第82話 夏と言ったら

 そして俺を含めた男たちはそれぞれが持ち寄っていた海水浴グッズを砂浜へと運び込む。


 大きなタープにテーブル、バーベキューコンロなどは旅館からの貸し出しで、当然それらを組み立てるのは俺たち男の役目だ。ついでに浮き輪やらビーチボールやらを膨らませ、重いクーラーボックスを二人がかりで運ぶ。何人か車で来ているメンバーがいてくれたおかげで、荷物は結構な量を持ってくることができた。


 全部を配置する頃には、もはや拠点ともいうべき文芸部ゾーンが完成していた。


 それでもまだ女性陣は来ておらず、男たちは何人かで固まって話していたり、意味もなくバーベキューコンロの炭火を組み替えたりと落ち着きなくソワソワしている。


 女性陣が遅いのは、更衣室が少し離れた場所にあるからだ。後は単純にいろいろと準備があるんだろう。


 焦らされれば焦らされた分だけテンションは否応なしに上がる。男たちは皆気になっている女性陣たちがどんな水着を着てくるのか、想像を膨らませずにはいられない。


 かくいう俺も何とも落ち着かない気分で、意味もなく海を眺めていた。


 しかし暫くさざ波が寄せては返る光景を眺めているだけで、まるで波間に揺られているように穏やかな気持ちになってくる。普段は縁遠いはずの潮風の香り、波の音がやけに懐かしく感じた。


 燦燦と照り付ける太陽にキラキラと輝く砂浜が眩しく、悩みや余計な考えが白く塗りつぶされていく。小さく弾み続けていた気持ちも完全に凪いだ。


 そうだ、水着の女子を待つというこの一時は確かに心躍るものがある。しかしその興奮は決して表に出してはいけない。普段は見ない姿だからこそ、劣情など一切感じさせない純真無垢な気持ちで相対するべきだ。


 訓練時代ならこんなことで心を乱していては、鉄拳を頂戴すること請け合いだ。


 俺も元とはいえ勇者。鍛え上げた鋼の如き心は一度平静を取り戻せば、絶対に揺らがない。


 それから暫くすると、あちらこちらをふらふら渡り歩いていた松田が隣にひょっこりと現れて言った。


「勇輔。皆来たみたいだよ」

「おう、そうか」

「どうしたのそんな賢者モードみたいな顔して」


 失礼なことを言ってくる松田の顔にアイアンクローを決めつつ、立ち上がる。


 ついに来たのか。しかし例え何が来ても今の俺が動じることはない。何だって来るがいいさ、この威風堂々と屹立する精神の柱は決して崩れない。


 まるで幾星霜の修行を終えた仙人のような心持ちで立ち上がり、後ろを振り返った。


「わー、みんな準備ありがとう!」

「ごめんね、着替え時間かかっちゃった」

「かわりに料理とかはするからさ!」




 肌、ピンク、青、肌、赤、肌、ピンク、肌――!




 視界を支配する色の暴力。こちらに歩いてくる文芸部の女性陣たちは当然ながら皆、普段の服装からは一変、肌も露わな水着を身に着けていた。


 このネット社会、水着の女性なんて指一本動かすだけでいくらでも見ることができる。


 しかし普段から顔を合わせている女性たちの水着姿は、そんなもの比べるべくもない威力で襲い掛かってきた。


 魅惑の魔術にでもかかったかのように頭の中に靄がかかり、視線が忙しなく反復横跳びする。このままでは破廉恥な劣情に身を任せ、恥も外聞もなく女性陣へと突撃することになるだろう。


「っふん!」


 だが舐めるなよ。


 俺は太ももに拳を叩き込み、奥歯を噛み締めて思考を繋ぎ止めた。


 この程度のことで俺が揺らぐと思ったら大間違いだ。長い旅の中、最後の最後までエリスに手を出さなかった精神力は伊達じゃない。


 果たしてそれが強靭な精神力によるものなのか、はたまた経験の無さからくる臆病さなのかは議論の余地が残るかもしれないけど。


 隣に立つ松田が飄々とした様子で言った。


「うんうん、やっぱり海はこうじゃないと。皆可愛いね」


 なんで普段はあんな変態の極地みたいなくせに、こんな時ばかり落ち着いてるんだ、こいつは。思考回路が常人と違い過ぎる、やっぱり妖怪の類だろ。


 しかし言っていることは大いに賛同できる。


「ああ、水着姿だとまた別の印象になるな」

「勇輔はどのタイプの水着が好きなの?」


 どのタイプって言われてもなあ、別に水着の種類とかそんなに詳しくないし――、


「そもそも水着の種類で好き嫌いがどうというのがナンセンスだ。グラマラスな人が王道ビキニを着ているのは勿論エロい、最高だ。しかしスタイルに自信のない子がリボンやフリルたっぷりの可愛い水着を着ているのも萌えるし、スポーティーなワンピースも全然好きだ。ややハイレグ気味でお尻や脚を推してくるのもいい、むしろ来てほしい。勿論ビキニやワンピースと一口に言っても、色やワンポイントの工夫によって個性が出ているのも重要だ。普段は奥ゆかしいあの子がワンショルダーのビキニなんて着てきた日には、自分の想像力の欠如に幻滅しつつも眺めるのを止められない自信がある。まあ結局何が言いたいかというとだな」


「何が言いたいかというと?」


 松田、お前今の話聞いてたか? そんなもん決まってるだろ。


「大事なのは、その人に似合っているかどうかだよ」


 今でも覚えてる。あのお堅い月子が純白のフレアビキニを着てきた時のことを。明るい色の服装が苦手で、いつも地味で布地の多い服ばかり着ていた月子が、大胆かつ可憐な水着を着てきたのは、まさしく驚天動地。


 今まで水着はビキニこそ至高だとか、スク水に勝るものはないとか心底くだらない議論を交わしていたが、あの瞬間俺の価値観は粉々に砕かれた。


 大事なのは水着云々ではなく、それを着る者との精神面をも含めた親和性なのだ。


「なるほど、じゃあ先輩はこの水着似合ってると思いますか?」

「何言ってんだ松田、男の水着なんて好き嫌い以前にどうでも」


 ワッツ?


 妄言を吐く松田に一括入れてやろうと横を向いたら、そこにいたのは妖怪ではなく小悪魔だった。


 いつの間に入れ替わっていたのか、水着に着替えた陽向がニヤニヤと俺を見上げていたのだ。


 その姿に思わず言葉を失った。


 陽向が着ているのはシンプルなビキニで、トップスは上品な黒、ボトムは鮮やかな白地に緑や青の花が散りばめられている。


「どうかしましたか、先輩?」


 何も反応をしない俺に陽向が顔を近づけてきた。


 言葉を返さなきゃと思うのに、想像以上の衝撃で上手く舌が回らない。


 前々から陽向可愛いのは知っていた。クリクリとした猫みたいな目も、悪戯っ子のように笑う口元も一々目を奪われる。


 その上今日は水着姿だ。普段の彼女よりも大人っぽいシンプルな水着は、素の魅力を強く引き立てる。健康的に引き締まった肢体。それでいて水着の合間から覗く白い肌に、着やせするタイプなんだなという呆けた感想が浮かんだ。


「先輩?」

「‥‥あ、ああ陽向か、驚かせるなよ。その水着似合ってるな」

「ふふ、そうでしょう。まあ私は何を着ても似合いますからね」


 いつもなら自意識過剰だなあと軽口の一つでも叩くところだが、今はそんな気にもならなかった。


 それだけ眩しい可愛らしさを纏いつつ、更にその中から大人びた雰囲気が香る。


 後輩だ後輩だとは言ってたけど、よくよく考えたら俺と一つしか変わらないもんな。


 そりゃお洒落髭も狙うわけだ。


 予想外の衝撃に動揺する俺の様子に気付いたのか、陽向は一層笑みを深めて顔を覗き込んできた。


「あれー先輩、もしかして陽向の水着に見惚れてます? いいんですよ、見るだけなら私は怒ったりしませんから」

「調子に乗るな」

「言葉にキレがありませんよ。‥‥というか、先輩も一応男子だったんですね」


 どういう意味だ。どこからどう見たって立派な男の子だろ。


 アステリスでは終始鎧姿だったから、中身は熊のような大男だとか、見るに堪えない醜男だとか、はたまた貴族の美しい令嬢だとか好き放題言われてたけど、少なくとも今の俺を見て女と勘違いする人間はいない。


 陽向は呆れた表情で肩を竦めた。


「何ですかその顔。違いますよ、普段あんまり女子に興味なさそうじゃないですか」


 どこがだ、興味津々だから。


 ついでに、はーん、みたいな顔でしたり顔で言われると、馬鹿にされている気がする。男としてここは否定しておいた方がいいな。


「いやそんなことないだろ。普通にエロい目で見てるし、女の子が好きだ」

「それはそれで断言されると気色悪いですけど」


 どないせいっちゅーねん。


 しかしこうして話していたらいつも通りの陽向で落ち着いてきた。見た目はどうあれ中身は普段の陽向だ。


 一度呼吸を落ち着け、そこで気付いた。


「あれ、リーシャとカナミはどうしたんだ?」

「あー、あの二人なんですけど」


 陽向が気まずそうに目を逸らした。


 それだけで何があったのかは何となく察せられる。


 うーん、やっぱり駄目だったか。実は今回の合宿にあたり、リーシャとカナミは陽向と一緒に水着を買いに行っていた。海で泳ぐという一大イベントにリーシャなんかはウキウキで出かけたわけだが、帰ってきた時には俺と目も合わせず布団に潜り込んでしまった。


 現代日本の水着文化は聖女には刺激が強すぎたらしい。


 一応水着自体は買ったらしく、合宿にも持ってきているはずだが、実際着るに着られなかったんだろおう。


 リーシャの水着姿も見てみたかったけど、こればっかりは無理を言うものでもないし、実はちょっとだけ安心。


 リーシャが水着なんて着た日にはビーチにいる男たちは中腰待ったなしだろうし、あいつがそういう目で見られるのは、何だか無性に腹立たしい。


「出てこれなさそうなら、迎えに行くか」

「そうですね、あっちの方がその辺オープンなイメージだったんですけど」

「リーシャは結構な箱入りだから、仕方な――」


 陽向への返事は中断を余儀なくされた。


 というより、その先は突如わき起こった歓声によってかき消されたのだ。


 さっきまでだっていつもと違うサークルメンバーを前に、男女問わずテンションの高い会話が繰り広げられていたが、今回の声は明らかに種類が違う。


 思わず声の方を向くと、文芸部の面々が半円を作るように立っていた。いつの間に移動したのか、松田もその中で蹲っている。


 理由は明白だった。円の中央に立つ二人の人影。片や視線を集めて当然と言わんばかりに威風堂々と立つ菫色の少女に、その背に隠れるようにたたずむもう一人の少女。


 カナミとリーシャだ。

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