなくこいつこそが沁霊の気配を放つ怪物。俺たちが追っていた鬼そのものだろう。
だがそんなものより俺はある一点に目が釘付けになっていた。
鬼の足元に膝をつく少女。月子が傷だらけでそこにいた。
白い肌は至る所が血で汚れ、生傷がいくつも刻まれている。その首へと今まさに鬼の太刀が振り下ろされんとしていた。
やっぱり戦っていたんだ、とか。早く助けなきゃ、とか、様々な感情が浮かび上がり、それは全て一瞬で塗りつぶされる。
――ふざけんな。
即座に鞘から太刀を抜いて構える。もはやどうするかなんてまともに考えちゃいない。どんな方法でもいいから鬼の意識を逸らさなきゃと思ったら、慣れた選択肢を取っていた。
「俺のイメージを読み取れ、斬撃を飛ばす!」
『な、そんなことできるわけなかろう⁉』
「できる! 魔力を込めて風を操れ!」
うだうだと喋っている暇はない。幸いにも今の俺と妖刀の間には魔力的なパスがつながっている。その気になれば互いの考えていることや状態が読みとれるのだ。
だからこそ俺は妖刀が進化することに気付けたし、妖刀も俺の動きに合わせて刀身を強化できていた。
『我が真銘』なら、魔力を斬撃にして飛ばすのだが、今回は違う。昔似たような技を使っていた相手を脳裏に思い起こした。
斬撃の軌跡を追うように流れ込んでくる大気を魔術で操り、風の刃に変える。
『どうなっても知らんぞ!』
妖刀の叫びと共に刀を振った。
景色を一刀両断する斬撃は甲高い音を立てて飛んだ。
鬼はこちらの攻撃に気付き、振り返った。
野太刀が容易く風を切り払った。
その隙に月子は鬼から離れる。どうやら完全に動けないような状態ではないらしい。
鬼を警戒していた月子がこちらを見て、止まった。
「‥‥」
驚愕に見開かれる目。色々と聞きたいことはあるんだろうけど、悪いがその辺は全部後だ。
月子を傷つけた借りは、高くつくぞ。
「お前のいるべき場所はここじゃない。失せろ亡霊」
返答するように鬼は野太刀を構えた。こちらも同じく妖刀を構えて迎え撃たんとするが、柄を伝って刀の震えが伝わってきた。
「ここまで来たんだ、覚悟を決めろ」
『分かっておる。しかし、儂はこの時をどれ程待っていたことか。あのような
「‥‥そうだな」
俺にはその途方もない時間は想像できない。ただ信頼していた者を、仲間だった者を斬らなければならないやるせなさはよく分かる。
俺は柄を握る手に力を込めた。
「安心しろ。運命だなんだと言うつもりはないけど、今のお前は俺の刀だ。最後まで付き合うさ」
すると妖刀が魔力を流し刀身を光らせる。
『当然だ。既に我らが兄弟
相手が動き出すよりも先に俺は走り出した。
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