第386話 死神対悪魔 一

     ◇   ◇   ◇




 散った火花が消えるよりも先に、新しい火花が生まれる。


 直線的な踏み込みと共に、雨霰あめあられと振るわれるセバスの剣を、シャーラは円舞のような華麗な動きでさばき続けた。


 双剣の閃きは花火よりも速く姿を変え続ける。


 心を失っているはずなのに、あるいはだからこそか、その剣は重く、迷いがない。


 一手一手が最短でシャーラを殺すための道を作ってくる。


 その隙間をすり抜けるように、シャーラは曲剣を振るい続けた。


 セバスの目的が殺害なのに対し、シャーラは無力化。狙える場所は限られる。いくら剣術の達人であるシャーラでも、事は容易ではなかった。


 そのシャーラたちを後ろに、鈍い音を連続して響かせる二人がいた。


「うごっ! がっ⁉」


 炸裂する殴打。


 拳が腹を打ち抜いて身体が曲がったところに、膝が落ちて来た顔を跳ね上げる。


 舞い散る血が地面に落ちるよりも速く、肘が水月を叩いた。


 大気がたわみ、青年の身体がゴムボールのように地面を跳ねた。


「真正面から出てきたわりに、口ほどにもありませんね」


 コーヴァを殴り飛ばしたノワが髪を払いながら言った。


「‥‥っごふ、ぺっ、いってぇ」


 もはや全身の骨が砕けていてもおかしくない攻撃を受けながら、コーヴァは立ち上がった。


 それにノワは顔を微かにしかめる。


 『比翼トナリ』によって強化されたノワの身体能力は、勇輔のものと同等。


 その力でまともに殴ったのだ。身体強化が得意な魔術師であっても、ただでは済まない。


 既に戦闘不能になっていてもおかしくないはずだが。


「やっぱ、魔族ってやつらはまともじゃねーよ。こんなもん相手にしようなんて、どうかしてるぜ」


 そう言って起き上がったコーヴァは、右腕を正面に構えた。


 その腕が黒く染まり、不自然なまでに太く隆起する。


「『悪魔の右腕アンライト』!」


 悪魔の右腕と化した漆黒の巨腕が、ノワへと伸びた。


 触れた者の魔力を奪い、生贄として強化される腕。


「それはもう見ましたよ」


 腕を軽く避けると、ノワは何の苦も無くコーヴァへ肉薄にくはくし、顔を蹴り飛ばした。


「ぐはっ‼」

「いくら強力な攻撃だろうと、当たらなければどうということもありません」


 一度この魔術には魔力を奪われた経験がある。


 しかし腕に触れない限りは、なんの意味もない。


 そして魔将ロードであるノワにとって、腕をかいくぐりながらコーヴァを叩くなど、造作もなかった。


 いくら殴っても効果が薄いというのなら、火力を上げればいい。


「『身焦がしのミス』──」


 拳を掲げた時、背後から鋭い殺気を感じた。


 首を振った瞬間に、鋼の閃光が駆け抜けた。


 そこからさらに畳み掛けてくるセバスの斬撃を全て避けながら、ノワは後退した。


「何をしているんですか、ちゃんと抑えておいてください」

「‥‥ごめん」


 剣を片手にさげながら、シャーラが素直に言った。


 まさか謝られると思っていなかったノワは、眉を寄せて話を変えた。


「あの人族、何の魔術を使っているんですか? 守護者にしても、剣の腕が異常ですけど」


 セバスは今操られている状態だ。本来の彼が持つ老練な技巧や駆け引きはない。


 それであっても、ノワを退かせるほどの剣術。


 魔将ロードを相手に一人で戦える魔術師そのものが、人族の中では希少だ。


「セバスは聖女メヴィアの守護をする神殿騎士。使う魔術は、ただの身体強化だったはず」

「身体強化ですか? なんの条件もない身体強化の術式が、あそこまで強いはずがないでしょう」


 グレイブの『騎士道ナイトプライド』であれば前進、ノワの『比翼トナリ』なら想い人の存在といった具合に、ただの身体強化も条件を設けることで、より強い効果を発揮する。


 シャーラは息を吐いて言った。


「さあ、細かい使用条件までは知らない。ただ、厄介なのは魔術じゃない」

「魔術ではない?」

「セバスは過去にユースケの師匠と剣聖の名を争ったと聞いている」

「剣聖⁉︎ あの剣聖ですか⁉︎」



 ノワが思わず驚きの声を上げるのも無理はなかった。


 魔族最強の魔将ロードたちが人族の中で警戒する者は、基本的にサインだけだ。


 戦争に興味のないノワなど、サインすら知らない者が多い。その中において、例外的に名が知れている男がいる。


 それが、『剣聖』。


 魔術ではなく、剣術において最強の座に着いた男。


 勇者白銀シロガネを育てながら、数多の魔族を剣の錆にしてきた人族の英雄である。


 その剣聖と争った人物がいるのは初耳だった。


「剣術の腕だけなら、ユースケよりも上」


「‥‥厄介ですね。まあ、幸いあっちの白髪は大したことないですし、あなたが執事服を止めてくれさえすれば、私が倒します」


「分かってる」


 シャーラはそう言って剣を持ち上げた。


 ノワの言う通りだ。セバスは放っておける実力ではない。


 まずはコーヴァを倒すのが確実だ。


 そんな二人を見て、コーヴァが黒い腕をぶら下げたまま笑った。


「まずは俺を倒そうって相談っすか? まあ、普通に考えたらそうっすよね。この人、めちゃめちゃ強いし」


 そう言いながら、セバスの肩に手を乗せる。


 メヴィアが見れば怒り狂っていただろう気安い行為に、ノワは軽く息を吐いた。


「そういう軽いところが、余計弱く見えるんですよ。どういうカラクリがあるのかは知りませんが、私がすぐに押し潰してあげましょう」


「そうだなあ。確かにあんたと一対一サシでやったら、俺なんて簡単にやられちまうかもしれない」


「‥‥その余裕、どういう理屈ですか」


 ノワは違和感を覚えた。


 四英雄に、魔将ロードを相手にしているのだ。


 はっきり言って、純粋な戦力だけで見ても、コーヴァたちの方が圧倒的に不利。


 そんなことは、向こうも理解しているはずだ。


 だというのに、ヘラヘラと浮かべる軽薄な笑みは、不敵にも見えた。


 まだ何か援軍があるというのか。


 この劣勢を覆すほどの何かが。


「別に、大した話じゃないっすよ。あんたらの所に俺が来たのは、これで十分って判断だからだ」


「本気でそう思っているのなら、その判断をした人間は目玉を丸ごと入れ替えるべきですね」


「あんたこそ、本当にちゃんと周り見てます? 天秤は、とっくの昔にこっちに傾いている」


「何を言って──」


 周り見てます? というコーヴァの一言が、妙に引っかかった。


 ノワはなんとなしに隣を見て、言葉を失った。


 嫌な声が響く。


「本当に誰も分かってねーよな。いや、分からないようにしていた方を褒めるべきなんすかね、この場合は」


「‥‥あなた」


 隣で剣を構えてたはずのシャーラが、腰を折っていた。


 剣を杖のように地面に突き立て、それに体重を預けながら、今にも崩れそうな体を支えていた。


「はぁ‥‥は‥‥」


 うつむいた顔からかすかに聞こえる吐息は、あまりにも細い。


 なぜ、どうして。


 ずっと、ノワが勇輔たちの家に来た時から、そんな様子は、一度だって見せてこなかったはずなのに。


「魔術を奪われてるんすよ」


 コーヴァの言葉が、氷のように背筋に落ちた。


 悪寒が頭の中を痺れさせる。


「魂の根幹。自己の最奥に住まう者。一生をかけて向き合い続けた魔術を奪われた魔術師が、どうして無事でいられるって思うんですかね」


 それは当たり前の話だった。


 だが誰も気づかなかった。


 魔術を奪われたことなんてないからか。


 肉体に傷はなかったからか。


 否。


 四英雄であるシャーラが、尋常じんじょうならざる精神力と肉体の持ち主だったからだ。


「正直、とっくに死んでるか植物状態になっててもおかしくないはずなんすよね。先輩も、昔別ので試した時は、そうなったって言ってましたから。むしろこっちの方が不思議ですよ。どうして、そんだけ動いてられるんすか?」


 グッと剣が地面から抜かれ、シャーラが顔を上げた。


 陶磁器のように真っ白な肌は、明らかに血の気を失い、白蠟はくろうにも似た冷たさを放っていた。


 あの文化祭の日から彼女を襲い続けたものは、他の誰に言っても理解はされないだろう。


 一度寝て目覚めたら、自分が誰なのか分からなくなる感覚。どうやって立って、歩いて、喋って、呼吸をしていたのだろう。


 塞がらない傷口から、ずっと血を流し続けているような倦怠感けんたいかん


 目を閉じた時が最後という強迫観念は、シャーラから安息を奪い取った。


 まさしく心にポッカリ穴が空いた感覚だ。


 その喪失感は消えるどころか日々を追うごとに強くなっていく。穴に、いずれ全てが飲み込まれていく。


 きっとそれは勘違いではない。


 自分の命は、もう残り少ない。


 そんな状態でなぜ動けるのか。


 愚問ぐもんだ。


『シャーラ、本当に久しぶりだな』


 あの時の喜びが、感動が、幸福が、今自分を生かしている。


 最後にこの剣を振るう力を残してくれた。


「シャーラ、あなたは」


 ノワの言葉をさえぎって、シャーラはりんと立ち上がると、口を開いた。




「私は『幽刻の座ファントム・サイン』シャーラ。あの人ユースケの障害は、私が全て斬り払う」




 ゴッ‼︎ と魔力の圧がセバスとコーヴァに降りかかった。


 一瞬、セバスの膝が沈み、コーヴァは地面に膝を着いた。


 死神はその刹那を逃さない。


 曲剣が美しく残酷なを描き、セバスを横に弾き飛ばすと、そのまま一転。瑠璃るり色の斬撃がコーヴァの首に滑り込んだ。

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