第387話 雷対炎 一
◇ ◇ ◇
『
土は黒く炭化し、赤い火が星々のように輝いている。
これほどの魔術を一個人が、軽々と扱うことは、地球の魔術師の常識ではあり得なかった。
「おう、避けたかよ」
それを為したレオン・ハンネス・ボルツは、大して驚いた様子もなく言った。
「はあっ、はぁ、はあ──!」
焦土となった爆心地から遥か遠い位置で、月子は暴れる心臓をなんとか落ち着けようとしていた。
『疾風迅雷』によって強化した脚で、着弾までに範囲から逃れたのだ。
速さはそこまででもなかった。それにしても威力がイカれている。
目算でも威力の底が見えなかった。
だから全力で距離を取らざるを得なかったのだ。少しでも離脱が遅れていれば、いくら防御をしていても無駄だっただろう。
(それでも、避けられた。決して戦えない相手じゃない)
循環式呼吸を繰り返しながら、月子は自分に言い聞かせた。
威力が高いというのなら、速度で翻弄すればよい。
戦いというのは、単純な魔力の出力で決まるものではないのだ。
「──とでも、考えていそうな顔だ」
すぐ目の前に、レオンが立っていた。
『疾風迅雷』で取ったはずの距離を、気づかない間に詰められたのだ。
「なっ⁉︎」
月子はすぐさま飛び退きながら、雷撃を放つ。
それを片手で軽く弾き飛ばすと、レオンは肩に乗ったピィちゃんの喉をくすぐりながら言った。
「判断速度は悪かねえな。魔術の発動速度にも目を見張るものがある」
「ピィぃ〜〜」
間の抜けた鳴き声を聞きながら、月子は冷や汗がドッと流れるのを止められなかった。
レオンは破壊力だけではない、スピードも出せる。
(落ち着きなさい。すべきことは変わらない)
月子は自分に言い聞かせた。さっきの魔術を見る限りでは、魔力の消費は半端ではないはず。その点、月子は魔力の扱いに関しては自信がある。
動きながら、息切れを待つことも可能だ。
レオンが腕を組みながら、ため息を吐いた。
「ただその程度だ。はっきり言って、他の守護者連中と比べても二枚も三枚も落ちる。我が君の前に立つにゃ、あと百年は修行が必要だぜ」
「‥‥御高説どうも。あなたは私を殺しに来たのではないの?」
月子が聞くと、レオンは腕を組んで不服そうに鼻を鳴らした。
「そりゃよ、そういう建前で来てんだ。ただ気が進まねえ。俺と同じだけの力を持った奴と競うってんなら話は別だが、お前相手じゃただの弱いものいじめだ」
「――弱い者いじめですって?」
「ああ。お前が考えてるのは、俺のガス欠狙ってスピード勝負ってところだろ? 言っとくが、いくら速く動けようが、逃げ回ってるだけじゃ、詰むぜ」
「どういうことかしら?」
レオンは親指を後ろに向けた。そこには荒野に立つ扉がある。
「
「‥‥なんですって?」
月子は目を見開いた。
この戦いには時間制限があるということか。
「これは裁定だ。一時間以内に相手を倒した者だけが、生き残る資格がある。それは俺とて例外じゃない。お前たちの仲間も同様だ」
「空間の崩壊に巻き込まれたら、どうなるのかしら」
「さあな。この魔術の基礎を作った
「そう。それは残念な知らせね」
レオンは言った、弱い者いじめだと。
そう思われても仕方ない。
それだけの力の差が、二人の間にはあった。
「それじゃあ、やる気にさせてあげる」
月子がそう言うと同時、二又に分かれた金雷槍が震えた。
金色の魔力が火花になり、放電音が不穏に鳴り響く。
どちらにせよ、息切れを狙うような消極的な考え方で倒せる相手ではない。
だから、自分がこれまで積み上げてきたもの全てを、叩きつける。
レオンが
「おう、やってみせろ」
──第三封印、解。
二つの穂先が雷の牙を噛み合わせる。
現れるのは、第三の穂先。
現象に武器としての概念を与えた、雷の槍だ。これまでは扱えなかった、第三封印の解放。
「
月子の黒髪が金をはらんで浮き上がり、その場から消えた。
ジッ‼︎ 空気の焼け焦げる音と共に、雷の穂先がレオンの顔を真横から突く。
「おっと」
レオンはそれを見もせずに体をそらして避けるが、攻撃はそれにとどまらなかった。
槍が、噛み付いてきたのだ。
一度の刺突と同時に、周囲にばら撒かれる雷撃の槍。一本でも当たれば、筋肉は硬直し、内臓が焼ける威力。
「ピィ‼︎」
それがレオンに到達するよりも早く、ピィちゃんが羽ばたいた。叩きつけられる熱波が、雷撃を弾き飛ばす。
そんなことはお構いなしに、月子は立ち位置を変えながら突きを続けた。
月子の加速は止まらない。
これまではその速さに適応できず、振り回されるだけだったが、彼女は完全にその速さを制御していた。
ジリッ! とレオンの耳元で火花が爆ぜる音が聞こえた。
月子の手数に、攻撃を捌ききれなくなっている。
レオンはニッと口角を上げた。
「中々いいじゃねーか」
直後、レオンの周囲を吹き飛ばすように爆発が起きた。
「‥‥」
即座に退いた月子に対し、レオンは言った。
「そのスピードでその小回り、確かに対応するのは難しい」
「やる気にはなったかしら」
「多少はな」
そう言うとレオンは右手にピィちゃんを乗せ、高く掲げた。
「お礼に見せてやるよ、ピィちゃんはなにも炎を放つだけが能力じゃねえのさ。俺たちの信頼関係は、精霊の概念さえ超える」
「何を言っているの」
「ピィちゃん、『
レオンの言葉に応えるように、ピィちゃんが眩い光を発した。
そして鶏の形を失い、レオンに覆いかぶさる。
「炎の翼は硬質化によって金属より硬く、糸のようにしなやかに、攻守を兼ね備えた鎧となる」
言葉通り、レオンの姿は大きく変わっていた。
両腕には青と赤の手甲。背には翼のような炎のマント。金の髪は揺らめく炎のように空へ立ち上る。
「これこそが『
周囲の大気が歪むほどの熱量。
これまで放出するだけだった魔力が、極限まで圧縮されている。
見る者によっては、目にしただけでひれ伏すだろう。奇しくも鶏の形を失ったピィちゃんは、精霊としての存在感をありありと示していた。
しかし月子はそんなことよりも気になることがあった。
赤と金を主体にレオンを覆うそれは、勇輔のような鎧ではなく、どちらかと言えば戦闘ヒーローのような物。ついでに漫画のキャラもかくやとばかりに立つ髪の毛。
魔力の圧よりも、どうしても気になってしまう。
そして、ついそれが口をついて出た。
「だっさいわね」
――。
――――。
数秒の沈黙を迎え、レオンから火柱が上がった。
「‥‥ださい、だと‥‥」
その爆炎はまさしく彼の怒りを示し、疾風迅雷を発動する月子すらも退かせた。
「
炎を残し、レオンの姿が消えた。
「っ⁉」
背後に回り込んだレオンに対応できたのは、月子が周囲に張り巡らせている電磁波と、これまでの修行のおかげだった。
電磁波が捉えた気配に対して、身体が勝手に反応する。
背後に振るった槍と、レオンの拳が衝突する。
金雷と爆発が入り混じり、炸裂した。
「はっ、よく反応したな!」
「お
「減らず口をよぉ‼」
レオンの翼が羽ばたき、爆炎を放つ。
赤と青の拳が閃光となり、月子に叩き込まれる。その速度は疾風迅雷を発動する月子と同等だ。
先ほど一瞬で距離を詰められたのも、これと同じ原理だろう。
炎による爆発的な推進力の獲得。
拳を振る速度は、時間が経つにつれて加速していく。
「ようやく肩が温まってきたぜ」
ゴゴゴゴゴゴッ‼ と爆発の連打が雷撃を塗りつぶしていく。
疾風迅雷によって絶えず動き回り、爆発を避けながら槍を振るが、月子は限界を感じていた。
単純な物量差で負けている。
別の技を挟もうにも、その隙が無い。
「大口叩いておいてそんなもんかぁあ⁉」
「くっ‥‥‼」
踏み込みと共に放たれたボディブローを、金雷槍で受け止める。
拳を受けただけで、その衝撃に身体が粉々になりそうだ。しかし攻撃はそれにとどまらない。
レオンの拳が白い光を発していた。
「そのまま
衝撃の威力に上乗せするように、爆炎が膨れ上がった。
いくら金雷で防御していても、それを焼き尽くす
「‥‥ちっ、
話を聞くに、伊澄月子はレオンが敬愛する主の親族だ。その素質には期待があった。自分が超えるべき輝かしい才能を持っているのではないかと。
それを見る前に殺してしまった。
感情の
「まだまだ修行不足だぜ」
『
土煙の向こう側で、炎が渦を巻いている。
「なんだぁ?」
炎がくすぶっているにしては、明らかに動きがおかしい。
まるで、誰かに操られているかのような。
「まさしく、修行不足だな」
ゴウッ‼ と土煙を貫いて現れたのは、巨大な狼だった。ただの狼ではない。赤と橙に大気を歪める、炎の狼。
「ピィちゃん‼」
跳び上がり噛みつきに来る狼を、ピィちゃんは
火と火の衝突は互いに譲らず、最後には爆発を起こして相殺された。
「‥‥そういや、ネズミが一匹紛れ込んだって聞いたな」
「そのネズミの存在にすら気付かないのだから、今一度基礎から学び直すことをすすめよう」
火が晴れた時、レオンの前には槍を構えた月子と、一人の男が立っていた。
白髪の男だった。皺の刻まれた顔は、これまでの深い知識と経験を物語っているかのようだ。
この男がレオンの炎を防ぎ、月子を守ったのだろう。
男は、左眼に革の眼帯を巻き付けていた。
全身から発せられる魔力は、レオンの魔力量に匹敵する。
レオンも存在は知っていたが、まさかここで出てくるとは、想定外だ。
しかしその驚愕は、レオンよりも守られた月子の方が大きかった。
男は彼女が初めて神魔大戦で戦った敵だった。
対魔特戦部がつけた識別名称は、『フレイム』。
その正体は『
「ジルザック・ルイード」
名を呼ばれたルイードは、苦々し気に目を細めた。
「よもやこのような形で相まみえるとは思わなかったが、今回ばかりはこの奇跡に感謝するといい。手を貸してやるぞ小娘」
最悪の敵は、火の粉を背負ってそう言った。
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