第405話 白対灰 三

 扉はまだ開かない。この部屋の主は、バイズ・オーネットではないのだ。


「それであなたはいつまで傍観しているつもりかしら?」


 白衣の魔族、『流転セラティエ』は積もった灰の上に置物のように立っていた。


 魔将ロードらしい覇気も魔力も感じられない、ともすればそこにいることを忘れそうにすらなる。


「見ての通り、バイズ・オーネットは死んだわ。純粋な味方だとは思わないけど、仮にも共に戦う相手が窮地にいながら、何もしないというのは、道理が通らないわね」


 ビリビリと言葉が震えをもって流転セラティエに叩きつけられる。


 エリスは静かに怒っていた。


 どんな理由にせよバイズは人族を裏切り、勇輔に剣を向けた。


 その時点でこの結末は決定されていた。


 勇者を裏切る者を、エリスは許さない。たとえどんな過去があり、国が許し、人々が許したとしても、エリス・フィルン・セントライズはその裏切りを断罪する。


 バイズは楽園の夢を見ている時、棒立ちの状態だった。


 流転セラティエは戦闘に介入できる余地があったにも関わらず、バイズを見殺しにしたのだ。


 敵の事情なぞ知ったことではないが、仲間を無為に見捨てる行いを彼女は唾棄する。


 流転セラティエは動きを思い出したように、上を見上げた。


「返答。バイズ・オーネット。彼の戦いは、彼の物。故に我、見た。聞いた。」


「それで裁定とやらはいいのかしらね。今の主に怒られるんじゃない?」


「否。未来を運命と呼ぶのであれば、それは、もう決まっている」


「まさか、私たちを相手に勝てると?」


 エリスがバイズと戦っている間、イリアルが流転セラティエを常に監視していた。


 いくら魔将ロードであっても、二体一では分が悪いはずだ。


 流転セラティエの魔術は『歴史と共に在りログウォーカー』。


 歴史を記録し、再現することが可能な魔術だ。


 更には数秒先の自分に関わる記録であれば、先に結果を歴史として記録することができる。


 つまるところ、未来を予知し、それを好きなように確定することが可能なのだ。


 その力を使い、流転セラティエはありとあらゆる攻撃を『当たっていない』ことに確定する。


 因果律いんがりつに直接関与する類を見ない魔術だ。


「あなたの弱点なら、よく知っているわ」


 しかしそんな無敵に見える魔術さえ、切り崩す隙がある。


 コウガルゥは過去に流転セラティエと戦った際、未来を確定させる前に殴り倒した。


 魔術の発動が追い付かなくなる速度で攻撃を畳みかけ、押し切ったのである。


 何て脳筋‥‥と唖然としたものだが、時として魔術師同士の戦いはそういうシンプルさに帰結する。


 そして攻撃の物量と多彩さはエリスの得意分野だ。


 勝利の天秤は確実にこちらに傾いていた。


 流転セラティエは空を向いていた視線をエリスに合わせ、そのまま頷いた。



。我、敗北する」



「‥‥何を言っているの?」


 思いもよらない言葉に、エリスは目を細めた。


「我、敗北する。それが運命。エリス・フィルン・セントライズこそが、この扉の先に進むべき運命に、ある」


「人の運命を勝手に決めないで欲しいわね。それは私がつかみ取るものよ」


「エリス・フィルン・セントライズ。その血潮に流れる記憶、力、想い。運命は、掴むのではない。引力を持つ。呼ばれている」


「どうでもいい」


 エリスはばっさりと言葉を斬り捨てた。


 運命だの何だのと。毎秒通り過ぎる過去に名前を付けるのは勝手だが、それは他の誰かが決めるものでも、決まるものでもない。


「私は私の意志で歩いていく。それを運命だと言うのであれば、好きにすればいいわ」


 ふふ、と笑い声が聞こえた。




「そう言うのだな。本当によく似ている」




「――――⁉」


 エリスは反射的にレイピアを構えた。


 少し離れたところで流転セラティエを見ていたイリアルが、飛び退すさってエリスの横に着地した。


 その額には丸い汗が噴き出している。


「あなた、何者?」


 問わずにはいられなかった。


 構えたレイピアの切っ先が細かく震える。


 尋常ならざる重さが頭の天辺てっぺんから圧し掛かり、少しでも気を抜けば膝を着きそうになる。


 流転セラティエではない。


 どころか、エリスがこれまで出会ってきたどんな魔族とも違う。ゆるりと軽やかにまとう圧が、あまりに重い。


 それはさながら王の羽織るマントに似ていた。国一つ分の重さを肩にして当然という風格。


 それを思えば、似ている魔族が一人だけいた。


 一癖も二癖もある魔族たちを束ね、最強として君臨した覇王。


「ユリアス・ローデスト‥‥」


「違うな。それが誰なのか多くを聞かずとも察しがつくが、私はその人間ではない」


 男は即座に否定した。


 そして顔に被る布ごと身体を覆う衣装を脱ぎ捨て、その面貌をあらわにする。見たことはないが、それが本来の流転セラティエのものでないことはすぐに分かった。


 玉虫色の髪に色気さえ感じる雄々しくも端麗な顔立ち。戦いの中で磨き抜かれた肉体美は、自然に刻まれる深山幽谷しんざんゆうこくのようだった。


 ズボンに袖なしのシャツという動きやすい服装になった男は、身体の調子を確かめるように腕や首を回した。


「悪くないな。実際この時が来てみないと分からないものだったが、存外よさそうだ。流石俺だ」


 確かに髪色などはユリアスによく似ているが、顔立ちや立ち振る舞いは似ても似つかない。


 ユリアス・ローデストは深謀遠慮を体現したような底知れぬ恐ろしさをはらんだ男だった。おごり高ぶり、威圧をばら撒くような真似はしない。


 そう思った瞬間、男がピタリと指をエリスに合わせた。


「そしてお前だ。名前は知らんな、思い出せもしない。ただ彼奴きゃつとの記憶の片隅で、同じ目を見た。間違いなかろうよ」


「‥‥何を言っているの?」


「お前の血筋に、勇者と呼ばれた男がいるはずだ」


 ――――⁉


 エリスは身体中から血の気が引く音が聞こえた。


 何故なら男が言ったことが事実であり、それが直系の王族にのみ伝えられる最重要機密だったからだ。


 エリスでさえ、知らされたのは魔王を討伐した功績あってのものだ。


 セントライズ王国は、初代勇者と聖女が建国した国である。


 しかし聖女の力はあまりにも強く、長い歴史の中で公権力から切り離され、教会が聖女としての力を管理するようになった。


 魔族という共通の敵がいる中で、セントライズ王国だけが勇者と聖女を起源に持つことは各国との軋轢あつれきを生んだ。その積み重ねが、真実を血の下に隠したのだ。


 出鱈目でたらめだ、知らないと白を切るのは容易だった。


 しかし男の目はそれを許さない。これは問いかけではなく、確認であった。


「答えずともよい。まわしい目だ、見れば分かる」


「‥‥あなたは、一体、誰なの?」


 初代勇者との繋がりを言い当てただけではない。彼と旧知の仲のように振る舞い、それをおかしいと感じさせない。


 あり得ないと思いながら、エリスは荒唐無稽こうとうむけいな想像をせざるを得なかった。


「俺の名はグレン・ローデストだ。名乗ったところで知らんだろう。俺が生きていたのはそれほど昔の話だ。そうだな、初代勇者に討ち取られた魔王だと言えば、分かるか」


「ッ――‼」


 鳥肌が立った。


 グレンは自分の胸を指で叩いた。


「この流転セラティエは俺が作った魔道具でな。俺の死後を記録させるために作ったものだ。同時に、勇者の血を濃く継ぐ者と相対した時、こうして一時的に俺の記録を表出するようにしておいたんだ」


「‥‥何故、そんなことを」


私怨しえんだよ。あの時はあまりに多くのしがらみがあってな、純粋な気持ちでいけ好かない面をぶん殴ってやることができなかった。ようやくその時が来たってわけだ」


「理不尽ね。私には、関係のない話だと思うわ」


「そう思うが、もうそういう風に作られているからな。嫌だなんだと言ったところで、この身体が止まることはない。諦めろ」


 そう言ってグレンが構えた。


 魔王と言えば圧倒的な魔術で遠方から戦場を蹂躙するイメージだが、グレンのそれは戦士の構えだ。


「冗談じゃないわ」


 ――強い。


 流転セラティエどころか、どんな魔将ロードよりも。


 アステリス黎明期の魔王。魔術は長い年月をかけて研鑽され、進化してきた。


 エリス・フィルン・セントライズはその点において圧倒的なアドバンテージを持っている。しかし、自分が有利な立場にあるとは、到底思えなかった。


 グレンは『流転セラティエ』を作ったと言った。現代において魔将ロードを、いや、自立して動ける魔道具を作れる魔術師は、存在しない。


 戦慄せんりつするエリスにグレンは笑った。


「そう固くなるな。三分だ。どちらにせよこの身体が俺の記録に耐え切れるのはその程度。三分生きていれば、お前の勝ちだ」


 三分。


 魔将ロードが相手でも稼げる時間だ。しかし今は、絶望的に長い。


 一体どんな魔術を、いや、そんなことよりも先手を譲ってはいけない。


「行くぞ」


 エリスは茨を放った。


 全方位、時間差をつけて、ありとあらゆる逃げ道を塞ぐ。


 茨からは掠っただけで人を即死させる毒が分泌されている。


 三分を待たず、殺す。


「『我は剣なりエゴ・グラディウス』」


 茨がエリスの手から離れた。


 切り落とされたのだと気付いた時には、グレンが白い大地を駆け抜け、彼我の距離を半分以上縮めていた。


 ――速い‼


 エリスはレイピアを振るった。魔力が鳴り響き、庭園が活性化する。


 灰の大地に張り巡らせた根を動かし、地形を変えて動きを止める。同時にいばらと種子の爆発で畳みかける。


「しゃらくさいわ」


 グレンは溜めを作ると、一歩、地面を踏み鳴らした。


 ゴッ‼ と灰が圧縮され、振動が雷鳴のようにとどろく。


 その一発で、根が全て動きを止められた。


 グレンが手を振るう度に、茨が斬り飛ばされる。


(こいつ、魔力探知がイカれてる‼)


 攻撃は前後左右どころか、上下含めて四方八方から絶え間なく襲い掛かっているのだ。


 だというのにグレンはその全てを来る場所が分かっているかのように、さばく。


 視線を外したわけでもないのに、グレンがコマ落ちした漫画のように近づいてくる。


った」


 庭園のあらゆる防御をすり抜け、グレンはエリスを間合いに捉えた。


 鋼鉄の硬度を持つ茨を易々と両断する手刀が、エリスの首へと吸い込まれる。


「シッ‼」


 イリアルの白槍はくそうがカウンターでグレンへと突き込まれた。


「軽い」


 グレンはそれを見もせずに空いている片手で斬り払う。


 穂先を失った槍が、光り輝いた。


「『閃光重奏サンライト』」


 炸裂する光の穂先。目を焼く閃光は物理的な槍となって、グレンへと迫った。


 タイミング的にも距離的にも避けられるはずがない攻撃を、グレンは容易く避ける。


 しかし一瞬。生まれた隙にエリスが茨の壁を編んで強引に分断した。


 二人は即座に後ろに跳び、距離を空ける。


「――あれは、何ですか」

「化物よ」


 端的に答えたエリスは魔力をこれまで以上の速度で回す。


 強敵を前に意識が研ぎ澄まされ、薄く、鋭くなっていく。


 ほんの少し集中力が切れれば折れてしまう程に、鋭利に尖らせる。


 近付かれて分かった。


 次に接近されたら、打つ手がない。


「魔道具作りが専門家と思ったけど、どういう魔術かしら」


「俺の魔術、というより目は特別製でね。生まれた時から自然に満ちるエーテルや魔力が色づいて見えるんだ。どういう流れをすれば、どんな現象が起こるのか、微細な変化まで全て目で捉えられる」


 エリスは改めてグレンの目を見た。瞳の周囲で、虹色が絶えず渦を巻き、変化している。アステリスの長い歴史の中でも聞いたことのない魔眼まがんだ。


「それは――想像できない世界ね」


「俺にとってはこれが当たり前だ。どんな物も、現象も、魔力があるから存在している。魔道具は、その動きを再現しているに過ぎない」


 こういう風にな、とグレンは手を打ち鳴らした。とても手が触れ合ったとは思えない硬質な音が響く。


 つまり、彼の身体は魔道具として改造されているということか。


「俺には道が見える。魔術の構造上弱い部分、術師の意識が向いていない部分、お前の首をねるまでの道のりが、何本も走っている」


 首にひやりと感覚を覚えた。


 大規模な破壊を起こすわけでも、多数を虐殺するわけでもない。グレンの魔術は魔将ロードたちと比較すれば地味なものだ。


 それでも全ての魔将ロードは彼に敵わないだろう。


 昔、勇輔に『星剣ステラ』のコツを聞いたことがあったが、毎秒移ろう魔力の要所を直感で捉えなければならないと聞いて、絶句したことがある。


 グレンはそれを可視化し、当たり前のものとして生きてきたのだ。


 魔術師の天敵。


「さて、そろそろいいか」


 グレンの脚が灰を踏みしめる。


 エリスは視線を外さず、小さく言った。


「イリアルさん。三十秒稼いで」


「あれを相手に、三十秒ですか」


「三十秒後きっかりに、私が殺す。それまでサポートはできないわ」


 その言葉を最後に、エリスは己の中に意識を潜らせた。


 『願い届くエバーラスティング王庭・ガーデン』ではグレンは殺せない。


 広範囲ではなく、一点を貫く茨が必要だ。


沁霊顕現しんれいけんげん


 白の花弁が舞った。


 純白の花吹雪の中に、彼女は現れる。


 流麗な鎧を凛と着こなした彫刻の騎士。




「『白くあれ花茨ホワイトリリー』」




 魂の抜刀。エリス・フィルン・セントライズ。の根源。


 『白くあれ花茨ホワイトリリー』はつるを編んだ弓を手にし、空いた手で虚空をつがえる。


 沁霊であっても、ただの矢ではグレンは殺せない。


 白い魔力が紡がれ、徐々に形を成す。


 矢ができるまで、三十秒。


 エリスの見つめる先で、グレンとイリアルが衝突した。

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