第303話 閑話 加賀見さんの合コン日誌 二頁目


 定刻の十分前、詩織と綾香は会場のイタリア料理店へと向かっていた。


「こんな時間ギリギリで大丈夫なの?」

「綾香は分かってないなー。女の子はあんまり早く行かないほうがいいんだよ。男たちは待っている間に期待値が高まるんだから」

「その期待値に下回ったら終わりじゃない?」

「下回らないから! この日のために美容院まで行ったんだよ⁉」


 詩織はサラサラの髪を揺らす。綾香に振り回れる高校時代は、自分でも思い出すのが恥ずかしくなるほどの芋具合だった。化粧もしていなければ身体も丸く、転がれば芋の煮っころがしの完成だ。


 しかし今は違う。大学生活で詩織も女子力ってものを鍛えたのだ。


「そりゃ詩織も可愛くなったと思うけど‥‥香水の匂いきつくない?」

「香水ってそういうものだから! もう少しすれば香りが和らいでいい匂いになるの!」


 いわゆる香りのピラミッドであるトップ、ミドル、ラストノートであるが、普段から香水をつけない綾香はふーんと適当に頷いた。


「あんた、名前にも香が入ってるのに‥‥」

「こちとら子供のころから、線香だ線香だとからかわれ続けたせいでいい思い出がないのよ」

「それは‥‥そのガチの悲しいエピソード合コンで話しちゃ駄目だよ?」

「話すか、こんな話!」


 確かに綾香は昔からほんのりと線香というか焼香というか、香水とはまた違う匂いがする。個人的にとても落ち着く香りだ。


 そんなこんな話している内に、二人は料理店に着いた。


「どうも、こんばんはー」

「あ、詩織こっちこっち」

「どうもー」

「こんばんは、今日はよろしくね」


 そこには既に二人の女性と、四人の男性が待っていた。


 明るい髪をハーフアップにした女性が詩織の大学時代の友人で、萌絵という。


 一方、もう一人の女性は黒髪で少々暗めな雰囲気だった。前髪が長く、顔も見づらい。萌絵の会社の同僚ということだが、詩織も会うのは初めてだった。


 男性たちはみんな質の良いスーツで、くたびれた感じもなく、仕事もプライベートもうまくこなしていることが見てとれた。


 それも、イケメンだ。


 詩織は周囲の女性陣の視線に目を配りながら、獲物を見定める。


 この時大事なのは、標的が被らないことだ。ただでさえ意中の相手を落とさなければならないのに、被りが発生すると、競争相手を超えるという別の課題が発生してしまう。


 友人である萌絵もえのタイプは把握しているので、後は綾香と、萌絵がつれてきたもう一人の動向だ。


 ちらりと綾香を見ると、彼女は目を細めて四人の男性を見ていた。


 詩織は小声で話しかける。


「どうしたの? みんなイケメンでびっくりした? 萌絵の伝手で取引先の人に声かけてもらったの。年収もすごいわよ」

「いや、そういうのも大事なんだけど」

「他にどんな大事なことがあるのよ」


 社会人の恋愛とは、学生の頃のように甘酸っぱくはない。彼氏に求められるものは、性格だけでなく、勤め先や年収、見た目といった社会的ステータス。


 この四人はそれらを高いレベルでクリアしていた。


 もちろん、女性も同様に求められるものがある。女性側で大切なのは、若さと見た目、そして愛嬌である。


 しかし綾香を一般人と同じだと思ってはならない。


「いや、背後に何かいてないかなーって」

「憑い‥‥え、何?」

「たまにいるのよ。泣かせてきた女たちの生き霊背負ってたり、あちこちで恨み買いまくって後ろが暗くなってたり、生まれつき幸薄いんだろうなーって感じだったりする人が」

「どういう視点で人を判断してんのよ‥‥」

「ちなみにあんたが学生の時に憧れてたサッカー部の立花たちばなってやつ、何人もの女の霊にしがみつかれてたからね」

「え、本当⁉︎ なんでその時教えてくれなかったの⁉︎」

「言っても信じなかったじゃない‥‥」


 詩織は過去を掘り起こすが、確かにそんなことを言われた気がしないでもない。ファンである間は、往々にして欠点から目を逸らしがちだ。


 あぁ、美しい思い出のまましまっておきたかったな。


 そんなことを思いながらも、詩織は真剣な顔で綾香に聞いた。


「で、アウトは?」

「あの眼鏡の人はやめておいた方がいいわね」

「‥‥分かった」


 密かにいいなと思っていたのだが、綾香が言うなら避けた方が無難だろう。


 であれば、パーマのあの人がいい。


 幸いにも綾香の視線は別の人にいっているようだし、後気になるのは、黒髪の女性だけだが、こう言ってはなんだけれど、さほど男慣れしているタイプには見えないし、負ける心配はなさそうだった。


 詩織は勝利への道筋を見付け、心の中で拳を握った。




     ◇   ◇   ◇




 合コンが始まってから二時間後。


「なーんでこーなるわけぇぇー?」


 お洒落なイタリア料理店ではなく、たこわさが似合いそうな大衆居酒屋で、詩織はビールを片手に泣いていた。


 対面では、同じく綾香がビールをやけ酒ですという勢いで飲み干していた。


 すでに男性も、他の女性もいない。はじめと同じ二人だけだ。


 空になったグラスに頬を押し付けながら、綾香が呟いた。


「は、結局私に合コンなんて早いですよ。ええ、よく分かってましたよそれぐらい」


 その言葉に、詩織が涙声で反応した。


「‥‥あんたのは自業自得でしょ。おだてられて魔術なんて使うから。グラス割った時の顔見た? ドン引きだったわよ」

「私だって割るつもりじゃなかったわよ! ちょっとした手品を見せようと思ったら出力間違っただけじゃない!」


 初め、合コンはとてもスムーズに進んでいた。


 しかし気持ちよく酔っぱらい、調子に乗った綾香がやらかした。グラスを握って、酒の表面に波紋を浮かばせるという手品を行い、そのままグラスを粉々に砕いてしまったのだ。


 その瞬間の、全員の酔いが醒めた顔は、夢に出そうだ。


 綾香は嫌な記憶を振り払うように頭を振り、反撃した。


「あんただって、結局何もできずにあわあわしてただけじゃない」

「あわ、あわあわなんてしてないし! ただ予想外のことが起きたから‥‥」

「ものの見事にかっさらわれたわけね」

「うるっさいなあ!」


 綾香の言葉通りだった。


 思わぬ伏兵がいたのである。それは黒髪の、詩織が敵ではないと判断した女性だった。彼女は前髪で分かりづらかったが、ダウナーな雰囲気の美女で、その上百戦錬磨だった。


 男性と話す距離感、トーン、スキンシップ。全てが女である詩織から見てもなまめかしかった。


 陰気に見える内に秘めた色香。そのギャップに、詩織の狙っていた男性はコロリと落ちてしまった。 


 そうして合コンがお開きになれば、萌絵と黒髪の女性は男性と夜の街へ。詩織と綾香は残った二人に声をかける元気もなく、この居酒屋へ転がり込んだのだった。


「あんなのずるじゃない‥‥」

「もう最悪。月子に彼氏できたって報告しちゃったのに」

「それは馬鹿でしょ。事前報告することじゃないから」


 結局それから二人は夜が更けるまで飲み続けた。


 詩織は飲み会にも慣れていたので酔いつぶれることはなかったが、綾香の方はべろんべろんだ。


「綾香、あんた帰れる? 私送った方がいい?」

「あー。うん。大丈夫大丈夫ー」

「いや、全然大丈夫には見えないけど‥‥」


 しっかりしているように見えて、案外こういうところは抜けている。


 仕方ない、送るかあと財布を取り出そうとした時だった。


「なんかー。近くで同期が飲んでたらしいからー。そいつに頼んだー」

「同期? え、迷惑でしょそんなの。大体、向こうも飲んでたら来てくれないって」

「えー。来るってー」


 どんな同期だ。彼氏だってこんな時間に向かいに来いと言われたら嫌がるだろう。


「変なこと言ってないで、もう帰ろ――」

「申し訳ありません。それ、加賀見ですよね」


 へ? と詩織は後ろを振り返った。


 そこには眼鏡をかけた爽やかな青年が立っていた。細身ながらしっかりと鍛えられているだろう身体にスーツがよく似合っている。


「おー、これさわー。よく来た!」


 綾香が詩織の困惑をよそに、能天気な声でそう言った。


 是澤これさわと呼ばれた男性は落ち着いた声色で詩織に言った。


「加賀見がご迷惑をおかけしました。同僚の是澤蓮台といいます。彼女は私の方で送らせていただきます」

「は、はぁ」

「それと、女性の夜歩きは危険ですから、こちらを」


 是澤がそう言って差し出してきたのは、折り紙で折られた犬だった。


「送り狼の折り紙です。それがついていれば、他の男から声を掛けられることはありませんよ。まあ、おまじないみたいなものです」

「へえ。そっか、是澤さんも加賀見さんと同じ――」


 同僚、という意味に気付いた詩織がそう言いかけると、是澤は人差し指を立てて詩織の言葉をさえ

ぎった。


「申し訳ありません。それは秘密でお願いします」


 笑顔でそう言われ、詩織は慌てて口を閉じた。


「では失礼しますね。よい夜をお過ごしください」

「ごめんえーしおりー。またこんろー」


 そろそろ呂律ろれつが怪しい綾香に、是澤は肩を貸して立たせると、再び詩織に礼をしてから店を出ていった。


「‥‥」


 ぼうっとした頭で詩織も荷物をまとめて店を出る。是澤が会計も済ませていたらしい。何から何までスマートな男性だった。


「‥‥帰ろ」


 もう二度と綾香あいつは合コンに誘わない。


 そう心に決めて、詩織は送り狼に守られながら家に帰った。

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