第388話 白対灰 一

    ◇   ◇   ◇




 アステリスの人族が誇る最強の魔術師、サイン。沁霊術式に至った者だけが得られる称号は、一国の保有する軍事力の中でも大きな割合を占める。


 小国がサイン一人によって守られることも、滅ぼされることもあるのだ。


 しかしサインの中にも当然格が存在する。


 セントライズ王国の王女にして、魔王を倒した四英雄の一人、『楽園の座ローズ・サイン』――エリス・フィルン・セントライズ。


 そしてサーノルド帝国の防衛を担い続けた将軍、『漂白の座ホワイト・サイン』――バイズ・オーネット。


 アステリスに居た頃、二人が比べられるようなことはなかった。


 何故ならバイズが戦場で活躍した時期は、まだエリスが幼い頃。


 エリスが力を認められ、サインに着いたのは神魔大戦が始まってからだ。その時には既にサーノルド帝国は前線から退いていたため、二人が直接戦うことも、比較されることもなかった。


 軍を率いての指揮であれば、間違いなくバイズに軍配が上がる。


 逆に交渉術であればエリスが上だ。


 では魔術師としての腕ならば、どちらが上か。


 その答えが今示されようとしていた。


 バイズが骨ばった手を持ち上げた。


 それに合わせ、床一面に広がっていた灰が凄まじい勢いで引いていく。本も、本棚も、書庫にあったあらゆるものを飲み込む様は、まさしく津波の前兆に似ていた。


「『終海オールグレイ』」


 灰の波が、高く上がった。


 それは波というにはあまりに分厚く、暴力的な、壁だ。


 直撃すれば人は言うに及ばず、城さえも倒壊させかねん威力。


 エリスは迫りくる灰の波に対して、レイピアを軽やかに一振りした。


「『迷いの精森ミストロード』」


 エリスの魔術、『白くあれ花茨ホワイトリリー』が素早く白い森林を生み出す。それは床を貫き、地中深くに根を張ると、太い枝を複雑に伸ばした。


 規模としては決して大きくはない。バイズの魔術に比べれば、簡単に飲み込まれてしまいそうなものだ。


 津波が森に衝突した。


「‥‥」


 エリスの視界が真っ白に閉ざされ、細かな灰が吹きすさぶ。


 しかしそれだけだ。


 あらゆるものをなぎ倒す暴力の化身は、エリスに届くことなく周囲を埋め尽くすにとどまった。


 『迷いの精森ミストロード』はただ闇雲に森を作り出す魔術ではない。


 この森は外敵からの攻撃や侵略を、全て迷わせ、別の方向にいなしてしまう。


 巨大なだけの攻撃など、話にならない。


 そしてそんなことは、バイズとて百も承知だった。


「『灰の将ジェネラル』――十指乱舞じゅっしらんぶ


 エリスの周囲にうずたかく積もった灰が、嵐のように回り出す。


 灰の乱気流の中に、明確な形が見えた時、攻撃は繰り出された。


 灰色の斧が次々に振り回され、いばらの森を切り開いていく。さらにその隙間から飛んでくるのは、矢の雨。


 斧や矢だけではない。


 ガガガガガガガ‼ と重機による掘削もかくやという激しい音を立て、槍に剣、ありとあらゆる武器が森を伐採し、削り続ける。


「たった一人の軍隊。お互い、虚しいものね」


 森の層が薄くなり、肌に掠れるほどの近さまで矢が飛んできながら、エリスはまるで動じることなく、前を、灰の先にいるバイズを見ていた。


 バイズ・オーネットは強い。


 エリスの師であるグレイブと第一線で戦い続けた将軍だ。


 将軍だけでなく、魔術師としての実力も疑いようがない。


 それほどの敵を前にしながら、エリスに動揺はなかった。


 何故なら、自分は四英雄しえいゆうだから。


 四英雄とは、魔王を倒した英雄ではない。


 多くの人間はそう認識しているだろうが、少なくともエリスにとってその称号はまったく別の意味を持つ。


 何もかもを置き去りにする白銀シロガネの流星を追い続けた、執念の象徴。


『知っておりますかエリス様、魔力の色には意味があるのですよ』


 エリスに魔術を教えてくれた先生が、そう話してくれたことがある。


 しかし長い魔術研究の中で、魔力の色は個人によって異なっても、それに大きな意味がないことが証明されていた。


 肌の色と同じように、持って生まれた個性という以上の意味はない。


 そう、答えた。


『ええ、そうでしょうとも。そういう意味では、確かに何の違いもありはしません。ですがそれならば全て同じ色でもよかったはずです。違うということには、間違いなく理由があるはずなのです』


 その時に先生は言った。


『魔力の色とは、想いの色なのですよ』


 くだらない。つまらない迷信だと思った。


 想いなんて不確かなもので色が変わるなら、自分は毎日毎時間変わることだろう。怒っている時は赤で、悲しい時は青だ。空腹の時は‥‥何色になるのかは分からないけれど。


 そんなエリスを、先生は笑って見ていた。


『人の本質的な想いは、そう変わりません。エリス様、あなたの魔力は白。誰よりも純粋で、真っ新な、献身けんしんの色。大切な誰かのためならば、自分の何もかもを捧げてしまうような、美しさと、儚さを持った色なのですよ』


 私が? なんの冗談だろうか。


 エリスは王女だ。民のために、最後まで立ち続ける責任を背負っている。


 誰かのために全てを投げ打つなんて、考えられない話だ。


 幼い頃は、そう思っていた。


 実際に学術的な論拠もなにもない、妄想だ。


 それでも今は信じずにはいられない。彼のことを想えば想うほどに、この魔力は白く、儚く、透き通っていくのだから。


 沁霊術式――解放。




「『願い届くエバーラスティング王庭・ガーデン』」




 何も生まれることのない乾ききった灰の海を、白い樹海が覆いつくした。


 あれだけ激しく響き渡っていた無粋な攻撃の音は、完全に消え去っている。


 大樹の上に立ったエリスは、髪についた灰を指で拭うと、それを一瞥いちべつして言った。


「やっぱり、くすんでるわ」


 ふっと吹かれた灰が、空を舞って消えた。

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