運命回る偶像庭園

第304話 正義の槍と優しい剣

 幾つもの矢が木々の間を縫うように飛ぶ。


 分厚い鉄板すら貫く威力を持った矢は、鋭く、正確に標的へと迫った。


 これまでの獲物も敵も、同様のやり方で倒してきた。


 しかし、


無粋ぶすい‼︎」


 敵は一歩も動くことなく、その矢を全て打ち砕いた。


 手に持つランスで弾いたわけでも、カイトシールドで防いだわけでもない。近づいた矢が、見えない何かに衝突したかのように、砕け散ったのだ。


 正義の導書グリモワール、ヴィンセント・ルガー。


 突如として異界に取り込まれたネストたちは、ルガーによる襲撃を受けていた。


「無粋、無粋、無粋無粋無粋なり‼︎ 姿を見せ、正面から挑むがいい!」


 ルガーが咆哮ほうこうを上げるように言った。隠れている木がビリビリと震えるほどの声量だ。耳が痛い。


 ルガーは索敵能力は低いらしく、身を隠すネストをさっきから全く見つけられていない。


 一方で、ネストの放つ矢もルガーには届かない。今まで射った矢も、一定の距離で砕かれてきた。


 見えない防壁のようなものを置いているのかと横や背後からも射掛けたが、結果は変わらなかった。


 攻略の糸口が見えない。


 ネストの魔術では、矢の威力を上げることはできない。


 ではお互いに有効打のない千日手かと思えば、そうでもないのだ。


「仕方あるまい、我輩の美学に反するが、あぶり出させてもらおう」


 ルガーは一人でそう言うと、ランスを構える。


 ──あれがくる。


 ネストは緊張感の高まりを感じながら、いつでも動けるように構えた。


 大丈夫だ、敵の動きさえ見ておけば、避けられる。


 ルガーは盾を前に、ランスを片手で引き絞ると、腰に力を溜める。


 構えを見ただけで熟練の使い手だということが分かるが、それより危険信号を発しているのは、魔力だ。


 とても一個人が扱えるとは思えない魔力がランスに集中していく。ネストが昔戦争に徴兵された時に見た、複合術式にも匹敵する圧。


 そしてそれが見掛け倒しでないことを、ネストは既に知っていた。




「『正義の槍ジャスティス・ランス』」




 槍が、くう穿うがった。


 それは何もない場所へと放たれたわけではない。木々と、岩と、地面と。軌道上にあったあらゆるものを、消し飛ばした。


「‥‥」


 そしてその一撃は、絶大な破壊に対して、不気味なほどに音がなかった。


 無色透明な何かが、槍の動きに合わせて放たれ、ぶつかったものを静かに、根こそぎ消し去ったのだ。


 ネストは動かなかった。


 狙いが的外れだと直前で気づいたからこそ、動かないという選択を取った。


 もしルガーが魔術を放つ瞬間に照準を変えていたら、ネストも、背負っているベルティナも、今頃ちりも残さず消えていた。


「外れたか」


 ルガーはそうつぶやくと、再びランスを構える.


 次が来る。


 ネストは慎重に矢筒から矢を取り出し、弓につがえる。


 そうしている間にも、ルガーの魔力は高まっていく。あれほどの魔術を苦もなく連発するなど、信じられない話だが、その現実が目の前にある。


「卑劣なる侵略者たちよ。我が槍をもってその悪をちゅうさん」


 ルガーが踏み込み、ランスを突き出す。


「『正義の槍ジャスティス・ランス』‼︎」


 魔力による感知が働いたか、あるいは勘か。


 ルガーの一撃は確実にネストを消す軌道で放たれた。


 しかしネストは既にそこにはいない。


 魔術を発動し、森を凄まじい速度で駆ける。それはもはや流水のごとき滑らかさで、ルガーの攻撃が地面を抉る時には、ネストは彼の背後に回っていた。


 そしてネストはただ走っていたわけではない。


 移動しながらの速射そくしゃ


 ルガーの魔術は強い。どういう理屈なのか分からない以上、狙うのは敵が攻撃に転ずる刹那せつな


 矢は寸分違わぬタイミングで、ルガーへ向けて空を走った。


 同時に、もう一人動く影があった。


 どこにいたのか、合図など一切送っていなかったにもかかわらず、ネストと全く同じタイミングでルガーへと踏み込んだのは、セバスだ。


 砲弾のように、衝撃波を生み出しながら、一直線にルガーの懐へ入ろうとする。


 両手にはそれぞれ銀の剣が握られている。


 奇しくもネスト、セバス共に同じ瞬間を狙った。


 しかし二人の接近に対し、ルガーは動じなかった。


 ゴッ‼ と全ての矢が砕け、セバスのつま先で地面が弾ける。


「――」


 セバスは全身の筋肉を隆起りゅうきさせ、強引に進行を止める。地面がえぐれ、セバスの身体が不自然な形で急停止した。


 そして転身。トップスピードで後ろに跳ぶ。


 直後、ルガーの不可視の防壁が広がった。もしも逃げるのが一秒でも遅れていれば、矢と同じ運命を辿っていただろう。


 間合いの外まで一気に退いたセバスは、ネストの近くに立つ。


「ふむ、これは想像以上ですね」

「‥‥どうする」

「私とは相性が悪そうです。あれでは痛みを感じる前に殺されてしまう」

「‥‥何の話をしている?」


 ネストが頭をひねっていると、後ろからキンキンと声が響いた。


「おい、いつまで時間かけるつもりだ! 手こずってんじゃねーよ!」

「も、申し訳ありません‥‥」


 ネストは反射的に謝ってしまう。


 怒号を飛ばしたのは、聖女であり『鍵』としての役割をもつ少女、メヴィアである。


 勇者と共に旅をした四英雄しえいゆうの一人であり、その魔術は死人すらも生き返らせるとうたわれるほどだ。


 ネストとセバスの身体を、あわい光が包んだ。


 その効果はすぐに表れ、全身の疲労が取れ、活力がみなぎってくる。


 メヴィアの魔術だ。今が肉体の全盛かと錯覚するほどの強化は、もはや治癒という領域を超えている。


「む、ようやく姿を見せたか! 構えい! すぐさま我が槍の錆にしてくれる!」


 こちらを認識したルガーが、再びランスを構えた。


「ちっ、守護者は変態だし、敵は声のでかい馬鹿だし、最悪だな」

「申し訳ございません。しかしながら変態といえども千差万別。一言でまとめられてしまっては、私も立場というものがありません」

「そんな立場今すぐ捨ててこい」


 メヴィアは舌打ちをすると、ポケットから煙管きせるを取り出す。


 セバスはそれにすぐさま火を入れた。


 ゆっくりと煙を吸うと、一度仮初かりそめの空をながめ、メヴィアは口を開いた。


「おいネスト」

「‥‥なんだ」

「この空間から出してやる。お前はそこから逃げろ」


 一瞬、何を言われているのか分からなかった。


「待て、置いて行けというのか」

「邪魔だから消えろって言ってんだよ。あれは馬鹿だが、強い。てめーみたいな生半可なまはんかなやつがいたら、こっちも全力が出せねーだろ」

「それは‥‥」


 四英雄に言われては、何も言い返せない。所詮しょせんネストは、ただの狩人だ。


 黙るネストに対し、メヴィアは続けた。


「空港に出たら、誰にも見つからず西に向かえ。お前の感知能力なら、あいつを見付けられるはずだ」

「‥‥あいつとは」


 その問いに、メヴィアは小さく笑った。


「行きゃ分かる」


 メヴィアの身体から、白金はっきんの魔力が輝いた。ネストとは比較にならない、天に昇る太陽のように神々しい魔力だ。


 同時に、その背に翼が生える。陶器のようでありながら、温かさを感じる巨大な翼は、メヴィアの魔術の象徴。


 あらゆる万難を貫き、怪我、病魔をはらう癒しの羽。




 『天剣てんけん』。




 その翼は、優しいつるぎでできていた。


「さあ、お前は今から限界って鎖を失う。いいか、後先考えずに、全力で逃げろ。ネスト、お前ならやれる」


 それが最後の言葉だった。


「まっ――‼」


 ネストの声は、翼の羽ばたきにかき消された。


 天剣が、有無を言わさず胸に突き刺さる。


 しかし痛みは一切なかった。


 次の瞬間ネストを襲ったのは、昂揚にも似た熱の奔流ほんりゅうだった。


 メヴィアの『天剣』は、怪我を癒すだけではない。


 本来人の肉体が、自分自身を守るために無意識にかけている限界リミッターを、なかったことにする。


 その人間が持つ潜在能力を、完全な形で引き出す。


 本来、人生の中で一瞬の発露はつろがあるかないか。


 最高のコンディションに、極限の集中力、時の運が奇跡的にかみ合わなければ発現しないそれを、強引に解放するのだ。


 そして魂は肉体に、肉体は魂に作用する。


 ネストは己の魔術が、別物に変わるのを感じた。


 今ならば、確かにこの領域からも逃げられるかもしれない。


 しかし、できてもネストとベルティナの二人だけ。


 誰かはここに残り、ルガーを止めなければならない。


「――今の魔術、何をした侵略者よ!」


 怒号をかき消すように、ルガーの魔術が放たれる。


 あらゆるものを消し去る不条理の一撃を前に、メヴィアはネストを振り返ることなく叫んだ。


「行け!」


 その声に背を押され、ネストは駆け出した。


 前に出る足が、自分の物とは思えない程に軽く、力強い。


 魔術が知らない形を取り、ひとりでに発動する。ネストの進むべき道を示すように、先へ、先へ、魔力が弾けた。


 そして、視界は緑の森を抜け、黒く染まった。





     ◇   ◇   ◇




「申し訳ございません。メヴィア様」


 メヴィアを横抱きにしたセバスが、小さく言った。


「うるせーよ。てめーは黙って足動かせ」


 荒い息を隠し切れない声で、メヴィアが答えた。


 彼女の使用する『天剣』は、数ある魔術の中でも破格。本来治癒を本質とする魔術でありながら、治癒を必要としない最強の男を助けるために編み出したのが、沁霊術式――『天剣』なのだ。


 凡百ぼんびゃくの魔術師すらも、一時的にサインと同格に引き上げるのだから、その効果はまさしく唯一無二。


 しかしメヴィアもセバスも、それだけの力がありながら、今が窮地きゅうちであると認識していた。


 メヴィアを抱えながら、セバスはルガーの槍を避け続ける。


 彼の力なら、幾晩いくばんでもこの攻撃を避けられただろう。


 そう、ルガー一人なら、倒せなくとも、どうとでもなったのだ。

「――ちっ、くそったれだな。見誤った」

「メヴィア様が見切れぬのであれば、それは敵を称賛するほかありませんな」


 二人の視界に映っていた景色がゆがんだ。


 そう、今二人がいるのは誰かの魔術領域の中だ。 


 つまりここは敵の腹中ふくちゅう


 魔族以外の敵が絡んでいることには気付いていたが、その中にここまでの使い手がいるとは思わなかった。魔将ロードにも匹敵する魔術師だ。


 大戦を生き抜いたメヴィアだからこその慢心、油断。


 そこを確実に捕らえに来た。


 セバスは静かに、強く奥歯を噛み締めた。


 もしもここにいたのが白銀シロガネであれば。あるいは四英雄の誰かであれば、結果は違ったかもしれない。


 それでも、命ある限りはあらがおう。


 セバスは十年以上そうしてきたように、メヴィアを強く、優しく抱き直し敵を見据えた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




お久しぶりです。秋道通です。

本日より第八章、『運命回る偶像庭園ぐうぞうていえん』始まります。

ゆったりとした更新速度になるかと思いますが、変わらずお付き合いいただければ幸いです。

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