第81話 目的の確認は基本中の基本

 勇輔たちが合宿を始めているその頃、対魔官たちによる新人研修もまた始まっていた。


 太陽が真上に昇り容赦ない陽光を降り注がせる中、一行は大園山の所有者篠藤に挨拶を済ませ、山の麓まで来ていた。ここから実際に山の中に入り調査を開始する。


「‥‥これが」


 草木を切り払いなんとか道と呼べる体裁を整えた入口のところで、月子は山全体を見上げていた。


 見た目はどこにでもある田舎の山だが、確かに嫌な気配を感じる。


 月子も今まで数えきれない程の怪異を祓ってきた故に、気配だけで何となく怪異の大きさが分かる。


 だが今回の怪異は全容が捉えきれない。何と言うべきか、気配が至る所に散っていて核がどこにあるのか分からないのだ。


 篠藤の話では原因と目される社は山の頂点近くにあるということだったが、山頂付近に特別大きな気配があるわけではなかった。


 こういう捉えどころのない怪異が一番やり辛い。


 それに気付いているのは、この場では数名だけだった。


「伊澄さん、それじゃあ予定通りに始めましょうか」


 その内の一人、是澤蓮台が月子の隣に立ってそう言った。実地調査ということで月子を含め新人たちも違和感が出ない程度の戦闘服を着ているが、是澤だけは顔合わせの時同様にスーツ姿だった。てっきり挨拶のために着ていたのかと思ったが、どうやらこのまま山に入るらしい。


 その気持ちが視線に表れていたのか、是澤は苦笑いを浮かべた。


「このスーツですか? 実は本部に配属になった時に支給されたものなんですが、一着の値段を聞いてから着ないのも勿体なく感じてしまって」

「はあ」

「貧乏性なんです。中々この性分は変えられませんね」


 眼鏡を押し上げながら言う是澤は、見れば見る程英才という言葉からは程遠い。


 しかし綾香曰く戦闘力は然程でもないが、どんな任務にも柔軟に対応できる万能型の対魔官ということだった。


 人は見かけによらないな、と若干失礼なことを考えながら月子は頷いた。


「では、予定通り二チームに分かれて社周辺の調査を」

「状況が分からないので深入りはせず行きましょう。‥‥伊澄さんからすれば遠回りかもしれませんが」

「いえ、今回は研修が目的ですから」


 是澤は「それでは」と軽く手を上げると、新人たちに声を掛けた。


「今から調査に入ります。確認するべきは霊災の正体。初日ですし無理はせず、丁寧に見ていきましょう。それぞれのチームに分かれてください」


 新人たちは是澤の言葉に頷き、二つに分かれる。新人は五人。三人が是澤の方に行き、残りの二人が月子の方へ歩いてくる。


 当然と言うべきか月子に喧嘩を売った軌条は是澤の方に振り分けられ、代わりに右藤真理が月子のチームにいた。


 軋条は不気味なほどに大人しくしており、何も言わず是澤の傍に立っていた。


「どうも、よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします!」


 右藤は緊張感もなく、もう一人の女子は任務というより月子に対して緊張している様子で頭を下げた。


「よろしくお願いします。基本的に私から指示を出したり助けに入ったりすることはありませんが、命の危機かそれに類する場合のみ介入します」


 端から自分が上手くコミュニケーションを取れるとも思っていない月子は事務的にそう言うと、二人を送り出した。


 土御門の話もあり、少々不安は残るが、この時点で月子はまだ研修を無事に終わらせることを考えていた。


 その甘い考えを捨てることになったのは、研修三日目のことだった。




     ◇   ◇   ◇




 朝起きると、死屍累々だったはずの男たちが固まって何やら密談を交わしていた。


 朝からむくつけき男たちが砂糖に集る蟻のように小山を作っている様子は、爽やかな朝を汚すには十分すぎる光景だった。


 元々俺たちの部屋は四人部屋だったはずだが、見たところ六人ぐらいの男が部屋に詰めているらしかった。


 エアコンがついているはずなのに、部屋の気温が男たちの熱気で上がり、さながら蒸し風呂状態である。


 声を掛けるのも躊躇われるが、かといって視界に入っているのも鬱陶しい。


「‥‥何してんの?」

「おう起きたのか」

「お前も参加しろ。いやその前に歯磨いてこい、寝起きは臭いからな」


 何だこいつら。俺の口は寝起きだろうがフローラルの香りだわ。


 しかし寝起きで口の中が気持ち悪いのも確かなので、歯磨きをしてから部屋に戻ってきた。


「よし座れ」

「さっさとしろ、時間がないんだ」

「勇輔、こんな日に寝坊なんて罰金ものだよ」


 うるさい松田には肘鉄を食らわせて黙らせる。


「何の話なんだよこれは」

「見ての通り狙いのすり合わせだ」


 胡坐をかいた角刈りの男が真剣な眼差しで答えた。


 まるで敵将を狙う武将のような鋭い視線だ。海で釣りでもする気だろうか。


「今日誰がどの女子にアプローチに声をかけるのか、はっきりさせておこう」


 狙いってそれかよ。


 脱力する俺を尻目に、周囲の男たちはうんうんと頷いた。


 線の細い眼鏡をかけた眼鏡が徐に口を開いた。


「‥‥俺は竜胆りんどうを行こうと思ってる」

「お前」

「勇者だな」


 周囲から漏れる戦慄の呟き。


 竜胆かたりは誰に対してもフレンドリー、小柄で顔も可愛らしいため、サークル内でも男性人気は非常に高い。


 彼女を狙うということは、その男子たちとの熾烈な争いに参加するということだ。


 事実円を組んで座っている男たちの中には目元を険しくしている連中が数人いた。


 仕切り役のようになっている角刈りは鷹揚に頷いた。


「確かに竜胆は可愛い。顔も可愛いし小柄な女子らしさもいい。きっと水着姿は愛くるしいことこの上ないだろう」


 むさ苦しい男たちが額を突き合わせて女子の愛らしさについて語っている様子は、きっと現代の怪談に相応する異様さに違いない。


「しかし、俺たちももう大学生だ。求めるべきはやはり大人の女性――諫早いさはや先輩ではないか」

「何が大人だよ胸に釣られただけだろ」

「おっぱい星人め」

「おっぱいは正義だ。あれを単なる脂肪の塊だのとぬかす奴がいれば、俺が海に沈めてくれるわ。そも胸とは母性の象徴、それが大きい諫早先輩こそ最高の大人の女性と言える」


 無駄に格好よく言っているけど、喋っていることはおっぱいについてだ。ただ頷いている連中も多いので、諫早先輩の人気の高さが窺える。


「諫早もいいけどなあ。俺はやっぱり陽向ひなたと付き合いたい」


 おっと、俺もよく知ってる名前が出てきた。


 周囲の男たちも「確かに陽向もいいなあ」と同意していた。陽向がサークルの中でも人気なのは知っていたけど、こうして実際に聞くと実感がわいてくる。


 陽向がいいと発言したお洒落髭は、髭を撫でながら感じ入るように呟いた。俺たちと同学年だが、留年しているので年上だ、しかも二つも。お洒落に整えられたはずの髭も、積み重ねた年月の重み故か草臥れた感が否めない。


「実は前々から結構飲みに誘ってるんだよ。複数人の飲みなら来てくれるんだけどさあ、サシ飲みになると全く来てくれないんだわこれが」

「そりゃお前、顔が嫌いなんだろ」

「髭が鬱陶しいからだな」

「生理的に無理なんだよ諦めろ」

「そうやって女子に声ばっかりかけてるから留年するんだろ」

「お前たちは俺に何か恨みでもあるのか⁉」


 そりゃナンパしまくって留年してるからだろ。


 誰が聞いても頷く正論を四方八方から浴びせられたお洒落髭は、それを振り払うように猛然と立ち上がった。


「とにかく俺は陽向に行くからな! 邪魔するなよ、特に山本!」

「は、なんで俺」


 突然名前を呼ばれて驚いていると、むしろ周囲の面々の方が驚いた顔でこちらを見た。


「なんでって、最近仲いいだろお前ら」

「昨日の飲み会も一緒に飲んでたしな」

「実は付き合ってるんじゃないのか?」


 恐るべき誤解だ。こんな話が陽向の耳に入ったら俺が伊豆の海に沈められる。


「そんなわけないだろ。確かに仲はいいけど、松田とか総司だって一緒にいるし」

「確かに松田とか金剛が一緒にいるのは知ってるけど、特に仲良くないか?」

「そんなことないって」


 いくらなんでもそれは誤解だ。


 陽向が好きなのは多分もっとキラキラとしたハイスペックな男だ。少なくとも勇者から一般大学生にスペックダウンするような愚鈍な男じゃない。


「じゃあ俺が行っても問題ないよな?」


 お洒落髭が確認するように聞いてくる。


 うーん、正直可愛い後輩がこのナンパ留年髭と付き合おうものなら、その結ばれつつある赤い糸を全力で切ることにためらいはないが、ここでそれを言えば「やっぱり付き合ってるだろ」となるのは確定的だ。


「分かったよ。ただし陽向が嫌がってたら止めるからな」

「安心しろって、そこは上手いことやるからさ」

「本当かよ」


 俺は仕方なく頷いた。陽向ならお洒落髭からのアプローチくらい問題なくさばくだろう。


 そんなこんな海に向けた男たちの秘密の会談は進んでいったのだった。果たして会談というべきか怪談と称するべきかは微妙なところだが、少なくとも黒井さんもこんな話に目をキラキラさせることはないだろう。


 ちなみに夢見がちな狩人たちにもいっぱしの常識はあったらしく、誰からもリーシャとカナミの名前は出なかった。

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